毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「日本人にとっての正義と復讐の関係」

2013-10-30 21:37:14 | 日記
「半沢直樹」がウケるわけについて、ちょっと前のブログに
何十年か前の時代劇「水戸黄門」的であること、
「強きを挫き、弱気を助ける正義」が視聴者に心地よいのではないかと書いた。

その後さらに「半沢直樹」は「忠臣蔵」にも重なるという気がしてきた。
「10倍返し」に表される復讐の心である。
私は日本人の美意識に「復讐」など似合わないのではないか、
日本人はアッサリしているというか、忘れっぽいから……と、
思ったりもしたのだが、
「忠臣蔵」は赤穂藩士たちが、
主君が恥をかかされた上に切腹させられたことに対して復讐を企図し、
粘り強い周到な準備と討ち入り実行によってそれを貫徹するという話だ。
話と言っても、完全な作り話ではなく、
江戸中期徳川綱吉時代の史実に基づくドラマである。

で、ポイントはこの復讐は正義の行いであると、
歴代多くの日本人に認められてきたことにある。
「半沢直樹」の復讐も、
貸してくれるといったお金を理不尽にも銀行が貸してくれないために
父が自死せざるを得なかったので、弱きをくじく非道な銀行への復讐をする話だ。
復讐=正義という式はここでも成り立っている。

実は、私は幼小の頃よりNHK大河ドラマが苦手で、
父や母が好き勝手な感想を言いながら、
興奮気味にNHKテレビの「忠臣蔵」を見ていたのは覚えているが、
内容よりあの重厚な音楽の方がよほど印象深かった。
ドラマそのものは、
(大人がこんなに興奮するんだからよほど面白いんだろうな)と、
食い下がってもみたのだが、どうしても途中から眠くなるか、
意味不明で飽きてくるかの何れかだった。

今だに意味は分かるにしても、あまり共感できないのは、
恥をかかされた主君のために赤穂藩四十七士が吉良上野介邸に押し入って、
家人を散々殺傷したのは、正義?ですかね??

当時の日本人の、とりわけ武士階級の価値観であるところの、
主人の恥はお家の恥、浅野内匠頭は赤穂藩のお殿様なので、
お殿様の恥は藩全体の家来が総力で返上すべきもの、ということになるのだろうか。
[恥をかかされる=面目をつぶされる]⇒[復讐する=面目が保たれる=正義]

半沢直樹と赤穂浪士の正義概念には明確な違いがある。
半沢直樹の場合は、弱きを挫く非道な存在に対して、
弱き者の身内として復讐することが正義で、
赤穂浪士の場合は、恥をかかされた相手に復讐することが正義である。

ここまで考えてきて、ハッと思ったんだけど、
安倍晋三という人は、完璧「忠臣蔵」的正義感に満ち満ちている人物ではなかろうか。
祖父の汚名(A級戦犯容疑)を晴らし、祖父の悲願である「自主憲法の制定」を
孫の自分が実現することで面目を保つ=正義の実現という式を基に
日本国民を動員しつつ復讐劇を展開しているイメージが非常にピッタリする。
誰に対する復讐か。
当然、歴史の事実に対する復讐である。
私はこういうのに付き合う気は毛頭ない。














コメント
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