菏澤学院キャンパスにはあちこちに石の塊が置いてあります。この石はどう見えますか。
今日は昨年秋ごろの2年のスピーチ原稿を手直しして
エッセイにしたものをご紹介します。
テーマは「私の高校時代」。
1年半前まで高校生だった彼女ら・彼の高校生活のエピソードです。
あまり類型的でないものをピックアップしてみました。
お読みになってどんな感想をお持ちになるでしょうか。
そうそう、中国ではほとんどの子どもたちは、中学、高校は寮生活を送ります。
場合によっては小学校に入学するときから寮に入らなければならない地域もあるそうです。
―――唐瀾「私の高校時代」
普通の中国の学生と同じように、私の高校時代は毎日勉強が忙しくてつまらなかったです。私たちが毎日楽しい時間は食事の時間でした。一生懸命勉強したあと、皆は疲れて、お腹も空いています。(もし、今おいしい食べ物があればどんなに幸せだろう)。私たちはいつもそう思っていました。
私の高校の食堂は二つありました。一つは大きくて他の一つは小さいです。大きい食堂の料理は美味しくて、種類もいろいろあります。しかし、値段はちょっと高くて、それに人も大勢います。小さな食堂の値段は高くないですが、大きい食堂ほど美味しくないです。それでも人は大勢います。それは大変です。なぜならば、毎日の勉強任務が終わったら、そんなに大勢の人と食べ物を奪い合う力がもうありません。ですから、毎日授業が終わった後、すぐ食堂へ走らなければなりません。
そして、私の高校では、一年生、二年生と三年生の建物が違います。三年生は自分たちのビルがあります。勉強の場所としてはとても静かですが、大きい食堂までの距離が遠いです。三年生は勉強時間がたくさんあってとても忙しいです。だから、大きい食堂へはあまり行きません。小さい食堂で勝手に食べ物を買って、すぐ教室へ帰らなければなりません。毎日朝早くから勉強で始まり、夜遅く勉強で終わります。先生もいつも私たちに時間の大切さを語っています。
「早く、早く!」
「速く!時間がない!」
「もっと勉強しなければならない!」
「青春とは一生懸命勉強することだ!」
このような話を聞いて私の高校時代は過ぎました。
先生の話を聞いて前よりもっと、もっと勉強した私の様子を今思い出すと、とてもおもしろくて、懐かしいです。大学ではそのように一生懸命勉強することはだんだん少なくなりました。しかし、その時の意識はいつでも大切です。人は何歳でも勉強が必要です。高校の時も、大学の時も、そして、社会人になってもそうです。
―――陸恵敏「私の高校時代」
四年前、私は高校に入学したばかりで、友達とあまり親しくなっていませんでした。ある晩、クラスメートみんなで遊んだ後、みんなは続々とそれぞれの寮に帰りました。私はルームメートの観さんと林さんと一緒に帰りました。
そのうちの一人、観さんはビールを飲みたがって、林さんとビールや他の飲み物を買いに行ってしまいました。林さんは、
「陸さん、私たちはすぐ帰るから、陸さんは前を歩いているクラスメートを探して一緒に帰って。」
と言いました。私は仕方なく、一人で寮の方へ歩いて行きました。途中、狭くて暗い道を通りました。その時私は、生まれて初めて夜道を一人で歩いたのでとても怖かったんです。一人で進む勇気がありません。後ろを振り返っても、林さんと観さんはもう見えませんでした。私は二人に電話をかけましたが、二人とも出てきませんでした。だから、私はまた、独りぼっちであるいてみました。
30秒程歩いたら、周囲はもっと暗くなりました。道に電気が一つもありません。風が吹いてきたら、まるで人の声のようでした。私は続けて行くことができなくて、また元の所に戻りました。二人に電話しましたが、また出てきませんでした。
(この道で合っているの?怖い!)ずっと彼女たちに電話を掛け続けた後、ようやくつながりました。でも、私が「すぐ戻ってきて。」と言って、まだ話し続けているのに、電話は切れてしまいました。私がまた電話したとき、彼女たちはやっと出ました。私がどれほど困っているかを言うと、彼女たちは心配してすぐ私を探しに来てくれました。
彼女たちの顔を見たとき、私は涙を流して、
「どうして私だけ残した?二人ともバカじゃない?どうして私の電話に出てくれなかった!」
私は怒っていましたが、それ以上に怖かったんです。
二人はずっと私を慰めました。林さんは、
「早く帰ろう。寮でビールを飲んだら楽しくないことは全部忘れるよ。」
と言いました。
その夜、三人はたくさん話をしました。それから、私たちはとてもいい友達になりました。
―――陳棋穎「私の高校時代」
私が高校時代で一番忘れられないのは、クラス全員で数学の先生にお誕生日を祝ってさしあげたことです。
その時、私たちは文科と理科にクラスが分けられたばかりでしたから、まだお互いによく知りませんでした。しかし、みんなは共通して、数学の先生が大好きでした。先生は非常にユーモアと責任感があります。私たちは文科生なので、みんな数学は弱い学科です。でも、先生は数学のよくない学生を見捨てませんでした。週末には無償で、同級生たちに数学を教えました。授業の時、先生はよく冗談を言うので、学生たちは気楽な気持ちで方程式を理解することができます。だから、クラス全員、数学の授業が大好きでした。皆の数学の成績もだんだん良くなってきました。
先生の誕生日に私たちはサプライズを差し上げる計画を立てました。皆は先生にケーキやプレゼントを買ってきました。また、あるクラスメートは家でラーメンを作り、学校へ持ってきて先生に差し上げました。その夜、私たちは先生と一緒に誕生日の祝い歌を歌いました。皆でキャンドルも点しました。先生は、
「どうもありがとう。一生忘れられないなあ。」
と言って、泣きました。
「先生は素敵な先生です。皆、先生が大好きですよ。」
クラスメートたちは口々にそう言いました。班長は記念写真を撮りました。
みんな、とても嬉しくて、この時のことは皆の心の素敵な思い出になりました。これは私の人生で初めて、先生と一緒に過ごした誕生日です。 この誕生日の後、クラスメートたちはお互いに仲良くなりました。それから団結したクラスになりました。
卒業後、同窓会でよくこのことが話題になります。今、私たちは皆違う地方の学校で勉強していますが、冬休み、あるいは、夏休みにもやっぱり、数学の先生の家を訪ねます。
―――韋彤「私の高校時代」
皆は銃を携帯して学校に通ったことはないだろう。
見た目は普通の生徒、しかし衣服の下にはいくつもの武器を隠し持っている。――それが高校時代の私だった。日本の作家、赤松中学の『緋弾のアリア』というアニメの影響で、私はアニメの中の「武偵」という特殊な職業の真似をして、銃を身につけるようになった。もちろん、本物の銃ではない。だが、本物と間違われるほど似たものだった。
そのように武器をいくつも持っている私は危険な存在で、学校に許されるはずはなかった。なぜ、私のクラスメートは先生に密告したリ、警察官を呼んだりしなかったのだろう。私の持っている武器を怖がっていたのだろうか。いや、そうではない。だって、私が決して武器を皆に向けたりしないことは皆知っていた。それは、私とクラスメートとの信頼関係なのだ。たとえ友達とどんなに大喧嘩をしても、私は武器を出したりはしない。
「武器を出したら先生に知られる。そうしたらお前は終わりだ。」
そう言われたら否定できないが、私の武器は皆を守るためだとみんな知っていた。私はそう信じている。
振り返ってみると、私の携帯していた武器は、銃はもちろん、他にハサミやライトや棒などの小さいものだった。その中で最も役に立ったのは、ハサミとライトだった。銃が役に立ったのは、教室に侵入した昆虫とかを追い払うことしかなかった。しかし、それが役に立つ機会が少なくてよかったと思う。もし、銃の恐ろしい機能が役立つと言う場合、それはどれほど危険な事件だろう。
大学に入った今の私は、相変わらずいろいろな武器を持っている。しかし、銃を持つのはやめた。なぜならば、やはり恥ずかしいからだ。それに偽物の銃は昆虫以外、あまり役に立たない。それに対して、ハサミやライトは必需品になった。私はこれらの武器で、さらにみんなを守り、みんなの力になりたいと思っている。
――――――――――――――――――