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「湖南省張家界・長沙に行ってきた1」2014年6月15日(日)No.920

2014-06-15 21:43:59 | 中国事情

湖南省とは江西省の西隣の内陸の省だが、

省都は長沙で、長沙は「中国の4代火鍋」を南昌と争う都市であること、

そして、湖南省は毛沢東の出身地であることくらいしか私は知らなかった。


今回、3年生の余立君さん、施芳芳さん、そして4年生の劉慧さんの3人に

案内してもらって未知の内陸省の一端を覗かせてもらいに行ってきた。

張家界は長沙から急行列車で11時間ほどさらに内陸に入ったところにあった。

汽車の駅を降り立つと、警察署の自動車から何やら録音の声が聞こえる。

聞くと、「社会的マナーを守ること、つばを吐き散らかさないこと、

ゴミを道路に捨てないこと」などと言っているそうだ。

そこからバスに乗り、約1時間で張家界のふもとの宿舎に到着。

早速午後にガイドさんに連れられて、張家界の一つ、武陵山に向かった。

ロープウェイでのぼり、下りは徒歩だという。

(へえ?歩かないの?)と思ったが、

後になってみると、歩いて登るなどとんでもないことだった。

だって、こんな山なんである。

 

あわわ。誰がこんな山を想像できたであろうか。

 

ガイドさんの話によると、

このロープ・ウェイはタイ人の技術者、労働者によって作られ、

昨年から運行しているそうだ。

それまでは50人乗りのバスみたいなロープウェイだったと聞いて、

(今年来て本当に良かった)と思った。

 

ロープウェイから下を見た。

下りには自分がこの森のどこかを歩いて降りるとは信じがたい。

 

山の上にはいくつもの見晴らしのいいところがあり、

64歳のガイドさんが軽やかな足取りでサッサと前を行く。

しかし、難所っぽいところになると、

「自分はここで待っているから、

あんたたち自分でぐるっと回ってここに戻っておいで」などと言うのである。

 

しかたなく、狭い急な石段を上ったり降りたり、

私たちは奮闘した。

 

こんな場所もあった。

 

へっぴり腰で渡る余立君さん。

もちろん、その後の全員も同じようにギクシャク固まりながら続いた。

 

柵の下はこれこのように怖いんである。

 

心を落ち着けようと上を見ると、サツキかな?と思える花があった。

 

 

そのように苦労して数時間後、午後7時頃ようやくふもとに戻れた。

人の生活が感じられてほっとする。

 

家の脇には鶏が放し飼いにされ、ひよこが何羽もピヨピヨ散歩していたが、

私たちの気配を感じてお母さんの胸元に避難してしまった。

 

今回の旅行仲間はこの3人のレディたち。

右から劉慧さん、施芳芳さん、余立君さん。

道中のエピソードは明日以降のお楽しみに~。

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