毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「さあ、やりたければやればいい:メリル=ストリープの決意」No.1854

2017-01-13 21:19:32 | 人間

 鄭州空港の近くのホテルに到着しました。

移動のエピソードについては後日述べることとして、

今日は心震えるアメリカ人のスピーチを載せたいと思います。

 

アメリカという国の犯罪性とは真逆に、

尊敬に値する多くの人々を輩出したのもアメリカです。

メリル=ストリープ、そのアメリカ人の名前は皆さんご存知ですね。

私は『クレイマー、クレイマー』でその演技力に感嘆し、

その後選んで観たわけではありませんが、

『マイ・ルーム』、『ミュージック・オブ・ハート』、『永遠に美しく』、『マディソン郡の橋』など、

たまたま観たどの作品の彼女も面白くて溜まりませんでした。

メリル=ストリープがこうしたスピーチをする方だとは分かりませんでしたが、

彼女が俳優として異なる人の生き方に入り込み、

それを私たち観衆に伝える演技に徹する人だということは感じていました。

アメリカの自立した一人の女性俳優が

自国の次期大統領を真っ向から批判したスピーチは、

全世界の心ある人々に必ず届くに違いないと思います。


――――――ニューヨークタイムス・ニュースサービス

【緊急全訳】メリル・ストリープのゴールデン・グローブスピーチ 2017.1.9

 

PHOTO: PAUL DRINKWATER / NBC UNIVERSAL / GETTY IMAGES

 2017年1月8日、第74回ゴールデングローブ賞授与式で、映画界に長年貢献した人物に与えられるセシル・B・デミル賞を受賞したメリル・ストリープのスピーチが話題になっている。

ハリウッドの多様性、次期大統領に対する痛烈な批判、ジャーナリストを守るための支援など、政治的な内容ゆえに賞賛と非難の声があがっている。
いち早くクーリエ・ジャポンがその全訳をお送りしよう。

お座りください。ありがとう、親愛なる皆さん。おゆるしください、先週末、叫んだり嘆いたりして声が出ないんです。それから、この1年の途中で、正気も失ってしまったので、書いてきたものを読ませてください。
「ハリウッド外国人映画記者協会」の皆さん、ありがとう。ヒュー・ローリーが先ほど言ったことを続ければ、ここにいる皆さん、私たち全員はいま、米国社会のなかで最も中傷されている層に属しています。だって、ハリウッド、外国人、記者ですよ。
それにしても、私たちは何者なんでしょう。ハリウッドとはそもそも何なんでしょう。いろんなところから来た人たちの集まりでしかありません。

私はニュージャージーで生まれ育ち、公立学校で教育を受けました。ヴィオラ・デイヴィスはサウスカロライナの小作人の小屋で生まれ、ロード・アイランドのセントラルフォールズで世に出ました。サラ・ポールソンはフロリダで生まれ、ブルックリンでシングルマザーに育てられました。サラ・ジェシカ・パーカーはオハイオで8人兄弟のなかで育ちました。
エイミー・アダムスはイタリアのヴィチェンツァ生まれです。ナタリー・ポートマンはエルサレム生まれです。
この人たちの出生証明書はどこにあるんでしょう。
あの美しいルース・ネッガはエチオピアのアディス・アババで生まれ、ロンドンで育ち──あれ、アイルランドだったかしら──今回、ヴァージニアの片田舎の女の子役で受賞候補になっています。
ライアン・ゴズリングは、いい人たちばかりのカナダ人ですし、デヴ・パテルはケニアで生まれ、ロンドンで育ち、今回はタスマニア育ちのインド人を演じています。

そう、ハリウッドにはよそ者と外国人がうじゃうじゃしているんです。その人たちを追い出したら、あとは、アメフトと総合格闘技(マーシャルアーツ)くらいしか見るものはないですが、それは芸術(アーツ)ではありません。
こうした皆さんが私に3秒間くれたのは、次のことを言うためです。

役者の唯一の仕事は、自分たちと異なる人々の人生に入っていくことで、それはどんな感じなのかを見ている人に感じさせることです。まさにその役目を果たした力強い演技が、この1年もいっぱい、いっぱい、いっぱいありました。息をのむ、心のこもった仕事ばかりです。

しかし、この1年の間に、仰天させられた一つの演技がありました。私の心にはその「釣り針」が深く刺さったままです。
それがいい演技だったからではありません。いいところなど何ひとつありませんでした。なのに、それは効果的で、果たすべき役目を果たしました。想定された観衆を笑わせ、歯をむき出しにさせたのです。
我が国で最も尊敬される座に就こうとするその人物が、障害をもつリポーターの真似をした瞬間のことです。
特権、権力、抵抗する能力において彼がはるかに勝っている相手に対してです。心打ち砕かれる思いがしました。
その光景がまだ頭から離れません。映画ではなくて、現実の話だからです。

このような他者を侮辱する衝動が、公的な舞台に立つ者、権力者によって演じられるならば、人々の生活に浸透することになり、他の人も同じことをしていいということになってしまいます。

軽蔑は軽蔑を招きます。暴力は暴力を呼びます。力ある者が他の人をいじめるためにその立場を利用するとき、私たちはみな負けるのです。
さあ、やりたければやればいいでしょう。

さて、この話が記者につながります。私たちには信念をもった記者が必要です。ペンの力を保ち、どんな暴虐に対しても叱責を怠らない記者たちが──。建国の父祖たちが報道の自由を憲法に制定したゆえんです。
そういうわけで、裕福で有名な「ハリウッド外国人映画記者協会」とわが映画界の皆さん、私と一緒に、「ジャーナリスト保護委員会(Committee to Protect Journalists)」の支援をお願いします。ジャーナリストたちが前進することが私たちにとって必要だし、彼らが真実を保護するために私たちが必要だからです。

最後に一言。あるとき、私はセットの周りで、何かについてグチをこぼしていました──ほら、私たちは夕飯も食べずに長時間働いたりなんだりするでしょう。そのときに、トミー・リー・ジョーンズが私に言ったんです。
「役者でいられるって、すごい特権じゃない?」
ええ、そうです。私たちはその特権と、共感する役目の責任をお互い確かめ合わなければなりません。私たちはみんな、ハリウッドが今夜ここで栄誉を授ける仕事に誇りをもつべきです。
私の友人で、親愛なる去りしレイア姫が、かつて言ったように、砕かれたハートをもってアートにしましょう。

※スピーチの書き起こしは、Meryl Streep’s Golden Globes Speechで読むことができる。

© 2017 New York Times News Service

ーーーーーーhttp://courrier.jp/news/archives/72974/

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