自動車が右を走るか左を走るか?
国によって違うので、どちらを走ろうがかまわないが みんなが同じ側を走らなければ重大なことになる。
自動車の制限速度にも決まりごとがある。
制限速度50キロ。100台の車が100台全部時速100キロで走る場所であったとしても、日本では運の悪い人は捕まります。
今はどうだか知らないが、20年ほど前の豪州では、制限速度を幾らオーバーしていようが、スムーズに全部の車が走っているなら、現地の警察は取り締まらなかった。
きまりごと。 とはなにか?
どうも。ダブルスタンダードが存在するらしい。
守らないと大変な事になるきまりごと。と。
守らないと大変な事になるぞ。と脅かされるきまりごと。と。
つまり。きまりごと。といえるものと。
きめられごと。と受け取られるものに分かれるのではないかしらん。
ということは。
ちゃんと勉強しなさい! お父さんみたいになりたくないでしょ!
これはどちらに 属するのか????
私はこの 決まり言葉 にどう対処すればいいのでしょう??
修める。とは個人がその規範にたって、決まりごとを見分ける術ともいえよう。
私は、用務員のような仕事をしている。
つまり職場のよろず受付係であるが 懸案の解決に ある決まりごとを仲間にお願いする場合がある。
経験上、よかれと思う事を決まりごとにする。自分にはそれがいい経験になったと思われる事である。
しかしだ。強制はしない。 ・・疲れるから。
その自然に任せる。
対象の人々がきめられごと。と思えば何を決めてもうまくいくはずがないでしょうから。
ただ。ひとりでも 守らなければいけない。と感じたこと。
つまり 何か役に立つと感じてくれた仲間がいる限り 継続が私の中で正当化される。
そうでなければ あ。 用事ありませんか? あ。失礼しました。 と失敬する。
用務員の仕事は 自動車なんかと違って、死に直面するような事はないので それでいいと思っている。
用務員が疲れるようなことは しない。
仲間達は もっと疲れるでしょうから。
お役所の人なんかは 法律ができると きまりごと。についての説明もないまま 決められ後と だからと 我々の理解を超えたことをするので きまりが悪くなるようでありますが。
きっと。疲れないのでしょう。
それとも 相手の疲れを無視するのでしょうか?
鬼の平蔵さんのような きっぷと人情のあるお役人が増えるといいなぁ。
もとい。
きまりごと。
自分の規範によって 受け取り方の違うもの。
やらされている。守らされている。きめられてしまったもの。なぞという感覚で受け取られると、何も きまらない もの。
それがきまりごと。
あきらめごと。はいけません。はい。
善意の第三者的解釈ばかりでもいかんでしょう。
被告人的解釈は危ない。
被害者意識では何も産まない。
修。
身を修め。立身出立の極意かな。
きまりごと。の整理選択。
南無煩悩大菩薩。