日本の新聞の一般的記事の書き方として、
記事を書く記者がシャキッと立っているはずの位置が見えてこないものが多いのです。
客観的・実証的な記事の書き方が基本であるというのには賛成ですが、
そのことが自分の立ち位置を隠すというのではないと私は思います。
一つの事件をどういう視点から見るかは大変重要で、
むしろ、それなくして記事は書けないのではないでしょうか。
沖縄の二紙は、多くの沖縄県民の立場、即ち基地撤去の立場で
記事を書いています。
沖縄の歴史も、言論の自由の必要性も呑み込めていない
教育勅語派の百田尚樹などは
「沖縄二紙は潰さないといけない」と何様のつもりか、
自分が言論人であることを顧みない愚かなことを言っていましたが、
言論には言論をもって反論し、相手の意見を聞いて
自分の考えを練り直し、練り上げ、相手の説得をはかるのが
民主主義のやり方です。
反対意見は封殺して当たり前という
縄文時代のこん棒振り回し作戦みたいなのは
21世紀にもなって、あまりに野蛮で恥かしいのでやめてもらいたいものです。
そんな私がジーンときたのは、今日の沖縄タイムスの2つの記事です。
一人の記者は阿部岳さんと、名前も分かっています。
(何か聞いたことあるな)と思ったら、2月に留学生の施芳芳さんと
辺野古を海上から視察する船に乗せていただいたときに
ガッツリ耐寒装備して乗ってはった若者でした。
いただいた名刺を山東省まで持ってきていたので照合してわかったのです。
記者がどんなに山城議長を信頼しているか、どんなに釈放を待っていたか、
それをどう表現したら沖縄県民と気持ちを共有できるかに
心を研ぎ澄まし、集中して書いたものだと思えます。
こういうのをいい記事だと言うんだなと私は思います。
おそらく、ずっと辺野古、高江に張り付き、
県民の声に耳を傾け、自分も考え、考え、やってきた人なのでしょう。
沖縄タイムスはいい記者を育てていますね。
長期勾留にも折れぬ心 涙の山城議長、
やせても拳に力
沖縄タイムス 3/19(日) 11:30配信
5カ月ぶりに保釈され、支援者と抱き合い喜ぶ山城博治議長=18日午後8時すぎ、那覇市樋川・那覇拘置支所前
「やったぞー!」。18日、那覇拘置支所から保釈された沖縄平和運動センターの山城博治議長は、夜空に両手の拳を突き上げて叫んだ。昨年10月の逮捕から5カ月超。痩せた姿が長期勾留の厳しさを物語る。それでも家族や支援者と抱き合い、花束に涙ぐみ、カチャーシーを舞い、仲間と肩を組んで闘争歌を歌った。約150人の支援者が詰め掛け、基地建設反対運動のリーダーを「ヒロジ」コールで出迎えた。
山城議長は午後7時58分、弁護団の4人に付き添われ、那覇拘置支所の建物から段ボール箱を抱えて出てきた。箱の中には、勾留中に国内外から届いた約400通の激励の手紙などが詰まっていた。支援者の輪に入ると、真っ先に妻の多喜子さんと抱き合った。
支援者に一礼し、両手でガッツポーズすると感極まったように目が潤んだ。「一日千秋の思いで待っていた。皆さんと再会でき、こんなにうれしいことはない」と釈放を喜んだ。
上下ジャージーで長靴姿。「せっかくの晴れの日に見てください、高江で捕まったまんまだよー」。乾いた赤土がこびり付いたままだった。
「夜7時になって突然、釈放だから早く準備しろ、と言われた。知らなかったのは自分だけだったんだね」と話す。ガッツポーズ、カチャーシーといつも通りの夫の様子に妻多喜子さんは「5カ月前と全く一緒で本領発揮。明日からまた、はって辺野古に行くと言いかねない」と笑った。
兄の正和さん(67)は弟が姿を見せる前から目を潤ませた。「これだけの人が待ってくれて、博治がどれだけ慕われているかを実感した。いつの間にか大きくなった」と感無量の様子だった。
阿部岳記者の視点[山城議長保釈]抵抗
県民の願い代弁
沖縄タイムス 3/19(日) 13:05配信
瀬長亀次郎氏が出て来た時もこうだったのだろうか。18日、那覇拘置支所前の群衆の中で、1956年の光景を想像した。
瀬長氏は復帰前、絶対権力だった米軍と闘い、微罪で1年半投獄された。当時の沖縄刑務所は今の拘置支所のすぐ近く。出所した時、門の外にはやはり多くの市民がいた。笑顔で右手を高く挙げ、応える写真が残っている。
山城博治議長の場合はどうか。市民が歌い出した。山城議長はカチャーシーを舞い始め、輪が広がった。
それは辺野古や高江で山城議長が育ててきた運動の形だった。機動隊と激しく衝突する一方、歌や踊りを取り入れ、なるべく幅広い層が来られるように心掛けてきた。
形は、山城議長が不在の5カ月間も引き継がれた。政府はリーダーを現場から引きはがして打撃を与えることには成功したが、市民はしぶとく抵抗を続けた。
18日歌われた「今こそ立ち上がろう」は山城議長の作詞。「沖縄の未来(みち)は沖縄が拓(ひら)く」と始まる。歌も闘いも、県民の最低限の願いを代弁している。
瀬長氏は「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ」という言葉を残した。その通り、瀬長氏の投獄は逆に市民の怒りに火を付け、米軍はついに沖縄占領を続けることを断念した。
(北部報道部・阿部岳)
勾留ありきの検察立証 森川恭剛教授琉球大(刑法)
保釈は当然だ。人質に取られたままでは弁護人も裁判を争うこと自体が難しく、無罪を主張するほど勾留が長期化しないか不安だった。検察官の有罪立証に対する防御権がやっと保証された形だ。遅きに失したが、勾留の必要がないことを、裁判官が初公判でやっと理解できたということだ。勾留理由の「罪証隠滅の恐れ」は、単なる言い掛かりで職権乱用と言える。
しかし、被告人であることから解放されたわけではない。行動の自由が制約され、キャンプ・シュワブのゲート前に立つことも禁じられているだろう。関連する集会参加などにも影響が及ぶかは不明だが、共犯とされる男性など、会える人物にも制限があるだろう。
初公判を傍聴したが、検察の立証は勾留ありきで、時間稼ぎの人権侵害裁判だ。証拠のビデオ映像は公訴事実前のシーンに終始した。本気で有罪にしたいのか、とあきれる展開だった。検察官は直ちに起訴を取り消し、裁判所は訴訟手続きを打ち切るべきだ。(談)
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(これはスローガンではないです)
今日25日は沖縄辺野古で県民大会があり、翁長さんが初めてキャンプシュワブゲート前集会に参加すると聞いています。基地承認撤回を高らかに宣言してほしいですね。あと、もう一人、みんなが待ち望むあの人も来てくれないかなあ、と……。人生を賭けて座り込む仲間のところへ……。