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そして僕は途方に暮れる




日本の歌謡曲に親しむことはついになかったが、カップヌードルの宣伝にも使われたこの曲は当時からなぜか好き。
歌詞もメロディーもオオサワ某のぞうきんを絞るような声も。


わたしは一体

途方に暮れている僕なのか?
僕を途方に暮れさせている少女なのか?
歌っているおっさんのオオサワ某なのか?
こういう歌詞を書かせたら天下一品の銀色夏生なのか?


どの人物(の立場)にもなったことがあるような気がする。もちろん気のせい。だが、それが加齢をするということの一部なのだろう(加齢をしてボケた、という意味じゃなくてよ・笑)。


たぶんそういうところが好きなんだと思う。


...


わたしが日本の歌謡曲に馴染めない、馴染めなかったには訳がある(ここでは歌謡曲を歌詞のついたポピュラー音楽一般とする)。

日本語はポピュラー音楽のメロディーには乗らない、と思うからだ。

日本語は例えば、短歌や俳句に神業的に乗る。当たり前だ(欧米の子どもに欧米の言葉で俳句の何たるかを説いた教材があったが、あまりの粗末さに不信感を覚えた)。
漢詩の気宇壮大さは中国語を使うのでなければあり得ないし、オペラはイタリア語が分からなくても身体で楽しむことができる。コーランの響きや、ミナレットから流れるアザーン(礼拝時間告知)を聞いたことがある?
音楽ではないが、哲学はドイツ語の観念と切り離せないものであるし。

同じ意味でポピュラー音楽は出自からして英語のものだ。
日本語で歌ってもダサいが、同じくフランス語で歌ってもダサい(シャンソンはあり)。
わたしより一つ上の世代の方々の多くはサザンやユーミンに耽溺されていて、それらは日本のポピュラー音楽の最高峰とおっしゃるかもしれないが...



銀色夏生はひょっとして短歌的?!(<思いつきで言ってみた)


そ・し・て・僕は途方に・暮れる


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