日本・ベルギー・英国 喫茶モエ営業中
Brugge Style
続・謎解き「白鳥の湖」 王子はなぜ心変わりするのか
「謎解き『白鳥の湖』」(タイトルは江川卓のドストエフスキー「謎解き」シリーズへのオマージュ。しかし知識量や考察に雲泥の差が...)に、このように書いた。
オデットに永遠の愛を誓ったにもかかわらず、王子が心変わりするのは、
「王子はオディールとオデット2人の女を間違えた、とよく言われるけれど、彼は間違えたのではない。彼はエスタブリッシュメントにちょっと反抗して見せたい中二病の男であり、親が決めた相手でなければ誰でも良かったのだ」
だと。
今も実はそんなところじゃなかったのかと思うが、ファン・フェネップの「通過儀礼」を調べている時に気になる記事を読んだ。
なるほどわたしの下衆な考察より、文化人類学や物語の類型レベルではこちらが正解なのだ、それならば王子の名誉を挽回しなければ申し訳ない、と思うので記す。
「成人のための通過儀礼として、少年が擬似的に死んでから青年として甦ったことにされる儀式が世界中で行われていた。この際、《死から甦った青年》が過去の一切の記憶を失ったように振舞う場合があったという。コンゴーのボマ地方では、成人式を受ける若者は一通りの試練を受けたあと仮死状態になり、模擬的に埋葬された。その後に大人として蘇生するが、その時には自分の名前をはじめ過去の一切の記憶を喪失したように振る舞い、大人としての新しい名前を授かったという。日本でも、かつて士族階級の男子は成人すると元服名を付けたが、これにも「新しい人間に生まれ変わった」という意味があったのだろう」(「眠りの姫のあれこれ 前半」 より)
この伝でいけば、ジーグフリード王子がオデットと出会った場所は「冥界」である。つまりオデットは永遠に美しい乙女すなわち死者で、同時に冥界の支配者ロットバルトの花嫁であると言えるだろう。さらに湖などの「水辺」は冥界の入り口だ。
王子が「この世」に戻って来た翌日に催された自分の花嫁選びの宴では、彼は「死から甦った青年」=成人だったのであり、オデットに永遠の愛を誓ったことなどすっかり忘却してしまっているのである。
実際、ギリシャ神話や昔話には「恋人のことをすっかり忘れた悪気はなさそうな男」の話がよくある。
王子は自分の花嫁を決める前日に通過儀礼を受けたことと引き換えに、永遠の愛の誓いを忘れた*...
悲しいかな、それがこの世で「大人になるということ」なのかもしれない。
他のお話。
例えば「人魚姫」の王子は難破船であわや溺死というところで人魚姫に助け出される。海辺で目を覚ました王子は通りがかった王女が自分を助けた恩人だと思う。王子のことが忘れられない人魚姫は自分の美声と引き換えに2本の足を得、もし王子が自分を結婚相手に選ばなければ海の泡と消えるという条件をのむ。声を失った人魚姫は自分の気持ちを伝えられず、結局王子は「恩人」である王女と結婚する。人魚姫の姉達は王子の命と交換に人魚姫が人魚に戻れる魔法の短剣を託すが、王子を愛する人魚姫は海に身を投げ、精霊になって天に昇っていった。
「人魚姫」の王子は海で臨死体験をする。そこで出会うのがこの世の者ではない人魚姫だ。海辺に打ち上げられ王女に発見される王子は「死から甦った青年」であり、過去の記憶の忘却と引き換えに「大人の男」として花嫁を選ぶのだ。
そういうわけで、バレエの物語を初め、ロマンティックなお話に登場する王子が誰も彼もそろって優柔不断でボンクラに見えるのは、お話の焦点が、実はもともとは美しい姫や魔法や悲恋にあるのではなく、男をどうやって大人にするかという類いのお話だったから(で、時代とともに焦点がボケできたから)と言えるだろう。
現代の先進国社会では、何割かの男が一生大人にならなくてもコミュニティが継続して行けるだけのシステムが整っている。しかし人間の歴史の長い間、多くの共同体では「大人の男」が一定の数そろわなければそれが存続の危機に瀕する、という知恵が共有されていたのだと思う。特にコミュニティをリードする役目を負う酋長や王の息子という立場の人間には大きな期待がかかっていただろう。
王子様、あなたがたは大人になる為の試練を乗り越えて行ったのですね。あなたがたが乗り越えて行った美しい乙女達の死屍累々は、あなたがたが大人になる為の代償だったわけですね...
*白鳥の湖のプロットはもう少しだけ複雑で、王子が本当に「大人」になるのは、過ちを認め、ロットバルトと戦うところにあるようにも見える。
あるいは最終的に愛=オデットを選んだ王子は、通過儀礼を受けることに失敗した男だったようにも見える...
ロットバルトは冥界の支配者であり、かつ通過儀礼を司る(男を大人にする)者、といったところか。そして恋人同士にとっての悪の権化。
「白鳥の湖」の解釈にはバレエカンパニーによっていろいろなバージョンがあるが、ロットバルトの二重性三重性を際立たせているバージョンは特に魅力的だと思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )