南無煩悩大菩薩

今日是好日也

グッズ・ブレス・ユー。

2013-12-13 | 古今北東西南の切抜
(logotype)

グッズ(GOODS)とは商品や品物の事だが、文字道理GOOD(グッド)な良いものたちでなければならない。

がしかし世の中はそうとばかりはいかない。

商品とは、顧客セグメンテーション、顧客ニーズ、バリューチェーンなどのマネジメント、外部要因が自社コストに及ぼす影響など、つまりマネジメント・ロジスティクス・技術開発への思考、それらの機会と、姿勢とにおいて比較優位を編み出す商品開発と広告宣伝販売促進活動全般を通じて産み出されるものである。

すなわち、付加価値(儲け拡大)の流れを本分とする活動である以上、生産思想、設計思想、営利思想において、よりグッズなものを製造し届けるというメインの思想がなければ粗製濫造乱発に傾きやすいのである。

情報化社会の発展の良いところで、そのような思想のない紛い物たちにとっては不都合な情報もすこしは開示されるようになってきた。

企業に対してもある社会学者はこんな警笛を鳴らしている。
「情報開示の進展によって市場の効率性が高まると、欺瞞や目くらましなどの手段を用いて、あるいは消費者の怠慢に乗じて市場シェアを得ていた商品や企業は、形勢が不利になる。一方で、価値の高い商品を合理的な価格で提供する企業は、繁栄するはずである」。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アローンとロンリー。

2013-12-12 | 世界の写窓から
(source)

私はひとりきりは苦ではないし、むしろ好きかもしれない、ただひとりぽっちは切ない。

確かダンテの神曲の中に、「天国への階段は、生きている人が忘れず想い出してくれるたびに、一段づつ登れるもの」というようなことが書いてあった。

人を忘れないようにすることで、私もロンリーではなくなる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多数決について。

2013-12-11 | 世界の写窓から
(photo/source)

ケツをとるときの問題点の一つに、「基礎的な選択知識」というものがある。小学生相手に「明日の給食はハンバーグとカレーとどっちがいいか」などは問題ないが、「ゆとり教育の見直しは妥当かどうか」などという問題を多数決で決めるのは問題である。

特に「大きな石と小さな石と同時に落としたらどちらが早く落ちるか」といったような科学的な問いは、引力の授業の前と後で多数派は逆転する。

ハーバード大学のEzra Vogelという教授は、学者としてこんなことを言っている。
「僕を含めハーバード大学の先生は米政府や様々な財団に研究資金を出してもらっています。ですから学生だけでなく、国民、社会全体にも知識を与える義務がある。民主主義国家では国民の水準が低いと、政治家がいい政策をとることができない。その意味で僕らの責任は非常に大きい」

いくら平等で民主主義的にみえても、ケツで決めていいものとダメなものがあるのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そとに匂う。

2013-12-10 | つれづれの風景。

能楽笛方の藤田六郎兵衛氏は、「無音の音」と題したエッセイの中でこんなことを言っている。

「たとえば鹿威しの音。音に気付いた瞬間、音のない間を数えてしまう。耳を澄まして二度目の音を待ち、同じ数を数え、鳴ったその音にホッと息を吐く。なにげなく聞いていた時は、ただの音のない空間であったものが、心をそこに向けた時から、それは重く大きな宇宙のような空間として存在を増す。このことに気付くのに、笛を手にして55年という時間が必要だったのである」

同時に能楽論の「花鏡」にある「せぬ隙(ひま)」つまり何もしない間についての世阿弥の言葉も引用されていた。

「隙々に 心を捨てずして 用心を持つ内心なり この内心の感 外に匂ひて面白きなり」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

在り方の難儀さよ

2013-12-07 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(photo/source)

「生きるときはただ生き、死ぬときは死に向かってただ従う。厭ったり願ったりしてはいけない」

「薪は燃えて灰になるが、だからといって灰は後、薪は先と見てはいけない。その前後関係はあくまで断ち切れており、あるのは現在ばかりなのだ。人の生死も同じで、生が死になるのではない。生も死も一時の在り方にすぎない」-道元「正法眼蔵」より-

「悟るとは悟らで悟る悟り也、悟る悟りは夢の悟りぞ」と古歌にはある。

とはおっしゃれど、難儀、難解、それもまた在るところに在るのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

必ず来るいつか。

2013-12-06 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(red giant/Dirk Terrell)

「もし地球を救うために一時間を与えられたら、課題の定義に59分を費やし、残りの1分で分析を行うだろう」-アルバート・アインシュタイン-

太陽は生まれて45億年、あと同じぐらいかもう少しで赤色巨星となり膨張を始め、水星金星を呑み込み地球に迫り、地球も危うし一貫の終わりだろうと云われている。

おもえば人生なるものもそのほとんどを定義づけに明け暮れている。終にその来るいつかの前にほんの少しだけでも分析ができたら・・・、

救われる、とはそういうことかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

待つべきか、歩くべきか。

2013-12-05 | 世界の写窓から
(original unknown)

シェイクスピアのハムレットほどの葛藤はなくとも、少なからず人は逡巡する。

ただただ自分で決めるということの外はない。

そしていったん決めたら、こうしたらああしたらということはすっかり忘れてしまうことを約束する必要がある。

その取り組みが正しいかどうかということと、その取り組みが成功するかどうかということは、また別の問題だともいえるからである。

自己と契約し、自己との契約を守る、どっちに転んでも、それが正しいことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みえているとみているの違い。

2013-12-04 | 世界の写窓から
(photo source)

ニワトリの眼は超広角レンズを備えかつ遠近両方同じように焦点を合わせて見ることができるらしい。

鶏眼での世界はどんなふうに見えるているのか見当もつかないが、それだけ四方八方に注意を払えるのはこれぞ慧眼だともいえそうだ。

しかしそれだけ多くの外部情報を同時に処理するとなると鶏の脳の容量ではとても足りないだろう。

反射神経と視神経は同義に繋がり、視覚情報は処理されるものではなく、条件反射のためのマップになっているのかもしれない。

パブロフのニワトリ、そんな研究はもうとっくに答えが出ているのかもしれないが。

「これ見ててね」といわれて、見ているだけで用を為さなかった者が「でも、ちゃんと見てました」という落ちの話は幾らでもあるが、みえているとみているという違いについても、この話に近い「センス」の問題だという気がするのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クレーの新しい天使。

2013-12-03 | 意匠芸術美術音楽
(paul klee/new angel)

「かれ(天使)の眼は大きく見開かれていて、口はひらき、翼は拡げられている。歴史の天使とはこのような様子であるに違いない。彼は顔を過去に向けている。ぼくらであれば事件の連鎖を眺めるところに、かれはただカタストロフィのみを見る」-ヴァルター・ベンヤミン-

死者を目覚めさせ、廃墟を再生しようとする天使だが、楽園から吹いてくる強風に、なすすべもないまま、自分が背中を向けている未来の方へ運ばれてゆく。その強風を、ベンヤミンは「進歩」と呼んだという。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

良いものを選ぶ。

2013-12-02 | 世界の写窓から
(photo unknown)

新しいものが良いものでもない、古いものが良いものでもない、

良いものが良いものなのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

識別子。

2013-12-01 | 意匠芸術美術音楽
(original unknown)

近年の脳の研究から、人間が自分で意識して思考している部分は脳の働きの中の氷山の一角でしかなく、その下に無意識の広大な基礎があり、情動による身体との連結があるので、明確な意味での自由意志などというものも、本当は存在しないことがわかってきたのだという。

例えばある種の優れた識別を行える人たちは、抽象と具体との往復運動を、大きな幅で頻繁かつ高速に繰り返すようだ。

私はネガティブなことを謂っているのではなく、もっとポジティブな人間の可能性のことを謂っているのである。

つまり、「クソくらえ、システム」というようなことを小声で言ってみたいだけなのである。


(original unknown)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする