毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「読谷村からー那覇ー大阪へ」No.2160

2018-08-10 23:03:18 | 我が心の沖縄

 

 
 



↑絵は豊岡正司さんのフェイスブックからお借りしました。

今日は8月6日からの集中行動最終日に参加する予定で、
朝、Shigekoさんに連れられて集合場所の読谷村役場に行きました。
参加すると言っても朝のうちだけで、
午後には飛行機に乗って大阪に戻らなければなりません。
 ↑広々とした読谷村役場。まるで公園です。
 
下は読谷村役場の正門です。
しかしまあ、なんと立派な村役場でしょう。
 「政府は日米地位協定を抜本的に見直せ!
 オスプレイ配備反対!」
と、役場に掲げられているのにも(おお、すごい!)と思いました。
実は読谷村にはトリイステーションというアメリカ軍の基地があり、
その中にはヘリパッドが3つもあるそうです。
だから、Shigekoさんの家も、
夜でも米軍機の低空飛行のうるさい音がするんですね。
 
人口が4万人もあるのに、なぜ読谷は市でも町でもなく村なのか聞くと、
「日本一大きい村」になるためとのこと
 
村役場で、今日は女性たちグループの車に乗せていただき、
Shigekoさんは別の車で辺野古に向かいました。
しかし、途中、トイレ休憩した所が
空港に向かう名護バスターミナルに近いので、
もうキャンプシュワブゲート前には行かず、
そのままバスターミナルまで送ってもらい
那覇に南下することにしました
 
↑那覇市旭橋付近
実は、那覇で行きたいところがあったのです。
〈瀬長亀次郎と民衆資料館〉「不屈館」です。
バス停旭橋からタクシーでワンメーターの550円でした。
「不屈館までお願いします」と言うと、年配の運転手さんが
「え、あの共産党の?」
と言うので、
「共産党かどうかは知らないですけど、
瀬長亀次郎さんと沖縄の戦後の歴史が分かる資料館だそうですよ」
と答えると、
「不吉(ふ・き・つ)館ねえ」
と言うので、(ああ、この人わざと言っているな)と分かり、
とぼけて、
「いいえ、ふ・く・つ館です。『カメジロー』という映画は
全国上映されてとても有名なんですよ。
瀬長亀次郎さんは沖縄の歴史に残る政治家だそうですね。」
と言うと、なんだかモゴモゴ言って終わりました。
 
 
さて、不屈館に入ってキョロキョロしていると、
スタッフの女性が、
映画『米軍が最も恐れた男、その名はカメジロー』のダイジェスト版を
見せてくれました。
嬉しいことに冷たいさんぴん茶まで出してくださって、
名護から何も飲んでいず、からからになった喉を潤しました
 
 
戦争では住民が口に出すと気絶するくらい辛い体験を強いられ、
戦後は解放してくれるかに見えた米軍が、
民主主義国家とは思えない仕打ちを占領下の沖縄住民にしてきました。
それに敢然と立ち向かったのが、
ご存知、沖縄の政治家の瀬長亀次郎さんです。
彼の名言は今もなお、日米両政府による「沖縄いじめ」に抗う沖縄県民の
合言葉になっています。
 
「1リットルの水も、一握りの砂も、一坪の土地も
アメリカのものではない。
空気は、我々がただで吸わせている。
そのうえ、今回の新たな土地強奪である。
我々は対米非服従運動を起こさねばならない。」
(「四原則貫徹県民大会」1956年)
 
「この瀬長一人が叫んだら、50m先まで聞こえます。
 ここに集まった人々が、声をそろえて叫んだならば
 全那覇市民にまで聞こえます。
 沖縄70万人民が声をそろえて叫んだならば
 太平洋の荒波を超えて、
 ワシントン政府を動かすことができます。」
 (「群島知事選挙での演説」1950年)
 
「この沖縄の大地は 再び戦場になることを拒否する。
 基地となることを 拒否する。
 あの紺碧の空 さんご礁に取り囲まれて
 あの美しい海
 沖縄県民の手に戻って 初めて
 平和な島が 
 沖縄の回復が
 できるということを
 26年間叫び要求し続けてきた。」
(「衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会での発言」1971年)
 
「苦しい時はよく方向を見失う
 突然暗がりに投げ込まれると
 その瞬間、何物も見えないようになるが
 しばらくじいっと腰を据えておれば
 次第に心眼は開かれ、
 必ず、突破口を見つけることができる」
(「獄中日記」より 1954年)
 
まだ映画を見る機会がない私は、
ますます早く映画を見たくなりました。
 
空港に行く時間が迫ってきたので
スタッフさんにタクシーを呼んでもらいました。
「翁長さん、残念でしたね」
と私が言うや、たちまちスタッフ女性の目が潤み、
「ええ、本当に残念です」
と言うのが精いっぱいの様子でした。
 
タクシーでドライバーさんに聞くと
「もし、仲井真元知事が辺野古承認しなかったら
 翁長さんはまだ生きていたはずです。
 辺野古基地建設が翁長さんを殺したんです。」
と、さっきのドライバーさんとは相当違う雰囲気でした。
 「もともと、翁長さんは保守の人ですけど、
 沖縄の人は保守も革新も、みんな翁長さんが好きです。
 あんな政治家はめったにいるもんじゃない。」
と、静かな中に仲井真元知事と政府への怒りを感じ取りました。
 
明日は県民大会、大雨が予想されていますが
みんなに信頼され、愛されていた翁長知事を送る涙雨でしょう。
どんなに酷い雨でも、
必ず多くの県民が参加すると信じています
 
 
コメント (4)
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