そうそう、忘れないうちに書いておこう。
一昨日の昼、蛟橋発麦盧園行きのスクールバスを待っていた。
いつもと同様にボーッと立っていたら、
通りすがりの3人の女子学生が、こちらを見ないまま、
「こんにちは」「こんにちは」「こんにちは」
と日本語で三回繰り返して言って、ギクシャクと通り過ぎて行った。
もう数日前は、麦盧園で授業に向かう途中、
5階までの階段を(「ありがたい、運動のチャンスだ」と思おう)と
自分に言い聞かせながら上っていた時のことだ。
直ぐ脇を上ってくる数人の、これも女子学生の中から、
「日本老師」という声が聞こえて、そちらを向くと、
恥ずかしそうにそそくさと逃げて行った。
また、資料室にわざわざ、
「スクールバスのスケジュールを教えて」などと中国語で聞きに来た女性(職員?)もいて、
その場にいた日本語学科の学生たちが通訳してくれたのだが、最後にその人は、
「ありがと」と日本語で言って出て行った。
急にどうしたんだろう。
それは、この大学のwebニュース(3月3日)に私の記事が載ったからとしか考えられない。
そのニュースは、日本の読売新聞に掲載された記事を要約したものだった。
(今、そのwebニュースをもう一度見ようとしたら、もう消されていた。その経緯は分からない)
すぐに消されたにしても、既に多くの学生がその記事を目にしている。
上海や北京の4年生、卒業生たちからも反応があった。
見知らぬ学生たちの「こんにちは」や「日本老師」はその影響ではないか。
わざわざ資料室にバスの時刻を尋ねに来た知らない女性も、何かを表現したかったのだろう。
web記事は、「中日両国民が歴史認識を共有し、胸襟を開いて付き合っていかなければならない」
と私が言ったという主旨でまとめていた。
女子学生たちや見知らぬ女性は、それに賛意を表してくれているのではないか。
私はそう思う。
それにしても、きっかけは読売新聞の記事だ。
載った写真は最悪だったが(笑)、記事にしてくれた石塚記者にはとても感謝している。
どこの新聞社にも(たとえ産経でも)、そんな記者が一人は存在していると信じたい。