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Brugge Style
だいじなものいれ
子どもの頃のわたし。
まわりの大人が「この子には芸術的な才能がある」と大騒ぎしては、絵を習いに行かせたり、宝塚に入れてはどうかとか、いや、将来はオペラ歌手を目指してはどうかとか....
今となっては笑うしかない。
彼らの中に慧眼はなかったばかりでなく、わたしも普通の人だった(笑)。
雨の午後。
つれづれに本を読んでいると「オタク」の典型的なタイプが、往々にして彼(彼女)の大切なコレクションを紙袋や大型のかばんに入れて常に持ち歩く、という一節に出会った。
なるほど、それが彼/彼女の全宇宙であり、「自分」構成要素そのものである、ということであろう。
わたしは物心ついた頃からダンスや歌や絵で「表現する」のが好きだった。
特にお絵描きはわたしを一番夢中にさせる手段だった。
この「オタク」の一節を読んで思い出したのが、わたしが描く自画像には、状況が許せば必ず「だいじなものいれ」が描き込まれていたことである。
それはベッドのそばのナイト・テーブルの開き戸であったり、勉強机の引き出しであったり、スーツ・ケースであったりした。
中味が何であるのかは具体的には決して描かれることはなく、常に「だいじなものいれ」とだけ表現される小さな箱。
ああ、それが少女のわたしの全世界であり、欲望であり、「自分」であったのだなあと...
でも、いつ、わたしは「だいじなものいれ」を必要としなくなったんだろう?
あの小さな箱の中には今のこのわたしが隠れていたのだ。
今のわたしは「だいじなものいれ」の中にある、と少女の頃のわたしが想像したような人間になっただろうか?
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