5月29日の琉球新報より
ダグラス・ラミス氏:
1936年アメリカ・サンフランシスコ生まれ。
カリフォルニア大学で政治思想史を学ぶ。
在学中に海兵隊入りし、60年沖縄に駐留。61年除隊。
80年から津田塾大学教授(政治学)。
2000年退任後、沖縄に移住し、執筆・講演活動を続けている。
近著「戦争するってどんなこと?」(平凡社)
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5・17県民大会とこれから―私の視座―
「意見」から「活動」へ
勝利はもう決まっている
私は1月から週2回ぐらい、那覇発の島ぐるみ会議のバスに乗り、辺野古のゲート前座り込みに参加している。2,3週間前からある噂がバスの中に流れはじめた。それは5月17日の県民大会で、翁長雄志沖縄知事が「爆弾発言」をするという噂だった。もちろん、それは「大浦湾の埋め立て承認の取り消しを決めた」という発言だろうと、私たちバスに乗った人たちは想像した。
しかし、17日の大会では知事のそのような発言はなかった。なぜ自分が新基地に反対するのかという話だった。訪米した知事がアメリカの国益しか考えていない米政府に同じような話をすればどうなるか、と心配になった。
しかし25日、知事は(小型)爆弾発言をした。指名した有識者委員会が取り消す法的根拠があると決めれば「取り消すことになる」と言った。まだワンクッションが入っているが、「検討する」という言い方より強いのだ。ところが次の日、菅官房長官は(これも小型)爆弾を投げ返した。つまり、知事が承認を取り消しても「工事を進めながら裁判を争うことになる」と述べた。「取り消し」で闘いは終わらないのだ。
「政府」と運動の違い
このことで私が再確認したのは、やっぱり翁長知事は『政府」であり、「政府」が運動の先頭に立つと期待することは間違いだということ。それは批判ではなく、ただ役割の違いに認識である。知事は知事として市民的不服従運動に参加できないだろう。米軍基地のフェンスにリボンやテープをつけ、カヌーに乗ってオイルフェンスを越えることもできない。「ワイヤーカッター(例えばフェンスのワイヤーを切る道具)」という言葉を彼の語彙に入れるわけにはいかないだろう。そして日米政府と交渉した場合、法の細かいところ、手続きや礼儀のルールも守らなければならないだろう。つまり、動きは遅いのだ。
そういう状況の中、市民運動はどうすればいいだろうか。文句を言っても仕方がないので、知事の決断を待つのではなく、自分が先頭だと認識し、先に動くしかないだろう。これは提案ではなく現状把握だ。つまり事実として、前から沖縄の市民運動は先頭になっている。
直接民主主義の復活
民主主義はいつ沖縄に来るか、という問いがあるが、その答えは民主主義の定義によるだろう。デモクラシーの本来の意味はその言葉の語源になっている古代ギリシャ語にある。demosは民衆であり、kratiaは力、権力、統治力という意味である。それがいわゆる直接民主主義だ。その何世紀も後に現れた間接民主主義は違う。それは、民衆は意思、つまり民意を示し、政府はそれに合うような政策を取る、というような制度だ。そうなると実現力は、力、つまり権力は政府にあることになる。民衆は民意を示し、政府はそれを基にして統治する、という役割分担だ。
現代の民主国家のほとんどはその間接民主主義(選挙民主主義とも呼ぶ)となっている。しかし直接民主主義は制度になっていなくても、事実として復活することがある。
例えばインドがイギリス帝国から独立できたのは、イギリス政府がインドの民意を尊重したからではなく、インドの国民が市民的不服従・非協力運動を展開し、だんだんと大きい権力になったからだ。インド国民は独立を訴えたのではなく、決めたのだ。ちなみに、マハトマ・ガンジーはインド独立前も後も、インド政府に勤めたことはない。
同じように、アメリカの黒人公民権運動の場合も、南部の州では人権による隔離制度は法律になっていて、黒人は政府にいくら訴えても政府はその制度をなくそうとしないので、若い黒人たちはその法律をわざと破る戦略を選んだ。例えば黒人立ち入り禁止のレストランに入り、座り込んで、出ろと言われても出ない、など。政府がやっと隔離制度を廃止したのは、黒人がその制度に反対の意見を持っていたからではなく、、黒人がその制度を守らないと決めたからである。
ちなみに、そのリーダーであったキング牧師に大統領選挙に出るように説得しようとした人がいたが、キングは断った。なぜなら、大統領になったら「政府」になり、政治活動できなくなるから、と彼は説明した。
もっと最近のこと。プエルトリコの離島であるビエケス島には米海軍の実弾演習場があったが、その村民の市民的不服従運動によってなくなった。島民はいろいろなことをやったが、演習場に入り、座り込み、テント村をつくり、使えなくした活動が最も効果的だったらしい。海軍にとって使えない基地はいらないので、その演習場を本土のフロリダ州へ移設した。
ピープルズ・パワー
5月17日の県民大会の話に戻る。その会場で、沖縄県民の辺野古新基地建設反対運動は絶対に負けないと思った。舞台からの言葉(それは立派だったが)を聞いてそう思ったわけではない。舞台ではなく、その場に集まっていた3万5千人(プラスα)の県民の姿を見て、これはすごい力だと思った。
民意=ピープルズ・ウィル(意見の段階)からピープルズ・パワー(活動の段階)に切り替える時、勝利はもう決まっているだろう。政治家の挨拶はもう十分に聞いたので、これからはゲート前が中心になるだろう。
翁長知事自身が選挙の時の演説で言ったように、(県内移設反対は)県民の動きが先で政府は後から来た。これからもそうだろう。