戦争当時、とりわけ、広島の原爆投下前後の悲惨を描いた漫画「はだしのゲン」を、
子どもたちに見せまいとして、
鍵のかかった書架に移すように松江市教育委員会が小中学校に指示し、
全国からの抗議で慌ててその措置を撤回した。
昨年夏の出来事である。
その時、子どもたちの目に触れさせないようにした理由は、
少数の「市民」から「暴力描写に過激な部分があり、子どもには不適切」
という指摘があったから、ということだった。
8月末、また、松江市の学校の本棚に戻った「はだしのゲン」を、
子どもたちが「これ、読んでいいの?」と次々に手に取り、
書棚には一冊も残らなかった、という記事を読んだ。
だが、その後、子どもたちが「ゲン」を読んでどんな感想を持ったのか、
先生方が子どもたちにどんなことを伝えて来たのか、
「はだしのゲン」は本当に子どもたちの発達年齢にとって不適切だったのか。
なぜ、どのメディアもそれを取材しないのか。
話題になった出来事の上っ面ばかり追いかけ、
継続的、教育的、本質的にものごとを掴み、伝えようとしない
日本のマスコミ体質の姿がまたしても浮かびあがっている。
ところで今回、大阪府泉佐野市では、市長の千代松大耕(ひろやす)(40歳)が
「はだしのゲン」の作品の中にある
「きちがい」「乞食」「ルンペン」という言葉を「差別的表現」として、問題化し、
昨年11月、千代松市長の意向を受けた中藤教育長という人が、
一部の小中学校に「市長が『ゲン』を問題視しているので、
図書室から校長室に移して子どもらの目に触れないようにしてほしい」
と口頭で要請した(まるでネズミ男だね、この人)。
で、今年1月には、市立小中学校18校のうち、
「ゲン」を所有する小学校8校、中学校5校に対し、市教委に漫画を持って来させて、
集めた作品は市教委が保管していたということだ。
今回は、泉佐野市の校長会(校長先生たちの会)の頑張りが伝わってきた。
校長会として1月23日、
「特定の価値観や思想に基づき、読むことさえできなくするのは子どもたちへの著しい人権侵害だ」
として、回収指示の撤回と漫画の返却を求める要望書を教育長に提出していた。
「差別語」と「差別的表現」については別の機会にまた書きたいが、
今日、私の頭に浮かんできたのは、
ただ(の)市長が言ったことに右往左往してかけずり回る中藤教育長と、
少数の「市民」のクレームに振り回された松江市教育委員会の同一性であり、
それと対照的に、学校現場の校長先生たちは、
それなりに真面目に踏ん張ろうとしているのだな、ということである。