(picture/source)
時は元禄のころ、芭蕉の門人に大店の店主がおりまして、ある日芭蕉を家に呼んで、いろいろともてなしていたそうです。
そのうち日も暮れて燭台に火をともそうとやってきたそこの小僧さん、しかし誤って種火の芯を切って火を消してしまいました。
主人はそれをたいそう咎めて、大事なお客様のもてなし中に粗相をしたと、持っていた扇で小僧さんを叩きました。
芭蕉翁は、それを見て興ざめし席を立ってとっとと帰ろうとします。主人あわてて、せっかくお越しくださいましたのにもうしばらくお過ごしくださいと、引き止めます。
芭蕉翁答えて、
『いやいや私は俳諧師としてこのような不風流な席には少しも居たくありません。
考えてもみなさい。「燈籠の芯を摘むとて火を消して」という前句があるとして、後句に「持った扇で小僧打たれる」などとつけて俳諧になるものですか。
「折しも月の空に出てたなり」などとつけてこそ、風雅に聞こえるものです。
この風流の心こそ、万事に必要なものです。もしそれを忘れて力業に訴えるような不風流な振る舞いでどうしてこの世の神髄を学べるでしょう。』
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます