そろそろ旅日記も終わりにしなければなりません。
余立君さんのお母さんの宋老師、そして施芳芳さんと青海省西寧で別れ、
最後に私たち三人(余さん、周さん、私)が飛行機で向かったところは、
陝西省の西安です。
そもそも、今回の旅行の発端は上海在住の余立君さんが、
「先生、どこか旅行に行きましょう。どこがいいですか」
と聞くので、「西安の兵馬俑を見たい」と答えたことに端を発したものです。
しかし、当初二、三日の旅だと思っていたものが蓋をあけてみると、
青海湖、チャカ湖、敦煌、ゴビ砂漠、シルクロード行きがプラスされて
超豪華な旅と化していたのでした。
結論から言いますと、私は少し西安の町に落胆しました。
なんか、京都っぽい匂いのするただの観光地だったのです。
ゴビ砂漠~敦煌~シルクロードに圧倒された私の目には、
もう他のどんな地域の魅力も
公平に映らなくなっていたのかも知れません。
それでも兵馬俑は圧巻でした。
始皇帝陵を守るために、陵を背にして敵を迎え撃つ
8000体にも及ぶ臣下、衛兵、馬などの俑が
総面積20000平方メートルの土地に埋められていたのですから、
中国国内のみならず、世界中が大騒ぎになるのも頷けます。
中に入り、最初に立った場所は、
陽光がまだらに当たって写真がこんな風になってしまいました。
ついに首から上が見つからなかったものは、首無しのまま並んでいます。
一つとして同じ顔のものはなく、
発掘された時は鮮やかな色が残っていたそうですが、
掘り返されるや否や、たちまち色の劣化が始まったそうです。
下は、まだ修復途中のもの。
これらが発見されたのは1974年、まだ50年も経っていません。
降水量の少ないこの地域の農民が、
井戸を掘る作業をしていたさ中に発見したのだそうです。
実は、私はその第一発見者である楊志発さんにお会いしました。
ちょうど何かのイベントが午後からあるので、
午前中、楊さんは記念品販売所みたいなところに座っていらっしゃったのです。
私が「いいえ、結構です」と何度も断っても、
教え子やガイドさんたちが非常に強引に
「握手してもらいなさい。無料ですから。」と勧めるので、
そんなに固辞しても失礼かと思い、
握手してもらったのはいいんですけど……。
その後、思った通りあの本を買え、このパンフレットを買え攻撃が
怒涛のように押し寄せてきたので、
教え子たちと私は一目散にその場を離れたのでした。
(だから、握手なんかしたくなかったのに~~)とプリプリ怒りながら。
いや、でも今となってはいい記念かも。(;''∀'')
午後は、唐の玄宗皇帝と楊貴妃が暮らした「華清宮」に行きました。
ここを観光して、青海省や甘粛省で見たものとの違いをつくづく感じたのです。
西安で私が目にしたものは、
時の権力者の威光や足跡を見せつけるものばかりですが、
敦煌の莫高窟や嘉峪関には厳しい自然の中で暮らす
庶民や兵士の生活の匂いが残っていました。
西安は古代諸王朝の首都で隋や唐の時代には長安と呼ばれ、
皇帝の居住地だけあって、
暮らしやすい環境と敵から攻め込まれない地の利があったのでしょう。
今もそこに暮らす人々は文化的でハイソな感じがします。
経済的にも重要な都市西安は、
(こんな都市は世界にいくつもあるんだろうな)と思わせる雰囲気が
町中に漂っていました。
下は楊貴妃の像です。以前は誰でも近づいて触れたそうですが、
人びと(特に男性)が楊貴妃のどちらかの乳房をやたら撫でるので、
左右の乳房の大きさが変わってしまい、
止む無く距離を取るようにしたとか。
下は楊貴妃が使っていたお風呂。
こちらは玄宗皇帝用で大きいです。
何を思ってか、コインがたくさん投げ込まれています。
この日は非常に暑く(40℃くらい)、
何の魅力もないこんなお風呂を見てよけいに暑苦しくなりました。
宮の外にデンと構える玄宗皇帝像。
この華清宮のトイレは非常に清潔でいい香りがし、
さらに驚いたことには、ミストまで随所に設置されていました。
洗練された都市ならでは……とは言え、私はまた訪れたいとは思いません。
西安の町はしばらく暮らせば、もっと違う面が見えてくるのでしょう。
たった一日半しか滞在しなかった者が否定的なことを言ったからといって、
そんなに気にしないでください。
そうそう、最後に、夜繁華街に出かけて観たお年寄りバンドのショーは
非常に楽しかったです。
「YOUNG AT HEART」の西安版と言っては少し若過ぎるかしら。
ロック魂を感じましたよ。