毎日がちょっとぼうけん

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「南昌高松中日友好会館に行ってきた」2013年7月1日(月)No.696

2013-07-01 20:45:13 | 中国事情
昨日、6月30日(日)初めて南昌高松中日友好会館に行ってきた。
小西両先生の後任でいらっしゃった筒井百合子先生への表敬訪問である。
て言うか、
博堅先生の水戸黄門様にお供する助さん・格さん、
あるいはさらにその手下みたいな役どころかと。
とにかく、一度はその有名な会館を訪れてみたかったので
博堅先生からのお誘いは嬉しい機会だった。

朝、9時に宿舎前から703バスに乗って市内に向かったところ、
約束の時刻より1時間も早く市内に着いてしまった。
(いっつも渋滞なのに~(ーー;))
涼しいウォルマートで時間を潰そうと店に入ったまでは良かったが、
人の多いこと、多いこと・・・。
博堅先生のお宅についたときは既にくたびれ切っていた。

陶さんという人の車で4人、青山湖近くの会館へ向かった。
またまた渋滞なく15分で着いた。
南昌市内をスイスイ移動なんてめったにあるもんじゃない。
堂々と立つビルディングの名前にきっちり「南昌高松中日友好会館」の文字が。
昨秋9月~10月の時期にはこの看板も隠され、
何か全く別の名前にして難を逃れていたと聞く。
香川県高松市から3ヶ月ごとに派遣される日本語講師ボランティア事業は
2001年に始まったというから、もう12年続いている。
ボランティアの多くは退職されて元気いっぱいの60代の方々のようだ。
「日本の元気は60代にあり!」を実感する。
今回いらっしゃった筒井百合子さんもまた、爽やかでお元気な退職組だ。
彼女について今日の四国新聞社ネット版に記事があった。
以下転載

中国・南昌市派遣の日本語講師が高松市長表敬
2013/06/27 09:41

 日本語講座の講師として香川県高松市の友好都市、中国・南昌市に派遣される筒井百合子さん(62)=高松市牟礼町=が26日、市役所に大西市長を訪ね、活動への抱負を語った=写真=。

講座は南昌市に高松市が整備した高松・南昌友好会館で開かれており、
高松市日中友好協会が2001年からボランティア講師を派遣している。

筒井さんは27日に現地入りし、9月23日までの約3カ月間、
南昌市民らに日本語を指導する予定。
筒井さんは「先輩方が築いた歴史を引き継ぎ、
次にしっかりとバトンタッチできるよう努めたい」と語り、
大西市長は
「日中関係は厳しい状況にあるが、体に気を付けて頑張ってほしい」と激励した。
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/locality/20130627000178


筒井先生から、
(日本人が中国に行ったら殴られるのでは?)と、まだ心配している人がいると聞いた。
やっぱり現場との感覚のズレは大きいものだ。
南昌に限ってそんなこと、もはやない。
もし暴力事件に巻き込まれるとすれば、日本国内と同程度の可能性である。
最近、バスの中で楼さんと話していたとき、
傍に座っていたヒゲモジャの実に日焼けした男性が、
「日本語喋っているね。日本人か」
と急に尋ねてきた(中国語で)。
「すごいですね。日本語だということがどうして分かったんですか」
と聞くと(日本語で)、
「仕事で日本語を聞くことがあるから」(中国語)
とニコニコしていた。
つまり、楼さんの通訳で知らないおじちゃんと会話したわけです(^O^)。
一番警戒するタクシー内でも、最近感じの悪い対応には遭っていない。

さて、昨日は会館内のレストランでのランチの後、
筒井先生が抹茶をたててくださった。
道具やお菓子を高松から持参してくださったものだ。
こういうボランティアの出し惜しみしない行動・心配りが、
どれほどそれに接した中国の人たちの心を温かくすることか。
しかし、やはり中国と日本の違いもあった。
お茶をいただくとき、
日本人の私は自然に動作がゆっくり、丁寧になるが、
他の中国の方々は、逆で、落ち着かないせいもあってか
お菓子も瞬時にして食べ、お茶もてきぱきサッサと飲み終える。
日本の茶道600年の歴史は、
私のような日本の地の果てで暮らしていた者にも、
どこか影響を与えていたのを改めて感じた。
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