毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「ノーベル賞の話とかしました」No.1693

2016-06-18 23:37:42 | 人間

今日は、昨年8月末に菏澤に来て以来初めて、

一人の学生と9時間半にも及ぶ長話をしました。

宿舎に遊びに来た兎さん(今日は仮りの名:パッと見ウサギさんを想起したので)は、

正確に言えばもう卒業生です。

前の大学でも1年目は政治の話はかなり気をつけていましたが、

この学校でも、それは同様で、授業中も合間にも中国の政治・社会の話はしていません。

その反動でしょうかね、

今日はマン・ツー・マンで話ができたのと、

もう卒業したという気楽感があって、

話題はあちこちに飛びまくり、そういう話も好き放題しました。

それで、(ああ、やっぱりここでも・・・)と再確認したのが、

①2010年ノーベル平和賞の受賞者劉曉波さんのことを知らない、ということ。

(中国人が受賞したという事実も知りませんでした)。

②1989年の天安門事件も知らないということ。

当然、劉曉波さんが天安門事件の「四君子」の一人であることも知りませんし、

現在、遼寧省の監獄に入れられていることも、

連れ合いが北京の自宅で軟禁状態であることも、

ま~~~ったく知りませんでした。

しかし、彼女は文化大革命であまりにも多くの中国の知識人、芸術家、活動家が

自殺に追い込まれたり、謎の死を遂げたりしたことは知っていましたし、

それは中国人ならみんな知っているということです。

そして、

「四人組」のうち江青を含め三人までが、ここ山東省出身だということは、

彼女から聞いて初めて知りました。

「山東省人として情けない」と彼女はうつむきつつ言い、

周恩来と鄧小平が中国の恩人だとも語りました。

更に話は彼女のお祖父さんのことになり、

元軍人のお祖父さんの写真を見せてくれました。

中国で72歳と言えば立派なお年寄りですが、写真のお祖父さんは

颯爽として、しかも洒落男でした。

父が国民党員だったので、

御祖父さんの軍隊での地位はとても低くて、いつまでもうだつが上がらず、

結局辞めてしまったとのことです。

今では、菏澤市に属する県で自分の家族が食べる分の

野菜を作り(お祖父さん手作りの乾燥ピーナッツが今日のお土産でした)、

中学生の孫のご飯の支度など世話をしているそうです。

 

 

国民党員だった人の家族や遺族は、中国全土に多くいます。

私が知っている学生たちの中にも自分の祖父母、曾祖父母が、

国民党員だったことで、その子供や孫たちが多大なマイナスの影響を受けたという話は

何度か聞いています。

菏澤学院の学生たちは、政治に対する関心が非常に薄いという印象でしたが、

やはり、「物言えば唇寒し秋の風」が作用しているんだなあと思い直した日でした。

 

 

 

 

 

 

コメント
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