南無煩悩大菩薩

今日是好日也

想いでの桜木。

2007-07-11 | つれづれの風景。

横浜の桜木町にも想いではあるが、この桜木には、痛い想いでがある。

なにごとも過ぎてしまえば、忘却という淘汰圧から逃れる術はなくなるが、身にしみて体験したものは、その力に抗う強さを持つようだ。

懲りる。という学習の基本要素の大事さを想う。

しかしだ。懲りたからと言って2度としない訳でもないだろう。

懲りたことでも懲りずにする。ことも人はよくやってしまう生き物だ。

痛い想いをしたとしても、それにみあう人生の何かは掴んでいる所為かも知れない。

人の記憶は面白い。

痛い思いよりも、この芝生の柔らかさが、懐かしいのである。

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蜻蛉蓮鴨。

2007-07-10 | つれづれの風景。

スプリングハズカム。は春が来たと訳す。

トンボハスカモ。はなんと訳そう。

・・・。


梅雨の合間のひとこま。

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過程1.

2007-07-09 | つれづれの風景。

このようなものが。
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過程2.

2007-07-09 | つれづれの風景。

こんなことになり。
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過程3.

2007-07-09 | つれづれの風景。

こういう具合に咲く。


植物系統の発生過程は、遅咲き早咲きと、時間の経過に個体差があり、動かないので、その一群を理解しやすく、過程観察が容易だ。

群生地では、一度にその一生を垣間見ることが出来る。理科の勉強にはもってこいなのよ。植物という生き物は。

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過程4.

2007-07-09 | つれづれの風景。

近づくと。こうなっている。

こうなるには、こうなるべくの過程がある。

その過程を経ないものが、そうはならないのである。絶対に。

ひまわりの実を口にするのに、あとすこし。



人の過程もわかるとよろしいのになぁ。

理科だけではなんともしがたいのが人の過程であり、家庭のことでもあります。

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分析。

2007-07-06 | 有屋無屋の遍路。

物事を分析するときの、基準点として必要なのは、「In spite of」つまり「にもかかわらず」そうなっているのか? 「because of」つまり「ゆえに」そうなっているのか?と考えることだといわれる。


一般的には、がんばっているにもかかわらず上手くいかないことは多い。
しかし、ゆえに上手くいかないことのほうが、本質としては多いだろう。

なんのために分析を行うかというと、「改善」の為である。

にもかかわらず、その理由を見つけることに汲々としてはいけない。
ゆえに、こうすればもっと上手くいくという可能性を見出し、賭けるのだ。

つまり改善とは、理由を作り出すことではなく、その理由を消し去ることにあるのだ。



にもかかわらず、こうなってしまった以上は、ゆえになったのではないから、それはそれで、しょうがない。ということもあろう。

そこではじめて使うのが、「しょうがない」である。
この言葉を、にもかかわらず使いすぎる人は、責任を取らされても、「しょうがない」のである。

それは、ゆえに「しょうもない」のである。


・・・。


自分で自分を引き受けて生きていく。

分析するということは、そういう意味合いもありそうです。


にもかかわらず。わたしはいまだに昔の私のままのようでもある。

ゆえにおじぞうさんたちの笑顔に助けられている。

しかるに、傲慢と執着との付き合い方が、改善のポイントであろうと思うのである。


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ベロベロの神様。

2007-07-04 | 酔唄抄。

ここで三合、かしこで五合、拾い集めて三升あまり。


歌舞伎のせりふじゃありませんが、はしご段に呑んでいけば、ベロベロに酔っ払います。

ここで麦酒に、あそこで日本酒、かしこで焼酎、拾い集めて、まだのむ洋酒。

完全にベロベロの神様に気に入られてしまいます。


そのうち、頭真白、濁りがなくなり、へろへろになるのでせう。

記憶もなければ、銭も無い。

よせばいいのに、神のお告げを聞きすぎる。

水はあんなに呑めませんが、アルコールが入るとのめますねぇ。

わたしは敬虔な信者なのです。


天国と地獄をはっきりと教えてくれるのであります。

べろべろの~神様は。

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犀。

2007-07-03 | なんとなく落書。

差異はなくとも親子犀。

さいさいよらせてもらいます。

財はなくとも債はある。

さいですか。

ほなさいなら。

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オイディプスと金太郎と鳥使い。

2007-07-02 | なんとなく落書。

籠の鳥は可愛そうだ、せめて空を飛ばしてやりたいと、紐をつけた鳥使い。

落飾して、獣との勝負にこだわらなくなった金太郎。

父を知り、母を知ったオイディプス。



鳥使いは、鳥に連れられ大空を舞い、地上を忘れる。

金太郎は人里に下りて、人間を知る。

オイディプスは、親を知ることでコンプレックスを脱する。



鳥使いはオイディプスであり、オイディプスは金太郎であり、金太郎は鳥使いである。



鳥は親性であり、親性は獣である。

鳥使いは、私自身なのだ。



・・・・・。



訳のわからない物事や関連性の無いストーリーが何を意味するのかに、整合性を求めることは疲れる。

こんな疲れることが、夢では頻繁に起こる。

なんだったのだろう。という感情が、朦朧とした中に残る夢がある。

コントロールできないからこそ、夢は夢としての価値があるらしい。

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