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Brugge Style
grace
新刊雑誌。
その名の通り、ミューズはグレース・ケリー。分かりやすい。
グレース・ケリーは綺麗な女だとは思うが、綺麗だということ以外、それほど強い魅力があるとは思えないので、その辺りは気にしないことにして読み進む。
雑誌自体は創刊号だからかかなり力が入っていて、近頃、雑誌は何を読んでもしょうもないと感じていたわたしにとっては、なかなか読み手があった。
....
でもやっぱり読むにつれて「しょうもない」感が湧いてくる。理由は簡単、結局雑誌はモノを宣伝して売ることに主眼があり、いくらそれを美々しいオブラートで幾重にもくるんで「優雅」を指南されても、所詮行き着くところは「がんばった自分にダイヤモンド」「成功の証に時計」レベルなのだ。しょうもない達成感やな~。
もちろん成功して報酬を得たならば、それを享受していいわけだ。人生は楽しむべきだ。お金で入手できる美があるならば入手すべきだ。
けどね...
こういう雑誌のイヤなところは、どのような商品を選択するかによって消費者のアイデンティティが基礎づけられる、という物欲の資本主義イデオロギーはそのままなのに、めちゃくちゃ格好つけて、モノ一つづつに「生き方の哲学」をひっつけてくるところ。
その点、あれが欲しいこれが欲しい型でチラシのような紙面を貫くJJのような雑誌の方が素直なのか。
もちろん高級品を売るためにはできるだけ厚みがある「ような」ストーリーをまとわせて「なんだかよくわからないけど、わからないがゆえにすばらしい価値」を付加するのは雑誌売りの基本なのだけれども。
いや、もしかしたら最初に「生き方の哲学」ありきで、編集者も「女性の役に立ちたい、女性を啓蒙したい」という思いでいっぱいなのかもしれない。でもファッション雑誌の悲しい性、モノを掲載しないと始まらない、という...
ああやっぱりねえ、と言われるのを覚悟で言うが(笑)、わたしにとっては巻末あたりに特集されていた塩野七生が断然graceful。なお、わたしは彼女のファンでは全くない。
彼女のどこが「優雅」か。孤高であるところ(もしかしたら彼女も最近では大御所になって、出版社や業界の後ろ盾があるのかもしれないが)。
優雅であるとは、崖っぷちを歩いていながら、絨毯の上を歩いているようであること...だと思う。

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