毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「辺野古でながいようさんに会った!」No.2164

2018-08-13 23:45:43 | 亜細亜

恩名村の道の駅「おんなの駅」で寛ぐながいようさん。

 

冬に引き続き、読谷村のShigekoさんには

泊めていただくだけでなく何もかも全てお世話になりました。

せっかく大阪から来たのだからと、

懐かしいわんさか大浦パークや高江、あぐりパーク、

「おんなの駅」(恩名村の道の駅)など、

毎日、単調にならないように、座り込み+ワンを考えて

あちこち連れて行ってくださいました。

その時、車も運転も引き受けてくださったのが、

知る人ぞ知る、ながいようさんだったのです。

お会いする前、(なんか聞いたことあるなあ)とは思っていたのですが、

wikipediaで「永井洋」という表記で載っているあの人でしたよ!

その記事には、

ディランⅡ、五つの赤い風船、西岡恭三、大塚まさじ、古川豪、

三上寛、西岡たかし、中川イサト、金森幸介……

ああ、何と懐かしい名前が並んでいることでしょう。

ここで白状しますが、

私は高校の頃(ほぼ半世紀前)、

友達と「フォーク連合」という同好会をでっち上げ、

放課後、それぞれがURCレコードやラジオで聞いたポップスを

持ち寄り、紹介し合い、歌っていた経歴があります。

きっかけは、

高校二年のときのある昼休み、学校にあの高石友也さんが来てくれて、

「学校で何を習ったの」「イエローサブマリン」「受験生のブルース」など

数々のフォークソングを歌ってくれたことです。

(労音が招いたライブの翌日、ついでに寄ってくれたんですよ!)

さらに、その一ヵ月後には、あの岡林信康登場です(これも労音で)。

知床半島の根っこの小さい町、

東京のラジオ電波が途切れ途切れしか聞こえないような日本の辺境に

この二人のフォークミュージックの旗手が来てくれたことは

私の人生に確実に影響を与えました。

その関西フォークの流れをくむながいようさん(ディランⅡ)が

毎日、ドライバーですよ!

Shigekoさんの人脈、恐るべし。

二人とも読谷村に移住した仲間なんですね。

下はながいようさんの最近のCDアルバムです

 聞いていて私は、友部正人さんを思い出しました。

70年代に歌を表現手段としていた多感な若者は、

今も沖縄の辺野古で吟遊詩人として健在です。

昨日、ながいようさんは「釜ヶ崎夏祭り」に登場した模様です

 

 

 

 

 

 

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「何が何でも工事ありきのゴリ押し:東清二琉球大名誉教授メッセージ」No.2163

2018-08-12 22:53:42 | 我が心の沖縄

昨日の沖縄県民大会で、翁長雄志知事の帽子が椅子に置かれていました。

まるで翁長知事がそこにいる気がします。

 

    

この県民大会に、琉大の東清二名誉教授がメッセージを寄せていました。

東教授は防衛省が設置した環境監視等委員会の副委員長だった人ですが、

委員会での沖縄防衛局と御用学者の癒着、腐敗ぶりに憤慨し、

辞職した人です。

このメッセージは、

国が「正当な手続きを踏んでいる」と主張する中身が

とにかく「何が何でも工事ありき」の強引な姿勢で貫かれており、

辺野古基地建設に正当性はないことを明示しています

東清二琉球大名誉教授

「8・11県民大会に寄せて」

私は2014年4月から、沖縄防衛局が設置した

環境監視等委員会の副委員長を務めていましたが、

今年4月に正式に辞職が認められました。

最初は環境監視等委員会で、

ちゃんとした監視ができると期待していました。

それで、埋め立て区域も含めてウミガメの産卵場所、

ジュゴンの食草であるアマもなど海藻の分布と密度、

ジュゴンが何頭いるのか、どれくらいの頻度で来ているのか、

などの調査を依頼したのですが、全然返事が来ない。

何も調べていないのです


委員会での発言の確認も第1回目の後はありました。

しかし、その後は議事録ができてくる度に全然違う。

発言をしても、こちらの要求までは書いていない。

委員会で藻場の問題も話しましたが、それは議事録には載らない。

防衛省は自分たちの都合の悪いことは議事録に載せないのです

委員の意見を聞いて、それを守るのが防衛省のはずなのに、

自分らに都合の悪いことは一切書かないで、

都合のいいことだけ書いて、それを守っていくだけなのです

そんな委員は意味がありません


県外からの委員には、沖縄のことはわからないんです。

沖縄に来て初めてサンゴを見た人もいたんじゃないでしょうか。

とにかく、委員会で何を言っても響かない。

開発一点張りで、サンゴのことだけは答えるが、

それ以外のことはまともに答えない。

海草藻場のことなどは見ないことにしよう、

聞かないことにしようと。

工事ありきで、他の意見は聞かないという態度です。

環境監視と言いながら、工事を進捗させるため、

何らかの了解を得るための委員会だと

防衛省は思っているようでした。

工事を進捗させることに関係ないことには耳を貸さないという態度ですね。

それじゃあ何の意味もない、何のための委員会かということで、

私は2015年3月に辞めると事務局に伝えました。

沖縄防衛局からはこの件で取材があれば、

事務局に聞いてくれと答えなさいと言われました

辺野古、大浦湾の環境は優れています。

特に藻場はすごい。

あんなに広い藻場は他にないです

それを埋め立てるのは自然破壊そのものです。

沖縄本島の山を崩して埋め土を持って来るのも、自然破壊です。

辺野古、大浦湾の埋め立ては、やめさせることです。

中止すべきです。

沖縄にはもう、これ以上、軍用基地はいらないです。

慰霊の日の翁長知事の発言には本当に感激しました。

私は、翁長知事の埋め立て承認の撤回を支持します。

東清二

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-780624.html

「辺野古埋め立ては自然破壊」

東清二琉球大学名誉教授メッセージ全文 8・11県民大会

琉球新報

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「今日の沖縄県民大会7万人参加の重み」No.2162

2018-08-11 22:13:08 | 亜細亜

 7万人参加と言っても、

大阪や東京の7万人とは意味が違います。

単純計算ですが、

参加者数÷人口×100で参加者数の人口に対する割合(%)が出ますね。

2015年の国勢調査によれば、

沖縄県人口1,433,566人、大阪府8,839,469人、東京都13,515,271人です。

今日の沖縄県民大会参加者7万人

沖縄の人口の何%か計算すると、

70000÷1,433,566×100=4.88(%)

約5%です。

では、大阪府と東京都で人口の5%とは

どれくらいの人数でしょうか。

大阪:8,839,469×0.05=約44万1973人

(千以下を四捨五入すると44万人

東京:13,515,271×0.05=約67万5764人

(千以下を四捨五入すると68万人

ーーーー

つまり、

沖縄で7万人参加した県民大会は、

大阪府民で44万人

東京都民で68万人

に相当する人数です。

大阪や東京でそんな集会が実現したことが

今まであったでしょうか、もちろんありません!

て、自慢できませんよ~~





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「息子さんが沖縄県民に伝えた故翁長知事最後の言葉」No.2161

2018-08-11 19:06:39 | 我が心の沖縄

   

↑故翁長雄志知事の次男、翁長雄治(たけはる)那覇市議会議員(琉球新報より)

今日11日の沖縄県民大会は当初3万人参加を目標にしていましたが、

ときおり雨が降る悪天候の下、

目標をはるか上回る7万人が参加しました。

その集会で出棺間際の中、駆けつけた息子さんが

翁長知事から県民の皆さんへのメッセージを読み上げました。

以下、琉球新報からの転載です。

ーーーーーーーーー琉球新報2018年8月11日 12:49

はいさい、ぐすーよーちゅうがなびら。

8・11県民大会にご参集の県民のみなさま、こんにちは。

ただいまご紹介いただきました故翁長雄志の次男、翁長雄治と申します。

県民のみなさま、多くの全国のみなさまに

父の体のことでご心配をおかけしました。

みなさまのご期待に添えるように最後まで頑張りましたが、

残念な結果となりました。

申し訳ございませんでした。
 

最後の最後までどうやったら辺野古新基地建設を止められるのか、

一生懸命病室のベッドの上でも資料を読みあさり頑張っておりました。

今日は登壇をさせていただくのか、お願いをしていいのか、

寸前まで迷いましたが、

おそらくこれが最後の機会になるのではないかと思い、

上がらせていただきました。

今日は父が生前よく話していたこと、私に話していたこと、

みなさまの前で話していたことを

改めてお話しさせていただきたいと思います。
 

沖縄に辺野古に新基地をつくる。

どれほどの大義名分があるのでしょうか。

そういう説明がしっかりとなされてきたのでしょうか。

全国が受け入れないから沖縄に置いておけばいい。

今われわれが納得できない、

そういうものを将来の子どもたちに残してしまうんでしょうか。

県民のみなさま、今一度しっかりわれわれの思いを形にしましょう。
 

父は生前、

「沖縄は試練の連続だ。しかし、一度もウチナーンチュとしての誇りを捨てることなく闘い続けてきた。ウチナーンチュが心を一つにして闘うときにはおまえが想像するよりもはるかに大きな力になる」

と何度も何度も言っていました。

現に今回の県民投票の署名も

必要署名数の4倍以上になる10万票を集めることができたのは

県民の大きな決意だと思います。
 

日本全国のみなさま、

多くの国民が必要であるというその日米安保、米軍基地。

この国土の0・6%にすぎない沖縄に70%以上もあるのは

いくらなんでも過重すぎはしませんか。

全国的な議論のテーマに挙げていただいて、

この問題は沖縄の問題ではなく日本国の問題、

課題だと認識して議論してもらいたい。
 

「国の専権事項だから」と言って

今責任を持っているわれわれが

何もせずに指をくわえているわけにはいきません。

 

オール沖縄の大きな潮流は政治家のためにあるのではなく

政争の具にするものでもございません。

オール沖縄はわれわれウチナーンチュの強い決意です。覚悟です。

その民意にわれわれ政治家が突き動かされているのです。

 

最後までみなさま諦めずに。

頑張って見届けることはできませんでしたが、

父に、翁長雄志に、辺野古新基地建設が止められたと

報告できるように皆様頑張りましょう。

ありがとうございました。

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-780354.html

ーーーーーーーーー

以下、写真とキャプション、記事は琉球新報号外のものです。

(写真の顔隠しはブルーはーと)

↓多くの県民らが参加した「土砂投入を許さない!

ジュゴン・サンゴを守り、辺野古基地建設断念を求める8.11県民大会」

↓続々と集まる参加者ら。

↓喪章をつけた少女

↓翁長知事を追悼する参加者。

↓親子三代で訪れた参加者ら。

↓基地建設に反対のプラカードを掲げる参加者たち。 

 
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「読谷村からー那覇ー大阪へ」No.2160

2018-08-10 23:03:18 | 我が心の沖縄

 

 
 



↑絵は豊岡正司さんのフェイスブックからお借りしました。

今日は8月6日からの集中行動最終日に参加する予定で、
朝、Shigekoさんに連れられて集合場所の読谷村役場に行きました。
参加すると言っても朝のうちだけで、
午後には飛行機に乗って大阪に戻らなければなりません。
 ↑広々とした読谷村役場。まるで公園です。
 
下は読谷村役場の正門です。
しかしまあ、なんと立派な村役場でしょう。
 「政府は日米地位協定を抜本的に見直せ!
 オスプレイ配備反対!」
と、役場に掲げられているのにも(おお、すごい!)と思いました。
実は読谷村にはトリイステーションというアメリカ軍の基地があり、
その中にはヘリパッドが3つもあるそうです。
だから、Shigekoさんの家も、
夜でも米軍機の低空飛行のうるさい音がするんですね。
 
人口が4万人もあるのに、なぜ読谷は市でも町でもなく村なのか聞くと、
「日本一大きい村」になるためとのこと
 
村役場で、今日は女性たちグループの車に乗せていただき、
Shigekoさんは別の車で辺野古に向かいました。
しかし、途中、トイレ休憩した所が
空港に向かう名護バスターミナルに近いので、
もうキャンプシュワブゲート前には行かず、
そのままバスターミナルまで送ってもらい
那覇に南下することにしました
 
↑那覇市旭橋付近
実は、那覇で行きたいところがあったのです。
〈瀬長亀次郎と民衆資料館〉「不屈館」です。
バス停旭橋からタクシーでワンメーターの550円でした。
「不屈館までお願いします」と言うと、年配の運転手さんが
「え、あの共産党の?」
と言うので、
「共産党かどうかは知らないですけど、
瀬長亀次郎さんと沖縄の戦後の歴史が分かる資料館だそうですよ」
と答えると、
「不吉(ふ・き・つ)館ねえ」
と言うので、(ああ、この人わざと言っているな)と分かり、
とぼけて、
「いいえ、ふ・く・つ館です。『カメジロー』という映画は
全国上映されてとても有名なんですよ。
瀬長亀次郎さんは沖縄の歴史に残る政治家だそうですね。」
と言うと、なんだかモゴモゴ言って終わりました。
 
 
さて、不屈館に入ってキョロキョロしていると、
スタッフの女性が、
映画『米軍が最も恐れた男、その名はカメジロー』のダイジェスト版を
見せてくれました。
嬉しいことに冷たいさんぴん茶まで出してくださって、
名護から何も飲んでいず、からからになった喉を潤しました
 
 
戦争では住民が口に出すと気絶するくらい辛い体験を強いられ、
戦後は解放してくれるかに見えた米軍が、
民主主義国家とは思えない仕打ちを占領下の沖縄住民にしてきました。
それに敢然と立ち向かったのが、
ご存知、沖縄の政治家の瀬長亀次郎さんです。
彼の名言は今もなお、日米両政府による「沖縄いじめ」に抗う沖縄県民の
合言葉になっています。
 
「1リットルの水も、一握りの砂も、一坪の土地も
アメリカのものではない。
空気は、我々がただで吸わせている。
そのうえ、今回の新たな土地強奪である。
我々は対米非服従運動を起こさねばならない。」
(「四原則貫徹県民大会」1956年)
 
「この瀬長一人が叫んだら、50m先まで聞こえます。
 ここに集まった人々が、声をそろえて叫んだならば
 全那覇市民にまで聞こえます。
 沖縄70万人民が声をそろえて叫んだならば
 太平洋の荒波を超えて、
 ワシントン政府を動かすことができます。」
 (「群島知事選挙での演説」1950年)
 
「この沖縄の大地は 再び戦場になることを拒否する。
 基地となることを 拒否する。
 あの紺碧の空 さんご礁に取り囲まれて
 あの美しい海
 沖縄県民の手に戻って 初めて
 平和な島が 
 沖縄の回復が
 できるということを
 26年間叫び要求し続けてきた。」
(「衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会での発言」1971年)
 
「苦しい時はよく方向を見失う
 突然暗がりに投げ込まれると
 その瞬間、何物も見えないようになるが
 しばらくじいっと腰を据えておれば
 次第に心眼は開かれ、
 必ず、突破口を見つけることができる」
(「獄中日記」より 1954年)
 
まだ映画を見る機会がない私は、
ますます早く映画を見たくなりました。
 
空港に行く時間が迫ってきたので
スタッフさんにタクシーを呼んでもらいました。
「翁長さん、残念でしたね」
と私が言うや、たちまちスタッフ女性の目が潤み、
「ええ、本当に残念です」
と言うのが精いっぱいの様子でした。
 
タクシーでドライバーさんに聞くと
「もし、仲井真元知事が辺野古承認しなかったら
 翁長さんはまだ生きていたはずです。
 辺野古基地建設が翁長さんを殺したんです。」
と、さっきのドライバーさんとは相当違う雰囲気でした。
 「もともと、翁長さんは保守の人ですけど、
 沖縄の人は保守も革新も、みんな翁長さんが好きです。
 あんな政治家はめったにいるもんじゃない。」
と、静かな中に仲井真元知事と政府への怒りを感じ取りました。
 
明日は県民大会、大雨が予想されていますが
みんなに信頼され、愛されていた翁長知事を送る涙雨でしょう。
どんなに酷い雨でも、
必ず多くの県民が参加すると信じています
 
 
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「翁長知事死去を悼む沖縄県民の声」No.2159

2018-08-09 23:03:11 | 我が心の沖縄

今日の沖縄の二紙「沖縄タイムス」「琉球新報」は何面もの紙面を

翁長知事の死去に当てており、その記事の一つひとつが、

翁長知事がいかに沖縄県民にとって大きな存在であるかを物語るものでした。

↑琉球新報8.9朝刊↓

↓沖縄タイムス8.9朝刊

 二紙が拾った沖縄県民の声です。

【琉球新報】・・・街の人たち

*パレットくもじ前で新聞号外を読んでいた事務職の西村祐子さん(63歳、那覇市)

「他県にはない重圧を背負い、心労もあったのではないか。残念だ。」と目頭を押さえた。

*仕事中に翁長さんの容態悪化を聞いた上地尚子さん(53歳、西原町)

記者から死去の一報を聞き、「えっ・・・」と絶句。

「基地など大きい問題を前にたいへんだったはずだ。頑張ったと思う。」と悼んだ。

*平良麗子さん(32歳、宜野湾市)

「責任を持って職務をやり遂げていた。後継者は思いを引き継いで欲しい。」と声を震わせた。

*中村丈人さん(86歳、名護市)

「沖縄の先のことを考え、新基地建設に反対してくれた。残念だ。」と肩を落とした。

*「翁長知事とは意見の相違もあった」と語る渡嘉敷真治さん(63歳、八重瀬町)

訃報に驚きつつ「ウチナーンチュの本音をはっきりと言える政治家だった。

沖縄のために頑張ってくれたことに『ありがとう』と言いたい。」と静かに語った。

*下地恵子さん(62歳、宮古島市平良)

「沖縄のために命を懸けてきた。遺志を継ぐ人たちが辺野古をどう受け止めるか考え、

立ち上がって欲しい。」

*自営業の大底憲一郎さん(31歳、石垣市)

「県民は県の平和を求め、翁長知事はそのためにずっと動いてくれた。誇りに思う。」

【沖縄タイムス】・・・同級生や先輩、長年の親しい人たち

*小中学校の同級生座波公さん(68歳、那覇市安里)

「勉強も運動も得意で、友達も多かった。100m走の学年代表で野球も上手。

中学ではブラスバンドだった。」

*別の同級生の男性(68歳)

「いじめを見ると止める。身体も大きくて不良が手出しできなかった。

40年来、続く模合仲間と翁長氏の選挙を応援してきた。

1985年の那覇市議初当選直後から那覇市長になると言っていた。

一本気なのは知事になってからも変わらなかった。」

*中学の先輩で総菜店主の嘉納毅さん(69歳)

「人情豊かで毅然とした政治家。こんな人、もう出てくるのかな。」

*お父さんの代から家族ぐるみで親交があった女性(54歳)

両手で顔を覆い「新基地建設阻止を最後まで一緒に頑張りたかった。」

 

↓辺野古の浜に咲く野草。

今日の辺野古の海

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「命を削って政府と闘った翁長知事の最後の声明『辺野古承認の撤回表明』」No.2158

2018-08-08 23:34:31 | 我が心の沖縄

最後までアベ政権の『沖縄いじめ』と闘った翁長知事。

7月27日、翁長知事は、

1.新基地建設は公益に適合していないため、

建設承認撤回に向けた聴聞手続きに取り掛かること。

2.あらゆる手法を駆使して、辺野古に新基地は作らせないという

公約実現に向け、全力で取り組むこと。

を明言しました(その時の動画に渾身の翁長さんの言葉があります)。

私は、民意に寄り添って、時の権力と真っ向から闘い続けた政治家が

日本に存在したことを心から嬉しく思うとともに、

国民の一人として、たった一人分ではあっても、

翁長知事の遺志を継ぎ、辺野古基地建設を阻止するために

自分のできることを続けていくしかないと思っています。


「翁長知事が辺野古承認の撤回を表明」

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「『負けてぃならんどお!』翁長知事の言葉響く夜エイサーの音とともに」No.2157

2018-08-08 22:22:53 | 我が心の沖縄

      

読谷村の友人の家のすぐ近くに地区公民館があり、

夜、地元の青少年団がエイサーの練習に励んでいます。

翁長知事も子どもの頃、エイサーの練習をしていたのかなと思い、

練習する少年達を見ながら、涙が止まりませんでした。


今朝(8日の朝)、辺野古のキャンプシュワブゲート前の集会では、

翁長知事の言葉、

「負けてぃ ならんどお!!」

が引用され、子や孫たちに平和な未来を残すため、

私たちは決してくじけずに闘い続けることを確認しあったところです。

翁長知事の言葉を胸深く刻み、 

今、自分のできることを、精一杯、がんばるしかありません。


 

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「朝*辺野古、昼*高江を満喫」No.2156

2018-08-07 21:14:14 | 我が心の沖縄

↑辺野古のキャンプシュワブゲート前に貼られてあるバナー。

翁長知事は先月27日、「基地建設は公益に適合せず」として

撤回を宣言し、それに向けた手続きに入りましたが、

防衛局は、その撤回手続きが完了する前に海への土砂投入をしてしまい、

工事はもう後戻りできないという印象を世論に与えるため、

砕石等を運ぶダンプを、先週は毎日、毎日、500台も基地に入れるという

なりふり構わぬごり押しをしてきました。

その一方、手続きの一環である「聴聞」を延期して欲しいなどと、

引き伸ばしを図っています。

17日が土砂投入が予測されている日です。

それまでに撤回手続きが完了するかどうか、予断を許さぬ事態です。


辺野古2日目の朝、

8時に到着するとゲート前に100人ほど集まっていました。

同時に防衛局にも60名出かけて抗議の座り込みをしたそうです。

大城さん・山城さん・瀬長さんが進行役で

懐かしい稲嶺進元名護市長の話、

若い弁護士さんの逮捕された時の心構えの説明の後、

山城博治さんから逮捕される前の心構えなどが話されました。

「一人で来た人は周りの人と知り合いになって、

決していつの間にかいなくなったというようなことの無いようにしましょう。

そして今、前に出て、みんなに顔を覚えてもらいましょう」

などと博治さんは上手く誘導して自己紹介を促しました。

私は、読谷村のShigekoさんのお宅にお世話になり、

連日、Shigekoさんとその友人であるながいようさん(ミュージシャン)に

車で連れてきていただいているので、

厳密には一人で来ているのではありません。

しかし、

多くの基地賛成派が「敵国から日本を守るため基地は必要だ」と言い、

その「敵国」とは、多くの場合、中国を指しているので、

私の見た中国の庶民の話をさせていただきました。

中国庶民の年配層は、先の戦争で日本に侵略され、

大変な屈辱・辛酸を舐め、そのことは決してわすれていないこと、

しかし、その孫たちには日本語を学ぶ学生がたくさんいて、

日本語を学んでいるうちに

「中日友好の力になりたい」と思う子が確実に育つこと、

そして、一般の大人たちも

どこの国であろうとも戦争をしたいとは決して思っていないこと、

逆に、かつてのようにまた、

日本が攻めてくるのではないかと危惧していることなど、

中国政府=中国人民ではないという話です。

時間が許せばもっとあれこれ続けるところでしたが、

私のリサイタル・ショーでもないので、早々に切り上げました(笑)。

 ↑休憩でテントに戻るとき、稲嶺元市長と大阪の政治家服部良一さんが

いかにも仲の良い様子で立ち話をしていました。

「私たちはローザ・パークスである。これは、市民不服従の行為である。

「ローザ・パークスとは人種差別と闘った、アメリカ人なら誰しもが知る『公民権運動の母』。

市民不服従(Civil Disobedience)とは、公権力の不当な扱いに直接的に抗議をする行為である。」


さて、今日も工事車両が入りそうも無いので、

(そのために先週は連日500台もダンプが入っていたのではと)

Shigekoさん、ながいようさんが相談して、

私と名古屋の友人(いちゃりば ちょーでー)を

東村高江に連れて行ってくれました。

あの無理やりヘリパッド建設を強行したところです。

私が一昨年高江に行ったその日は、

ちょうど三宅洋平がアベ昭恵を高江に連れてきた日でした。

高江の豊かな自然は生きていました。

 

こちらにもアルソック職員が立っていましたが、

辺野古のキャンプシュワブゲート前と違って、

抗議の人たちももはや居ず、

ただゲートの道路向かいに抗議のテントが一つあるのみです。

だれもいないのに、一時間交代でず~っと立っているだけ。

ここで、途中で買ったパパイヤ、ゴーヤー、魚のフライなどのお弁当を食べ、

テントの番をしているSさんからお話を伺ったりしていると、

見慣れない種類の小鳥がSさんの近くに飛んで来て、テント内を探索していました。

下は高江でのヘリパッド反対を訴えている「ヘリパッドいらない」住民の会のパンフレット

1ページ目です。

「へりぱっどいらない」住民の会連絡先

住所:〒905-1201沖縄県国頭郡東村高江85-95

FAX:0980-51-2688 

E-mail:info@nohelipadtakae.org

ブログ:「やんばる東村高江の現状」http://takae.ti-da.net/

画像に含まれている可能性があるもの:テキスト

高江グッズを買ったりしてテントをお暇しましたが、

帰り道の風景の何とまあ、美しかったこと!

故郷北海道の知床の自然を思い出しました。

「やんばるくいなに注意」という看板も見ました。

知床なら「鹿に注意」「ヒグマに注意」です。

こういうところに、オスプレイが熱風とともに、

神経に障る音をバリバリ炸裂させるのですから、

森の命が脅かされることは確実です……。


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「沖縄辺野古に『一本の鉛筆/美空ひばり』が流れてきた日」No.2155

2018-08-06 21:43:41 | 反戦平和

今日は、

金曜日まで続く辺野古『土砂投入を許さない集中座り込み行動」の初日です。

炎天下、キャンプシュワブ・ゲート前には約200名が座り込みました。

土砂の海上搬送拠点である本部港(塩川地区)にも約100人集まったそうです。

ゲート前の様子が一変していたのは、

半年前に行った時より、

抗議の座り込みをする場所が異常に狭くなっていたためです。

防衛局が7月14日未明、道路に水タンクと巨大フェンスを設置して、

抗議行動ができないようにしたからです。

人数が多いため、

水タンクから道路側にはみ出て座り込むしかありませんでした。

以前、道路の端にブロックを積んだことで、

山城博治さんたちは5ヶ月間も拘留されましたが、

この水タンクと巨大フェンスは

博治さんたちが置いた道路端のブロックのような生易しいものではなく、

道交法からみてとても問題のある代物であるにも拘らず、

誰も裁かれていません。


隣に立っているアルソックの若者に、

「毎日暑いでしょう。日焼けして顔が真っ黒だね」

と言うと、

「はい、すごく大変です」

と素直な返事が返ってきました。

註)アルソック:警備保障会社。機動隊がフェンスの後ろで寛いでいるとき、

アルソック職員はかんかん照りの下、動かずにじっと立ち尽くしています。

↓工事車両が入らないので、メインゲートのテントに移動して集会。

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上

その間もひたすら立つアルソックの職員たち。

先週、雷が鳴り大雨が降ってきた時、機動隊はサッと引き上げましたが、

アルソックはそれが許されませんでした。

 

結局、今日は工事車両が入らず、メインゲートのテントで集会をしている間、

スカートチーム(私もShigekoさんのスカートを借りて仲間に)は

搬入ゲート前に残って待機し、

私は『やんばるの歌』『喜瀬武原』など

辺野古で歌われる歌を教えてもらっていました。

 

その時、道路の向こうから聞こえてきたのが、

美空ひばりさんの『一本のえんぴつ』です。

今日は8.6広島に原爆が投下された日。

1974年、美空ひばりさんが第一回広島平和音楽祭に出演した際に

歌って以来、この歌は反戦平和の闘いを続ける人々にとって

大切な歌の一つになりました。

「沖縄ー広島・長崎ー福島はひとつの線で繋がっている」

そんなことを辺野古で思った8月6日の今日でした。

作詞:松山善三、作曲:佐藤 勝、唄:美空ひばり

あなたに聞いてもらいたい
あなたに読んでもらいたい
あなたに歌ってもらいたい
あならに信じてもらいたい

一本の鉛筆があれば 私は あなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば 戦争は嫌だと 私は書く

あなたに 愛をおくりたい
あなたに 夢をおくりたい
あなたに 春をおくりたい
あなたに 世界をおくりたい

一枚のザラ紙があれば
私は 子どもが欲しいと書く
一枚のザラ紙があれば
あなたを返してと 私は書く

一本の鉛筆があれば
八月六日の朝と 書く
一本の鉛筆があれば
人間のいのちと 私は書

 
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「沖縄は涼しい~」No.2154

2018-08-05 22:40:06 | 反戦平和

↑那覇市県庁北口バス停

今日の気温は大阪は37℃、南の沖縄が31℃で

日陰に入るともう涼しいので身体が楽です。

午前10時半、ピーチ航空の格安便ですでに暑い関空を発ち、

昼過ぎに那覇空港に着きましたが、

格安なので当然機内食サービスはありません。

(沖縄に行ったら必ず食べよう!)と思っていたソーキそばを

空港のレストランで注文しました。

ゴーヤのおひたし、人参シリシリ、モズクの酢の物、

かやくご飯とソーキそばで980円。

ソーキ(柔らかく煮た骨付き豚肉)がたいへん美味しかったです。

冬に続き、読谷村のShigekoさんのおうちに泊めてもらい、

明日から同じ読谷村に住む人たちの車に便乗させていただき

辺野古のキャンプシュワブゲート前に通います。

仕事を退職して、週に3日辺野古に通うShigekoさんは、

毎日の座り込みを楽しむ(笑)ために、

女性仲間と相談して

月曜日はスカートチーム登場の日にし、

ハートのサングラスで機動隊を圧倒しようと(笑)、

私にも一つ貸してくれました。

長い人生ですが、ハートのサングラスをするのは

生まれて初めてのことです。

Shigekoさんは、

初めスカートで座り込みすることについて

性差を前面に出すのはどうかなと考えましたが、

韓国の女性たちが反原発デモで男性の機動隊員に触れられ、

羽交い絞めされたりするのを拒絶し、

女性の機動隊員に交代させたという行動実績を鑑みて、

日本でも女性には女性の機動隊員が任に当たらせる試みとして

昨年9月末から実行しているそうです。

抗議の声をあげているのが人間であり、

女性であるということを示す表現であり、

機動隊に性別や年齢を配慮するように要求する

画期的な試みだと私は思います。


 

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「さあ、辺野古へ行こう!」No.2153

2018-08-04 23:33:56 | 我が心の沖縄

明日から10日まで沖縄、辺野古に行って座り込みます。

翁長知事が承認撤回を宣言したのに、

さらに一層急いで埋め立て土砂を投入しようとする政府。

どこまで沖縄県民の意思を押し潰そうとするのか、

悔しくて、腹が立ってたまりません。

取りあえず、一人分の力を発揮しに行ってまいります。

元気な方は今からでも遅くありません。

ぱぱっと行く計画を立てて、軽やかに出発しましょう。

皆さん、辺野古で会いましょうね~!

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「東京医大女子受験者30%に抑え込む!?何じゃこりゃ」No.2152

2018-08-04 04:45:04 | 日本事情

東京医科大

↑写真は時事通信社のもの

一昨日、区役所に戸籍抄本をとりに行って、

順番を待つ間ボーッと待合室でテレビ画面を見ていたら、

東京医科大学が女子学生の点数を減点して、

合格者総数の30%程度に抑えていたという!

「女性は結婚・出産などで医師をやめる人が多い」が減点の理由??

いやいやいや、

女性の多くはもともとそういう身体的特質を持つんですから、

もし、その理由で辞める女性医師が多いのなら、

その分多めに合格させないと引き合わないでしょ。

と言うか、

女性医師が辞めざるを得ない労働環境を改善しないで放置するから、

しかたなく女性医師が辞めるのではありませんか。

女性のせいにする前に労働環境を改善しないと。

 

女性を差別して落とすということは、

男性を優遇して特権を与えているということです。

ちょっと、今は何時代?という話です。

そう言えば、昔、小学校教員をしていたとき、

「どけどけ~!男がさきじゃ~!」

と、女子を突き飛ばして教室に入った男の子がいたのを

思い出しました(2年生でした)。

その子の発言は学級会の話し合いのいい素材になりました。

その後、その男の子が同様の発言をしたのを聞いたことはありません。


性によって差別したらダメだということは、

小学校でも教えていることで、現行憲法に明記されています。

(憲法十四条:全て国民は法の下に平等であって、

人種、信条、性別、社会的身分または門地により、

政治的、経済的、または社会的関係において差別されない。)

 

日本の政治家(特に政権を握る自民党員)に、

人権を踏みにじる憲法違反の発言が横行しています。

この東京医大のとんでもない女性差別も、

杉田水脈議員なら、

「そりゃ社会に出たら女性にとっていろいろありますけど、

社会ってそういうものなんじゃないかと~」

と、詩織さんに投げつけた言葉を

医科大受験の女子学生に対しても繰り返すかも知れません。

国会議員にも小学校レベルの学級会が必要なのでしょうか。

 いずれにしても、

東京医大も、杉田水脈議員も

憲法を遵守しなければならないという規則に違反していますので、

厳しく処罰されなければなりません。

 

【付録】

ハフポストHUFFPOSTニュース8月2日

「東京医大だけじゃない?入試での男女差別。医師らが証言『医局全体にあるとまことしやかに噂されていた」入試の面接で、女子学生は「結婚・出産」についての対応を聞かれていたという話も。

 東京医科大が入試で女子受験生に対して一律に減点していたことを読売新聞などが報じた

 入試での点数操作は女性の入学人数を3割程度に抑えるためで、2010年前後に始まっていたとされる。女子学生の減点のほか、一部の男子受験生に加点することもあったという。同大によると、2018年度は、医学部医学科入学者120人のうち、女性は23人。 受験したのは男子1596人、女子1018人(男子比約64%)で、筆記がある1次試験の合格率は男子が18.9%、女子が14.5%(同約77%)となった。面接などの2次試験を経て最終的に合格したのは男子が8.8%、女子が2.9%(同約33%)だった。

註)カッコ内数字はブルーはーとが付け足したもの 

妊娠中、教授は「この子はもう一流の循環器内科医としては望めない」

東京医科大が女子学生の合格を抑えていたとすれば、その理由は何か。報道によると、東京医科大は大学系列の病院で女性医師が結婚や出産で離職すると、医師不足につながるなどの理由を挙げているという。

だが、受験生に説明もなく、性別で差別していたことに、取材に応じた女性医師たちからは「憤りを感じる」「浅はかでその場しのぎの考えが情けない」との声が上がった。

大学病院の循環器内科に入局した女性医師は結婚して出産を控えていた時期、自分のことを「この子はもう一流の循環器内科医としては望めないね」と、教授からほかの医師に言われていたことがあるという。この背景に「医療現場に差別思想が蔓延している」現状を指摘する。

別の大学病院に勤めている育児休業中の20代の女性医師は「妊娠出産した女性医師は、医局の出世コースから遠のくというイメージが出来上がっている」という。「男性医師のほとんどは、妻が専業主婦。女性医師の妊娠出産について理解度が低すぎる。そんな医局に育休明けで戻るのはホラー」と話す。

「いくら医療先進国でも、男尊女卑の思想が染み付く日本は先進国とは言い難い。医師不足や女性医師の仕事復帰などの根本的な問題に目を背け、女子減点という浅はかでその場しのぎの考えが情けない」

「日本に帰りたくなくなった」

アメリカでがん専門医として働いている女性は、こう語る。

「男7割女3割の入学比率は、割とスタンダードだった。二次試験の面接で加点や減点があると聞いていた。実力があれば女子も加点があるかもと信じて多くの受験生は頑張る。でもマークシートで機械的にふるい落とされるとしたら、切なすぎる

ただ、女性医師になってからも、ハードルは様々なところにある。

「ハラスメントは学生時代も医師になってからも続く。留学したいとか言うと『先生は女の子だから無理だよ』と言われる意味不明な世界だった」

「私は卒後4年目に渡米してアメリカでがん専門医として働いていますが、職場で性別を理由として差別を受けたことはない。いつか日本の医療に貢献したいとは思いますが、こんな現状ではますます日本に帰りたくなくなりました」

多浪受験生の間でも「男女差別」?

多浪で医学部を受験している娘をもつ母親は「多浪の女子学生も差別されていると感じる」と話す。

「聖マリアンナ医大は、昨年度から女子学生は現役と一浪だけになりました。比較的多浪に寛容といわれ、実際男子は2浪以上の入学者も多数いるにもかかわらず、です」

同大のホームページに掲載されている入試データをみると、2016年度入学まで多浪(2浪以上)の女子合格者を受け入れていたが、2017年度からは2年連続でゼロ。代わりに現役、1浪の女子学生が増えている。多浪は男子学生ばかりになった=下写真

 

聖マリアンナ医科大の公式サイトから

 

入試の面接で「結婚、出産」を聞かれる異常さ

この女性の娘は、2017年度に受けた、別の私立医大の入試面接で、次のようなやりとりが2度繰り返されたという。

面接官:「女性だと、結婚とか出産とか大変だと思うけど、大丈夫?」

娘:「はい」

面接官:「大丈夫?」

娘:「はい」

面接官:「本当に大丈夫?」

娘:「あ...はい」 

入試面接で、女子受験生だけに結婚や出産について聞かれることは珍しくない。

2007年度に地方の国立大医学部の入学試験を受けた経験のある女性の場合は、こうだった。

女性:「頑張ります」

面接官:「具体的には?」

女性:「結婚は考えていません。実家は病院ではないので戻って就職することも考えていません。医師になったら、そこの環境で判断します」

面接官:「でも結婚したくなるかもよ」

女性:「結婚や出産より大事な役割があると思っています」

女性は振り返る。

「国立大の医学部では、特に『その大学のある地方にとどまること』を気にして、結婚・出産を聞いていた感じでした。『覚悟を見せた!』と意気揚々と面接室を出たのを覚えています」

「滑り止めに受けた私立医大では、ダイレクトに『女の人は妊娠や出産、結婚でやめる人が多い。仕事の大切さについてどう考えているか』と問われた記憶があります」

予備校でも、こうした面接に備えた想定問答を作っていたという。

「予備校の医学部受験コースは、入試面接の『模範解答集』を受験生に配布していて、『結婚出産について聞かれたら』という項目もありました。『体力があり、長く働き続ける』ことをPRしなさいと助言していた記憶があります」

「国立大学の医学部に合格したのですが、入学後の講義で、男性の教授が公然と『結婚して関東に戻って医局を離れる"食い逃げ"が多い』とまで言ってましたから。地方国立大学の"食い逃げ"が多いのは、男性も同じ。医局に残りたくなくて男性も逃げていきますよ。女性だけじゃない」

 医学部の受験情報サイト「医学部受験マニュアル」によると、東京女子医大を除く医大・医学部で、女子比率が高いのは、富山大学で、女子学生の比率は54%と男子より多い。次の埼玉医科大は47%。次いで、愛知医大、東京医科歯科大学と続く。女子比率が4割以上の共学の大学は、判明している51校のうち、11校だった。51校で一番低いのは東京大で比率は16%。次いで東北医科薬科大の19%だった。

このサイトでは、「30年前の医学部における女子学生の割合が10%程度であったことを考えると、間違いなく女子医学生の割合は上がっている」としながらも現状を次のように指摘、入試対策をしっかり準備するよう呼びかけている。

「公然と女子の合格者を下げることはしなくても、女子が苦手にしがちな数学の難易度を上げたり、女子が比較的多く選択する生物の難易度を上げる、面接の配点を下げるなどにより間接的に女子の合格率を下げている大学もあるようです」

 https://www.huffingtonpost.jp/2018/08/01/toukyouika-joseisabetu_a_23494326/

(文章内一部省略あり:ブルーはーと)

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「沖縄は日本のバリ島になる!…基地さえなければ」No.2151

2018-08-02 21:19:08 | 我が心の沖縄

「沖縄は、確実に日本のバリになれる」

バリ島で花を見、地元の人たちを見、海を見て、

私はそう思いました。

そう、米軍基地が撤去されれば、

世界中から人々が沖縄にやって来るでしょう。

海の中を散歩し、泳ぎ、珊瑚を観察し、

沖縄料理に舌鼓を打つでしょう。

もし、基地が撤去されれば、

リーズナブルなホテルやゲストハウスができ、

庶民はそこを拠点に、

のんびりと沖縄の焼き物や織物など伝統工芸品を鑑賞して、

沖縄の歴史を刻んだ遺跡をめぐることが出来るでしょう。


「基地で沖縄県民の生活は潤っている」

と間違った情報を垂れ流しているのは

日本政府とその応援団+政府の扇動を鵜呑みにした人たちです。

 

米軍兵士は休日、

基地のエリアの海で、

まるで自分が所有するプライベートビーチのように泳ぎ、銛(もり)で魚を取って楽しんでいます。

日本全国のたった0.6%の面積に、

日本全国の70%以上の基地が集中している沖縄。

米軍基地は、小さい沖縄本島の5分の1を占めています。

企業が発展するための便利な土地は基地用地として無理やり取り上げられ、

雇用は基地にしか頼れない構造を強要されて、

従って、沖縄の失業率は全国で最悪です。


↓バリ島のブーゲンビリア

 もし、基地が無ければ、

バリと同じブーゲンビリアやデイゴが咲き、

バリよりもっと青く美しい海に囲まれているこの島へ、

温かい沖縄の言葉を話す地元の人たちのもてなしを受けに、

世界中の人々が訪れることでしょう。

↓バリ島のデイゴ

 

↓バリの家の前にもシーサーみたいに、左右に守護神が。

 

↓バリのアゲハチョウ

↓バリの猫

↓バリの海

 

 

 ↓そして、沖縄・読谷村の海

(読谷村在住Mayumi ShiromaさんのFB写真を借りました)       

画像に含まれている可能性があるもの:海、空、屋外、自然、水

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、海、屋外、自然、水

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、海、空、ビーチ、たそがれ、屋外、自然、水

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、雲、海、空、ビーチ、屋外、自然、水

「沖縄の過重な基地負担は不公平である」という沖縄県民の声は、

当然過ぎてたまらないと言うほど当然なのです。

〈Mayumi Shiromaさんのメッセージ〉

 「この海がずっと美しく、人を幸せにする海でありますように。

そして、私達はこの島の恵みの海に感謝して、人として全力で守りぬこう。

でっ、ここでビーチパーティしたいっ🍺

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