この7月の旅行の際、私は同行した五人の中国人に
日本についてあれこれインタビューをしました。
ガイド兼ドライバーの馬さん(青海省人)、余立君さん母子(江西省人)の
3人の話は紹介済みです。
実は、三人の教え子たちとは長い付き合いであるにもかかわらず、
改まって日本と自分との関わりを聞くのは初めてでした。
三人三様である部分と、
日本人との付き合いの過程で日本に対する見方が変わったという共通部分があります。
たかが一人の日本人教師とは言え、
自分は日本人の代表として中国の学生たちにジッと見られていたんだなあと改めて感じました。
それは、日本国内の小学校で働いていたときに、
大人の代表として、子どもたちからジッと見られていたのと同じです。
「人間のベストな姿」を見せるのが教師の仕事だと思います。
ベストな姿って何よ?ですけど(笑)。
今日は、化粧をバッチリ決めた周文毓さん(江西省宜春出身)の話です。
インタビュー 2017.7.21青海省卓尔山の家庭ホテル(民宿)で。
Q:日本について初めて知ったのは?
幼い頃、祖父母と一緒に暮らしていたとき、
祖父母は中日戦争のドラマが好きで、よく一緒に見ていました。
だから、日本人の印象はあまりよくなかったです。
Q:みんな「あまりよくなかったです」と遠慮がちに言いますが、本当はどうですか。
本当はドラマの中の日本人はとても悪い人でした。
学校での教育も、日本人は中国人にとても酷い事をしたと学びました。
だから、日本人は「とても怖くて人間性のない、鬼のような人たちだ」と思っていました。
Q:お祖母さんが周文毓さんに話してくれたことを紹介してください。
祖母は長年、「日本人は悪い人たちだ」と言っていましたが、
私が大学で日本語を学び始めてから、家に帰るたびに、
実際に自分が接した日本人、つまり、T先生〈私のこと〉や
南昌八一公園の青空日本語教室に来ていた日本の人たちのことを引き合いに出して、
「日本人はそんなに悪い人たちではない」と言うと、
そのとき初めて、祖母の幼い頃の話をしてくれました。
〈中日戦争のとき、祖母の家族は山東省に住んでいました。
あるとき、祖母の母(曾祖母)が、幼い祖母を連れ、弟を胸に抱いて日本軍から逃げていました。
そのとき、後ろから日本軍の兵士が追いかけてきたんです。
胸に弟を匿って逃げる曾祖母は宝物か財産を持っていると勘違いされたのでしょう。
日本軍兵士が「止まれ!止まれ!」みたいなことを怒鳴りました。
曾祖母はあまりの恐怖に転んでしまいました。
そのとき、その兵隊が近づいて見たら、持っていたのは宝物じゃなくて子どもです。
その兵士は何もせず、行ってしまいました。
傍で一部始終を見ていた祖母はまだ幼かったですが、
そのときの記憶はずっと残っていたのです。〉
私はその話を聞いて(今まで、祖母は日本人が大嫌いだと思っていたけど、
実は、本当はそんなに嫌っていなかったんだ)と初めて知りました。
私が大学で日本語専攻を選んだときも、祖父母はなかなか喜ぶ顔をしなかったんです。
でも、日本語を学び続ける中で、祖父母とも次第に理解を示してくれるようになりました。
戦争中のエピソードを語ってくれたのもそんなときでした。
Q:日本語学科を選んだ理由は何ですか。
アニメです。戦争ドラマを見ながら同時に、日本のアニメもよく見ていました。
小さいとき家族皆で見ていたのは「ちび丸子ちゃん」です。
他にも、例えば「クレヨンしんちゃん」、「鉄腕アトム」、「NARUTO」とか「犬夜叉」など・・・。
「名探偵コナン」や「ウルトラマン」は今でもテレビでやっています。
私は「犬夜叉」が大好きで、
高校時代、特に、犬夜叉のお兄さんの殺生丸さまが好きでたまりませんでした。
テレビでは放映されませんが、宮崎駿のアニメもネットで見ていました。
中国にもアニメはたくさんありますが、日本のアニメの方がもっと面白いと思います。
Q:大学の日本語学科で学ぶ中で何か考えが変わりましたか。
大学に入る前、自分の頭の中の日本人像はただ、
「戦争ドラマの悪い日本人」と、「アニメの中の面白い日本人」という二つだけでした。
しかし、大学に入って実際にT先生や他の日本人に接したら、
日本人に抱く印象は豊富になり、日本人も同じ普通の人間だと思うようになりました。
また、中国人にはない、いい習慣を身につけているとも思いました。
例えば、まじめさです。具体例を挙げると、
T先生は学生の宿題をきちんと添削して返してくれます。
特に大学の中国人の先生はそんなに厳しくないですが、
T先生はとても厳しくチェックします。
Q:大学院で日本文学を研究している周文毓さんにとって日本文学の魅力は何ですか。
私は日本文学も中国文学も好きです。
以前は、日本の文学作品を中国語訳で読んでいましたが、
中国語訳と日本語の原文で読むのとでは読後感がかなり違います。
日本文学の中には中国語に翻訳できない情緒的、感性的なニュアンスが含まれます。
その微妙な独自性に惹かれます。
Q:最も好きな日本の作家と作品は?
研究論文に選んだ山崎豊子です。
作品は『白い巨塔』、『大地の子』、『沈まぬ太陽』とかが好きです。
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このようにして、
日本語学科の学生たちはよく学ぶほど知日派になっていき、
その中から確実に親日派が育っていきます。
私が中国に行ったばかりのときには、
中国がことさら好きでも嫌いでもなかったのに、
6年間、中国であれこれ格闘しているうちに知らず知らず、
かなりの親中派になっているのと同じでしょう。
戦争時の日本軍の話ですが、
周文毓さんの曾祖母の例は、私にとってどれほどホッとするケースだったか。
実は前日、余立君さんのお母さん(宋老師)から、
お母さんと同じ村出身のお婆さんの話を聞いたばかりでした。
周文毓さんの曾祖母を黙って行かせた日本軍兵士は、
かろうじて人間の理性を失っていなかったのでしょうが、
宋老師の村を襲った日本軍は、既に鬼に変化していました。
日本人だから鬼になったのではなく、
戦争では、どこの国の兵士も鬼になるのです。
宋老師の話は次の通りです。
〈日本軍が村を襲ってきたとき、村の60歳を過ぎたお婆さんも必死に山へ逃げようとしました。
しかし、そのお婆さんは清朝時代の習慣で纏足だったので、
ヨチヨチとしか歩けなかったのです。
村人たちは、もう60を過ぎた年寄りだから大丈夫だろうと思っていたのに、
日本軍兵士たちはそのお婆さんをレイプしました。
とても小柄なお婆さんの性器は小さすぎて、
日本兵たちはまず、お婆さんの性器を革靴で何度も叩き、踏みにじり、破って、
その後、強姦したのです。
村人たちが戻ると、お婆さんは瀕死の状態でしたが、
村のみんなは鶏の生き血をお婆さんの身体にこすり付けて、
何とか生き返らせることができました。〉