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スプレッツアトーラ



Sprezzatura [sprettsaˈtura]

"a certain nonchalance, so as to conceal all art and make whatever one does or says appear to be without effort and almost without any thought about it" - Baldassare Castiglione

"studied carelessness" - Oxford English Dictionary


ある種のノンシャラン(無頓着さ、こだわりのなさ)、
がんばって会得した技術を隠すため
あらゆる行為や発言をまるで努力や思慮の介在なしにあっさりやってのけるかのように見せること

よく研究された無頓着さ、こだわりのなさ


カスティリオーネの「廷臣論」は未読だが、10年近く前に読んだパウンテン&ロビンスの「クール・ルールズ」に「廷臣論」の下りがあったな...と探してみた。

Sprezzatura、最近の娘との合い言葉になっているのだ。

「すぷれっつあとおおおら!!」とCMに登場するイタリア人親父のように強い押し出しで言うのがコツである。

内々の合い言葉にして修練は隠すべきなのに、「合い言葉にしてますのよ」と公言するなぞどれだけ修行が足りないか、だ。

思えばイタリア語には「ヴィルトーゾ」とか「プリマ・ドンナ」とか派手で分かりやすくも深遠な言葉が多い...音楽用語が発達したからだろうか(「粋」「幽玄」「侘び」など日本語にはさらに深遠な言葉が多いが決して派手ではないのが対照的だ。イタリア語では悲しみを表す語さえも派手に見える。わたしには)。


とにかく、わたしが祖母や母から「気取るのは家の中だけで」と言われ続けたように、わたしも娘に

「練習はリサイタル本番のように、リサイタル本番は練習のように」とか
「お家ではレストランのように、レストランではお家のように」と言うようになった。

「姿勢よく」「こだわりがあるのは行儀が悪い」など他にも自分が躾けられ娘にもしつこく言い続けていることはあるが、今年はわたしも特に意識してファッションや仕草などスプレッツアトーラで参りたいと存じます。

だから隠さなきゃいけないんだってば。


...



「イタリア後の動詞のスプレッツアーレは「軽蔑する、見下す」という意味であり、この概念の歴史を研究しているリチャード・ラナムによれば、『スプレッツアトーラという単語は、語源となった動詞の意味を残しており、軽蔑を含んでいる。スプレッツァトーラは、うまく自分を作り上げたこと、つまり、ある能力を取り入れて完全に自分のものにしたことを宣言し、自分に満足を与える(...)自分が豊かになり、大きくなる。その人間的な成長を示すものとして、努力を感じさせない態度、つまりスプレッツァトーラが生まれる』」(パウンテン&ロビンス「クール・ルールズ」)

まさーにボウ・ブランメルですな。

ウィキペディアのブランメルの立ち姿をご覧になって「ローワン・アトキンソンやんか...」は禁句です。
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