毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「メディアの影響力を痛感」 2014年3月23日(日)No.877

2014-03-23 12:06:25 | 中国事情

そうそう、忘れないうちに書いておこう。

一昨日の昼、蛟橋発麦盧園行きのスクールバスを待っていた。

いつもと同様にボーッと立っていたら、

通りすがりの3人の女子学生が、こちらを見ないまま、

「こんにちは」「こんにちは」「こんにちは」

と日本語で三回繰り返して言って、ギクシャクと通り過ぎて行った。

 

もう数日前は、麦盧園で授業に向かう途中、

5階までの階段を(「ありがたい、運動のチャンスだ」と思おう)と

自分に言い聞かせながら上っていた時のことだ。

直ぐ脇を上ってくる数人の、これも女子学生の中から、

「日本老師」という声が聞こえて、そちらを向くと、

恥ずかしそうにそそくさと逃げて行った。

 

また、資料室にわざわざ、

「スクールバスのスケジュールを教えて」などと中国語で聞きに来た女性(職員?)もいて、

その場にいた日本語学科の学生たちが通訳してくれたのだが、最後にその人は、

「ありがと」と日本語で言って出て行った。

 

急にどうしたんだろう。

それは、この大学のwebニュース(3月3日)に私の記事が載ったからとしか考えられない。

そのニュースは、日本の読売新聞に掲載された記事を要約したものだった。

(今、そのwebニュースをもう一度見ようとしたら、もう消されていた。その経緯は分からない)

すぐに消されたにしても、既に多くの学生がその記事を目にしている。

上海や北京の4年生、卒業生たちからも反応があった。

見知らぬ学生たちの「こんにちは」や「日本老師」はその影響ではないか。

わざわざ資料室にバスの時刻を尋ねに来た知らない女性も、何かを表現したかったのだろう。

web記事は、「中日両国民が歴史認識を共有し、胸襟を開いて付き合っていかなければならない」

と私が言ったという主旨でまとめていた。

女子学生たちや見知らぬ女性は、それに賛意を表してくれているのではないか。

私はそう思う。

それにしても、きっかけは読売新聞の記事だ。

載った写真は最悪だったが(笑)、記事にしてくれた石塚記者にはとても感謝している。

どこの新聞社にも(たとえ産経でも)、そんな記者が一人は存在していると信じたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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