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ママさん




先月、兵庫県尼崎市で、女性で最年少の市長が誕生したそうだ。

なるほど。喜ばしいことである。
尼崎は神戸の近所でもあり余計に喜ばしく感じる。


しかしこの関連記事を読むたびに、わたしはすごく嫌な感じがした。
もちろん最年少女性市長が誕生したことに対してではない。

マスコミが「ママ市長」とこぞって書きたてたことだ。


実際、新尼崎市長は、幼稚園児の母親であるということを売りにして当選したようではある。
しかし、パパ市長とかパパさん首相などとは決して言わないのに「ママさん宇宙飛行士」とか「ママ代議士」とか言うのはなぜ?

「ママさん○○」には、「男流文学論」で富岡多恵子らが語ったように、「女流○○」と同様、「亜流○○」、「我流○○」、「素人○○」、「趣味の○○」など、そういう雰囲気が漂う。
こういう表現には、書き手(おそらく男性で高学歴でマスコミに職を得られるほど優秀な)の好意ではなく、なんかこう複雑な気持ち(女に政治ができるかと思っていそうな感じ)が、見え隠れする。

女性が功をとげると、プロフィールに必ず「二児の母で」などと挿入されるのもガクッとくる。
男性には「二児の父でありながら研究を続けた」などと修辞しませんよね。


わたしが子どもの頃はママさんバレーというのがあって、マスコミでバレーボールに打ち込む主婦の方々の様子が取り上げられたものだが、子ども心に、絶対に「ママさんなんとか」と呼ばれるようなことは決してするまい、と心に誓ったものだ。



ああ、だから主婦になったのか。

ママさん主婦とは言わんもんね。

「ママさん主婦」だったら逆に言われたいような気もする(笑)。





この件は、例えば「マスコミはジェンダーに捕われているが、わたしはそういう偏見からフリーだ」ということではない(誰もそんな風に思わないって?)。わたしが「ママさん」に嫌な感じがする、ということそのものが、わたしに偏見があるということで...


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