毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「揺れた尖閣諸島(釣魚島)問題から一年後」2013年10月18日(金)No.775

2013-10-18 19:33:35 | 中国事情
一年前の自分のブログを読んでみた。
あの頃に比べ、今は本当に落ち着いている。

昨年10月、身の危険を回避するため、自分が日本語専攻であることを
公衆の面前で言えなかった日本語学科の学生たちも、
一年間、さらに日本語会話や日本概論、文学、作文、翻訳等々、
地道に、懸命に学習を続けてきた。
その姿はけなげとしか言い様がない。
彼女ら・彼らが常に言うのは
「私たちにできるのは、勉強することだけです。」
という言葉だった。

今は就職活動や進学準備に余念がない4年生、
まさに日本語学習の正念場を迎え、
校内日本語コーナーの屋台骨として成長している3年生、
運動会や新入生歓迎会のイベントの中心で生き生きと活動する2年生、
とまあ、なんとか皆元気を取り戻してやっている。

今日は運動会で授業がなく、校内日本語コーナーも休みだったが、
そんな日に限って、農大南昌商学院(日本語学科)の学生数人が、
「先生、財大の日本語コーナーどこでやっているんですか。
参加しようと思って麦盧園に来ているのですが、場所がわからなくて・・・。」
と電話をかけてきた。
行動的な他大学の学生たちが財大に来てくれたら、
財大生にとってメチャいい刺激になる。
嬉しい電話だった。
大学入学前までは受験勉強ばかりで、クラブ活動やサークル活動など、
ほとんど体験できずに来た財大生だが、
最近は、八一公園の日本語コーナーに参加する子も少しずつ出てきた。
何でも続けるもんだ。

昨年日本から私のブログ文へのコメントとして、
「日中友好などお人好しなことやっていて、
怪我をしても自己責任ですよ。せいぜい気をつけなさい」
みたいなのがあったが、本当に要らぬお世話だ。
そういうコメントをよこす人たちは、
現実を少しでも良くするために自分は何ができるのかという発想がない。
なので日中両国民が理解し合えるための提案もしないし、
ひっくりかえっても実行などしない。
ただ、揶揄したり、皮肉を言ったりして、危機的現状を肯定しているだけだ。
いったい、そういう人たちは何のためにコメントをしてくるのだろう。
本当に私のことを心配してくれているのではないことだけは明白である。
ぐちゃぐちゃ要らんことを言って、
中日両国民が仲良くなる邪魔をしたいのだろうか。
もしそうなら、まことに人生を無駄遣いしてる人だ。

唐突ですが、今日の一首(いや、私の歌じゃなくて(^_^;))。
昼間、中島敦の「弟子」を久しぶりに読み返して落涙し、
続いて青空文庫で敦さんの文をあれこれフォローしていて次の歌を見つけた。
1942年12月、中島敦は喘息発作で亡くなった。
日本は戦争の真っ最中だった。

この地球(ほし)の人類(ひと)の文化の明るさよ
背後(そがひ)の闇に浮出て美し
  ―中島敦「憐れみ讚ふるの歌」より





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