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集団的夢のあとさき hotel de la marine




パリのコンコルド広場に立つ、双子の美しい建物の一翼、Hotel de la Marine (以下、オテル・ド・ラ・マリン)に、今回は滞在中に2回行ったのは...

パリで購入したかったものを商う店が1月いっぱい正月休みだったから。
そして、オテル・ド・ラ・マリンのミュージアム・ショップには、ごく一部だが欲しかったものが置いてあるのを思い出したからだった。

ちなみに双子の建物のもう一翼は有名なホテル・クリヨンである。
そう言われてピンとこない方も、写真をご覧になれば「ああ、あの建物!」と思い出されるであろうほど、パリの中心部に完全に溶け込んだ、18世紀新古典様式の美しい建物だ。

ちなみに両側にはシャンゼリゼ庭園とテュイルリー庭園、裏手にはブティックの立ち並ぶサントノレ通りとマドレーヌ寺院、という、「ザ・パリー」なロケーションである。




オテル・ド・ラ・マリンは、18世紀にルイ15世の命を受けた建築家ジャック=アンジュ・ガブリエルによって完成した。

当初は王室の家具保管庫(Garde-Meuble de la Couronne)として、フランス革命の1789年から2015年までは、フランス海軍の本部として機能していたため、「マリン」(海軍)の建物と呼ばれている。

特に有名なのは、1789年7月14日のバスティーユ襲撃を、ルイ16世はここで知ったという歴史的瞬間だろう。
ルイ16世はバスティーユ襲撃の歴史的重要性を理解できず、宰相に、「ではこれは反乱なのか?」と尋ねたという。
それに対し宰相は「いいえ陛下、これは革命です」と答えた...という逸話はあまりにも有名だ。




それはいいや。
今回も話は長い。

さて、わたしは2021年になって改装が終わり、美術館として最新の技術を備えたオテル・ド・ラ・マリンをうろうろしていて、ベンヤミンの『パサージュ論』を思った。

最も古いものが最新のものの中に入れ子状になっている...しかもその最も古いものはさらい古いものの中に...以下続く。
「時間の重層性」...ああ、この入れ子の中に飛び込みたい。壺中天の中に飛び込む仙人のように。

そしてわたしが買い求めたかった雑貨も、ルイ14世のバロックやルイ15世のロココの様式を参照しながら、現代の文脈で再構築したのを売りにするデザインだったのだ。
そのブランドの名もMerci Louis(ありがとう、ルイ)。
ブルボン王朝がすばらしき美学を残してくれたおかげで現代でも素敵なもの作りができる、ありがとう! というのがコンセプトだ(笑)。




現代のデザインが過去を参照するのは、デザインが常に「新しさ」だけではなく、「伝統」を引用することでその価値や魅力を高めることを示している。

例えば、ルイ14世のバロックの壮麗さ、マリー・アントワネットのロココの愛らしさを現代のデザインに取り込むことで、消費者に「歴史の重み」「洗練された趣味」「伝統とモダン」などを提供できる。

「過去の文化を参照しながら、それを現代の文脈で再構築したもの」は、歴史が「過去」として閉じているのではなく、現在と未来の中で新しい価値を持つ「生きたもの」として存在することを表しているといえよう。
「古いものが、最新のものの中に入れ子状態で存在する」ことの典型的な例である。

消費者がそのようなデザインを選ぶ理由の背後には、「豪華で贅沢な宮廷生活への憧れ」や、「伝統と権威に触れたい」という無意識的な欲望がある。
「歴史の断片」が「夢の形式」で現代に入り込むのである。これが「集団的な夢」だ。
記憶や象徴、憧れが集団的夢として生き続け、形を変えては現在の消費文化に幸福感として影響を与えるのである。




一方、ベンヤミンの批判的視座から見ると、過去の文化的価値(この場合は宮廷文化など)が、現代の消費市場に商品として装いを変えつつ登場することは、資本主義が歴史を「商品化」するプロセスの一環である。
過去は単なる記憶や遺産として保存されるのではなく、現代の欲望に組み込まれ、商品として消費可能な形で再生産され続けるのである。

過去・現在・未来を重層的に結びつける「時間の入れ子構造」、この夢の構造を批判的に捉えることこそ、現代に必要な「覚醒」への第一歩なのだとベンヤミンは言う。
夢は一見、美しく魅力的でありながら、現実を覆い隠し、現状を固定化する側面もあるからだ。

夢の背後には、歴史や権力の構造、資本主義のイデオロギーが隠れている。
現代人は過去の栄光に憧れて夢見る。
しかしその背景にある商品化、階級や搾取の象徴を意識することは少ないのである。




興味深いのは、ルイ14世や15世自身がもはや彼らは望んだ形とは違う形で神話化され、現代における集団的夢の一部となってしまっている点だ。
絶対王権の豪華さや権威は、もはや歴史的現実ではなく、理想化された「永遠の贅沢」として存在するのみなのである。
こうして絶対王権の遺産は、夢の中で新たな形を与えられ、現代の消費文化において永続的に生き続ける...

太陽王ルイ14世は、自らが築いた文化が現代において消費されることをどう思うだろうか? 
その威厳が軽んじられることや、大衆化されることに対して激怒するだろうか? 
それとも消費文化の中で永遠の命を与えられたと喜ぶだろうか?

あのメガロメニアックは意外に喜びそう...
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