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Brugge Style
ポルトガルからフランダースへ(ヨーロッパの覇権の時代)
ポルトガルを訪れてからほとんどその足ですぐにベルギーに行ったのは、動線的に特別な印象を残した。
おとといも書いたが、
ブルージュは13世紀から15世紀の間、金融と交易で栄え、欧州で一番豊かな都市だった。
今のブルージュの規模からはちょっと信じ難いかもしれない。
港に適したブルージュがまず発展し、のちにこの機能がアントワープに移り、次にアムステルダムに移動、アムステルダムに移ったのがきっかけでオランダは(世界システム論的に)世界初のヘゲモニー国家になる。
世界史的には、まず大航海時代を切り開いたのはポルトガルとスペインであるが、なぜこれらの国がヘゲモニー国家にならなかったかというと、彼らが本国に富を蓄積せず、交易地点であるブルージュやアントワープ、アムステルダムでせっせと仕事をしたからだそう。
具体的にはこの時代の交易を担っていたのは個人の商人で、まだ国が保護する段階ではなかったため、商人たちは独自のネットワークを使い、金になる場所で好きに活動していたわけですな。
ブルージュにも、イタリア人やスペイン人、そして多くのポルトガル人がいたことだろう。
こうしてヨーロッパは世界の覇者になっていく。
興味深いことに、ヨーロッパが世界の覇権を握ったのはこの何百年かのことにすぎず、それまではアラブやアジアの方が進んでいた。しかしヨーロッパは自分たちが歴史を通してずっと覇者であったようにふるまい、またそういった印象を植え付けることにも成功している。
なぜか。
18世紀になって、ヨーロッパが海運による大西洋経済を完成し、大西洋世界とアジア世界を一つにした。
これが今わたしたちがよく知るグローバル経済の始まりであり、簡単にいうと、グローバル化とはつまりローカルな価値が世界を覆うことで、ヨーロッパは経済圏をひとつにまとめることにより、彼らのローカルな価値を「世界価値」にすり替えることに成功したからだ。
そのことにより、われわれ自身の思考がヨーロッパ的価値観によってどのように制約されているかを問う時でさえも、「われわれ自身の思考を制約している当の価値観」を用いてしか問うことができない状態にあるのだ。
写真はポルトのボルサ宮前の広場。
ブルージュじゃないの...似てるけど。
実は今日からまた草枕。ヒースロー空港も晴天。
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