物事を分析するときの、基準点として必要なのは、「In spite of」つまり「にもかかわらず」そうなっているのか? 「because of」つまり「ゆえに」そうなっているのか?と考えることだといわれる。
一般的には、がんばっているにもかかわらず上手くいかないことは多い。
しかし、ゆえに上手くいかないことのほうが、本質としては多いだろう。
なんのために分析を行うかというと、「改善」の為である。
にもかかわらず、その理由を見つけることに汲々としてはいけない。
ゆえに、こうすればもっと上手くいくという可能性を見出し、賭けるのだ。
つまり改善とは、理由を作り出すことではなく、その理由を消し去ることにあるのだ。
にもかかわらず、こうなってしまった以上は、ゆえになったのではないから、それはそれで、しょうがない。ということもあろう。
そこではじめて使うのが、「しょうがない」である。
この言葉を、にもかかわらず使いすぎる人は、責任を取らされても、「しょうがない」のである。
それは、ゆえに「しょうもない」のである。
・・・。
自分で自分を引き受けて生きていく。
分析するということは、そういう意味合いもありそうです。
にもかかわらず。わたしはいまだに昔の私のままのようでもある。
ゆえにおじぞうさんたちの笑顔に助けられている。
しかるに、傲慢と執着との付き合い方が、改善のポイントであろうと思うのである。