南無煩悩大菩薩

今日是好日也

想う。

2005-06-12 | 日日是好日。

湿度はあがる。

紫陽花は額を広げる。

味のついた野菜のことではないのだ。 アジサイは。



想々 は 怱々 として。

草々 は 蒼蒼 たり。



同様に動揺する日々。

童謡でも歌ったら どうよう?



それは それとして。

行雲流水。



己に影従うがごとく。

留め置き 想わぬことは 成りはせぬ。 か。



いかんせん。

この己は なにをなすべきや。



真機満つ。




流転一睡。一覚切々。
日々是好日。
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おばんやす。

2005-06-11 | 日日是好日。

・・・・・。

よろしいでしょうか?
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はい。こんにちは。

2005-06-11 | 日日是好日。

・・・・・・・・。

・・・・・・・・。

・・・・・・・・。

・・・・・・・・。

ええこと。おもいつきました。

・・・ありがとうございます。


・・・・・。

ええことなんですか?


はい。ええことです。


よかった。


はい。よろしゅうございました。

では。ごきげんよろしゅうに。


はい。ごきげんよう。



ええこと。見つける。
ええとこ。で。



心誘う。・・・ということか。
日日是好日。
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きまりごと。について。

2005-06-10 | 日日是好日。

自動車が右を走るか左を走るか?

国によって違うので、どちらを走ろうがかまわないが みんなが同じ側を走らなければ重大なことになる。

自動車の制限速度にも決まりごとがある。

制限速度50キロ。100台の車が100台全部時速100キロで走る場所であったとしても、日本では運の悪い人は捕まります。

今はどうだか知らないが、20年ほど前の豪州では、制限速度を幾らオーバーしていようが、スムーズに全部の車が走っているなら、現地の警察は取り締まらなかった。


きまりごと。 とはなにか?

どうも。ダブルスタンダードが存在するらしい。

守らないと大変な事になるきまりごと。と。
守らないと大変な事になるぞ。と脅かされるきまりごと。と。

つまり。きまりごと。といえるものと。
きめられごと。と受け取られるものに分かれるのではないかしらん。


ということは。

ちゃんと勉強しなさい! お父さんみたいになりたくないでしょ!

これはどちらに 属するのか????

私はこの 決まり言葉 にどう対処すればいいのでしょう??



修める。とは個人がその規範にたって、決まりごとを見分ける術ともいえよう。



私は、用務員のような仕事をしている。
つまり職場のよろず受付係であるが 懸案の解決に ある決まりごとを仲間にお願いする場合がある。

経験上、よかれと思う事を決まりごとにする。自分にはそれがいい経験になったと思われる事である。

しかしだ。強制はしない。 ・・疲れるから。

その自然に任せる。 
対象の人々がきめられごと。と思えば何を決めてもうまくいくはずがないでしょうから。

ただ。ひとりでも 守らなければいけない。と感じたこと。
つまり 何か役に立つと感じてくれた仲間がいる限り 継続が私の中で正当化される。

そうでなければ あ。 用事ありませんか? あ。失礼しました。 と失敬する。

用務員の仕事は 自動車なんかと違って、死に直面するような事はないので それでいいと思っている。


用務員が疲れるようなことは しない。
仲間達は もっと疲れるでしょうから。


お役所の人なんかは 法律ができると きまりごと。についての説明もないまま 決められ後と だからと 我々の理解を超えたことをするので きまりが悪くなるようでありますが。

きっと。疲れないのでしょう。
それとも 相手の疲れを無視するのでしょうか?

鬼の平蔵さんのような きっぷと人情のあるお役人が増えるといいなぁ。

もとい。



きまりごと。

自分の規範によって 受け取り方の違うもの。

やらされている。守らされている。きめられてしまったもの。なぞという感覚で受け取られると、何も きまらない もの。

それがきまりごと。

あきらめごと。はいけません。はい。



善意の第三者的解釈ばかりでもいかんでしょう。
被告人的解釈は危ない。
被害者意識では何も産まない。



修。
身を修め。立身出立の極意かな。


きまりごと。の整理選択。
南無煩悩大菩薩。
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がはっはは。体操。

2005-06-09 | 日日是好日。

ちゃんちゃか ちゃかちゃか ちゃんちゃかちゃかちゃか。

ちゃかちゃかちゃかちゃか。

ちゃかちゃかちゃん。


口を前歯から上げて 間延びのうんどうから~ はい!


いやなこと曲げ伸ばし しんどいことしっかり投げ飛ばし~


ひっかかってることおおきく回しましょう。


腹の運動~。 はらをわって~  大きく 小さく 大きくちいさく。


目じりを下げて~ 口角上げて~
  

横~によこ~に広く たて~に縦になが~く。


気を大きく持って げんきよくげんきよく~。 はい!


がはっはは。がはっははぁ~。


さあ。 軽くホホと腹のたるみを利用して~ しまいの運動~。


ぽよ~ん。ぷるん。ぴよ~ん。ぶるるるるるぅ。


はい。涙がちょちょぎれてきたらぁ 深呼吸。


うみを大きく出して からっぽのこころ~


ちゃんちゃかちゃ~んちゃん。ちゃかちゃかちゃ~ん。



さ。やるか。
日日是好日。


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自己評価。

2005-06-08 | 日日是好日。

評価する。ということは偏見のない理解を促す。ということ。

人の評価も難しいが 自分の評価となると尚更であろう。

まずもって、評価基準がぶれやすい。

自己評価は、働く事に意味を見出すための出発点である。

もし、働く事によって個人の様々な欲求段階をクリアにしようと思えば、自己評価の正確性は 避けて通れないものである。

つまり。自己評価無くして、達成感も喜びも努力目標も改善もないからだ。


では どのように自己評価をすすめればいいのか?

ちょっと長くなりますが、なるべくはしょって エッセンスを記してみます。参考まで。



まずは、偏見と執着をなるべく取り除き、フラットかつナチュラル 公正な自己をイメージしなければならない。

まずは自我。
エリックバーンさんは、5つの自我を提唱した。
簡単にかつ強引にまとめてみると。

1.責任感強く、勇敢であるが、断定的で、頑固で、威圧的な側面を持つ。
2.同情的で、優しいが、過干渉で、押し付けがましく、甘やかしの側面を持つ。
3.客観的で、冷静だが、打算的で、冷たく、人情味に欠ける側面を持つ。
4.明朗快活で、面白いが、自己中心的で、感情的で、きまぐれな側面を持つ。
5.協調的で、素直だが、自主性がなく、反抗的で、ひねくれた側面を持つ。

人は 好ましい点も好ましくない点も必ず併せ持つ。
ということを理解する事が出発点だ。

自分の好ましくない点。好ましい点。をざっくりと仮定できる事。

そのためには感受性を養おう。
片方だけしか見ないと、偏見的になります。

付き合わないほうがいい人と 付き合ってしまったりしないように。



次は考え方。

以下の考えをなるべく捨て去って評価すること。

1.自分は変わらず相手を変えたい。
2.自分の欠点を見たくない。
3.自分の欠点を見ると落ち込む。
4.考える事で、不愉快になる。もしくは頭が真っ白になる。

どうしても捨て去れない人は、どこかにミスマッチが起こっています。
自分とミッション。目標と現実。立場と能力。などなど。
働く。ということの意味。理由。目標。をもう一度ゆっくり確かめる事。


自我と考え方。という自分への仮説が立てば、あとは相対的・対外的・現実的な見地から自分の立っている位置をあぶりだす作業が自己評価。



職能資格要件書。

自己評価。

認識力とは、誰でも一様ではありません。
知る。認める。という経験と学習のレベルの統合形態の現状です。

さあ。やりはじめましょう。

自分の目で見て。自分の耳で聞いて。自分の舌で味わい。自分の感情を理解し。自分で語る。

自分自身を原動力として。責任ある自立的人間として。自己の運命の決定者として。みなそう。

自己評価に基づいて行動する自由がないとしたら、ビジネスに邁進し、自分の運を切り開く事に何の意味があるというのでしょう。

実績と目標との間に横たわるギャップ。そこに階段をつけることが、今働いている形です。


百獣の王ライオンは。
自分の子供を谷に突き落とし、這い上がってきた子のみを 選んで育てる。
王者たるものの自己評価の厳しさを 表す話でもあります。

谷に突き落とす必要はないけれど、自分を突き放してみて、公正な自分を見つめる。
ことのすすめ。


自分の職能の完成度を高められるのは、自己評価の積み重ねしかありません。
必要な事だろうと考えます。
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大通りアウトバーン。

2005-06-07 | 日日是好日。

はは。

ゲルマン民族の地に 飛行機も離着陸できる大きな道がある。 
速度無制限。 アウトバーン。と呼ばれる。

オオドーリ・アウトバーン。

はは。


ゲルマン人たちは 国家の威信をかけた大工事の約束は、指きりでしたという。

・・・指きりゲルマン・・・。

はは。


誰やねん?



愛しいぐらい サブレ が食べたい。

おお。 いとしのサブレな。

はは。



おまえ。なにやらしても ノロマやなぁ。 休みの日もそうなんか?

へえ。 のローマの休日。 でおま。

はは。


こんな人でっけど?


わからん。


やっぱり。わかりませんか?


わからん。


ところで はは。ってなんやねん?

笑ってるんですけど。


その はは。って 人を馬鹿にしたような笑いやめなさい。

いや。これは 自虐的 なんですけど。


そしたら その脈絡のないギャグはやめなさい。

いや。これは 脈絡がないから 自ギャグ的 なんですけど。


いっぺん。 豆腐の角に頭ぶつけて 死ぬる? あんた。

豆腐の角では死ねませんなぁ。 残念ながら。


ははは。

やめなさい!

はははははは。

やめぇ いうてるやろ!

やめしまへんでぇ。 石にかじりついても。 


なんでやねん!

わし あんたのこと 好きなんですわ。


・・・・・。



憧れ。 と 好き。とは違うようであります。
苦手。 と 嫌い。とも違うようであります。
南無煩悩大菩薩。
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ねんぶつ。

2005-06-06 | 日日是好日。

ボロは着てても~ 心は~錦~

どんな~ 花より きれいだ~ぜ~。

わ~かいときゃ 2度ない~

お~ 男な~ら~ 

人のやらな~い~ ことを~や~れ~

・・・・ってかぁ!



水前寺はん。 うたってましたなぁ。

体力や気力ちゅうもんは 確かに若いときに 溜め込んだものの 財産で生きてる気もします。

齢重ねてくると 正直さや 常識なんていうものも そのような財産がモノを言うようです。

どうしても超えられなかったものを 超えようとすると 齢を重ねるほど 弱いことになりま。


ボロっちゅうもんは お着物を指すだけじゃあ おまへん。

未熟さや 羞恥 も指すように思われるなぁ。

思うようにいかなくても 人に恥かしいとおもわれようが 心は錦でいきましょか。



結果どうあれ 思う事に嘘なく やってるか?

人として 立場として 自らの復習・予習をしているか?

わしは わしに 恥ずかしゅうない人間として これでええと言えるか?

まだまだ わかい。 死ぬまで若い。 今からちゃんとしょ。

ちゃんとしますよってに 運や縁が 逃げんようたのんます。

南無煩悩大菩薩。パンパン!




・・・・・とうちゃん。 さっきから なにブツブツいうてはんの?

お! ねんぶつ。 となえとったんや。


ふ~ん。 なんていうてたん?

お前さんがたがな。 
ちゃんと挨拶できる。 何が恥かしい事かわかる。 
当たり前のことが普通にできるような 正々堂々とした子供になるようにってな。


ふ~ん。 ねんぶつ で叶うの?

叶うか叶わんかわな。 ねんぶつを父ちゃんが やれるかどうかや。


すまんなぁ。 ええ家にも住みたいやろうにな。 ふがいのうて。

上等やん。ここで。 何も恥ずかしゅうない!


・・・グスン。・・・おお。・・我息子よ!


・・・・・

・・あんた。・・枕抱いて スリスリ よだれつけるのやめてや!

・・・・・ほへ?・・・・・なんや。また夢かいな・・・。
ま。夢でもええわ。・・ええもんに会えた。




やがて花咲く春やきたらん。
哉。哉。
南無煩悩大菩薩。
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朧月夜。

2005-06-05 | 日日是好日。

菜の花 畑に 入り日 薄れ

  見渡す 山の端 霞深し
 
 春風 そよふく 空を見れば

    夕月かかりて 匂い 淡し



日没と月の出。
美しい風景に美しい言葉。

どんなつまみよりも おいしいあてになる。


どんな月にも日本の古人は名前をつけた。

暇だったのではない。 心が豊かで余裕があったのだ。


今日当たりは上弦の月の始まり。

なんていう名前がついているのでしょうなぁ。


日の出がしっくりきたり。

日没にうっとりきたり。

新月に元気になったり。

下弦の月に希望をみたり。



なんとなく朧月夜。

なんとなく朧落陽。



ま。黄色は幸せの色ともいいますし。

黄色いハンカチは持ってませんけど。




今日はお月はん。顔見せますやろか。
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空海さん。

2005-06-04 | 日日是好日。

四国では至るところで空海さんの足跡を見て取る事ができる。

以前 司馬遼太郎さんが書いた空海さんの風景。がそのまま残っている。

弘法大師。空海。さん。

四国人の信仰の源といえるのではないだろうか。

土佐生まれの私にとって 弘法大師が空海さんのことだと知ったのはずいぶんと成長してから。

名前がいいなぁ。とおもったものだ。

徳島から室戸岬を回る途中の海辺では 鯖大師。 でも親しまれていた。

四国88箇所。を回るお遍路さんの風景は 私の原風景でもある。



・・・悪さばっかりしよったら、お遍路さんに連れて行って貰うぞね!

とよく母ちゃんにしかられた。

・・・なんちゃあ こわいことないき。 

と強がってはいたが 山頭火さんのような旅装の修行僧はやはり威圧感があった。



春から夏にかけての 青嵐の季節。 に風に吹かれる旅僧をおもいだす。

すっきりとした青空と 若葉爛漫のまぶしい光の中で 遍路をいく 旅人。

私の 空海さんの風景。


南無大師遍照金剛。
日日是好日。
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ぼく。

2005-06-03 | 日日是好日。

どうしてここにいるんだろう。 か。 な。

なんだかわからないけれど。

こころがいたい。

いたいいたいのとんでけ~。

とんでいった。

なんだかわからないけれど。

あたまがいたい。

ちちんぷいぷいのぷい!

消えた。

なんだかわからないけれど。

どきどきする。

ねんねんころりよ。ねんころり。

おちついた。

ぼ。ぼ。ぼくは。うどんがすきなんだ。

ぼ。ぼ。ぼくは。きゅうりがすきなんだ。

しかしなぜ。手を握り締めている?

じゃんけんチョキ!

グーで勝つより チョキで負けるほうが ぼくはすきです。


・・・。


探したわよ! 一人で遠くに言っちゃ行けないっていったでしょ!
おたふくかぜなんだから!


・・・・。 ぼくは おたふくかぜなんだって。
おたふくかぜのぼく。


やがて どこふくかぜ のわしになりました。


南無煩悩大菩薩。
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快楽と叡智。

2005-06-02 | 日日是好日。

快楽の果て。

等と言う言葉を聞くと 
堕落や滅亡を連想するのは先入観の賜物であって とんでもありません。

読んで字の如く 快楽は快楽なのであります。

叡智とは本来 辛苦哀楽の何層にもわたる地層から滲み出るものでありましょう。

快辛。快苦。快哀。快楽。 
人を動機付け生の実感をまざまざと こんこんと とうとうと つむぎだす事象であります。

チベット密教では 性交を司る仏さまの数々が教えを表現します。

真の快楽は真の叡智への出発点。


だって仕方ないじゃありませんか。
快楽の誘惑ほど ひとの理性を奪い去るものはないのであるからにして。

悦楽と快楽は こりゃまた違いますんで 一緒にしないで下さい。


なんでもそうでありますが 形態や表現や見たもの感じたものが同じでも 質 が違う事がよくあります。

味噌もくそも一緒にすると 盲目的になります。

盲目的な快楽からは なにやら変なものが生まれそうです。


快楽による叡智 と。
叡智による快楽 と。

まるで螺旋階段のように絡み合う 相互の困惑。



今年はアインシュタインさんの相対性理論誕生からから100年のようです。

叡智としてこの100年我々は 相対的に時間も空間もゆがむ。という感性を得ました。


おそらく快楽。 であろうと思われる事には叡智が潜んでいる。

われわれの中の宇宙を探検するような 相対的なもの。

快楽と叡智。



・・そのとおりでんなぁ。

なにが? そのとおりなんでっか?


いや。 かいらくはエッチ。 でえられるちゅうことでっしゃろ。

あほか。あんたは。 かいらくとえいち。 じゃありませんか。


・・・えいちは・・ H ちがうんでっか?・・・・。

だめだこりゃ!



南無煩悩大菩薩。
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逃げたらあかん。

2005-06-01 | 日日是好日。

相撲のぶつかり稽古。

真正面から当たりま。

ちっこい相撲取りはんも 大きい人と。

弱い相撲取りはんも 強い人と。

正々堂々。負けても負けてもぶつかりま。

これが自分の今の実力。 仕方おまへん。

せやから 強うなるんですな。



正面から今の自分を鍛えんと 逃げて策を弄してたら 絶対に一人前の関取にはなれませんやろ。

世間の中で自分の弱さが判るから 自分の生きる道が見えるんちゃいまっか?

そうやって。誰にも負けへん 自分の 型 ができるんでしょうな。

ぶつかって負けるのは 大いなる自信になるはずでおま。



やりだした事は 正面からやる。

もうあかん! おもうたら しゃあないですけど。

しょうもない 理由で逃げたらあきまへん。

その理由ぐらいを守って生きていくのが関の山になるんちゃいますやろか。

あきらめて出て行くのはかましまへんけど 逃げたらあかん。


生を踏んで怖れず。


人それぞれの一生ですさかいに 選択は自由ですけどな。


一丁やったりましょか! わし弱いでっけど。 ちゅうもんも必要でっしゃろな。


弱かろうがアホやろうが情けなかろうとも
強かろうが利口やろうが自信があろうとも


人はそう思っていないことも多いものでございます。

自分に怖れんように。



よっしゃ!
生を踏んで怖れず。
南無煩悩大菩薩。
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