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人の付き合いとは主と客と相応じ相投じるところに礼が自然と存在するようになってくるところの妙でしょう。ここのところをよく合点しなければならないとおもいます。
その人とは自分の心を知ると同時に人の心も知らなければならない。知るということは、相応じることで、想像でなく、憶測でもない。礼譲仁義みなこれ相応じ相投じ相会するという心の発見のことであります。
心と心と相通わないところに礼も義も立ち上がることはないでしょう。人と人と相接するとき、ここに人の道というものが垣間見えます。また人は自然と相接するとき、ここに趣味という感覚が立ち上がるようです。
人道と趣味とは異なる物ながらの一体であります。人道すなわち趣味、趣味すなわち人道。要するに人の一生は趣味の一生だといわれることも然もありなんでしょう。
これらをひっくるめて楽しむを風雅と云うのかもしれません。もし感じ得られるのならこの世にいる間にしみじみと交わり味わいたいものです。
しばしの一生を名利のために苦しむべきか -ノ貫
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