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el escorial




マドリードから高速に乗って50分ほど、グアダラマ山脈の麓へ向かう。

山頂あたりに雪が残る、自然豊かなサン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアルへ。




エル・エスコリアル修道院は要塞のような威容に、清浄な空気をまとっている。

今回はこちらを訪問して、ティツィアーノやベラスケスを見るのも主な目的の一つだった。




時は16世紀。

フェリペ2世は、スペイン国王にして神聖ローマ皇帝であった父親のカール5世(カルロス1世)から広大な帝国を引き継ぐ。

その治世はスペイン帝国の絶頂期に重なり、ヨーロッパのみならず、中南米やフィリピンに及ぶ大帝国を支配。
メキシコやペルーなどからの大量の銀の輸出は、スペイン帝国を支え、ヨーロッパにおける経済的な影響を大きく変えた。

さらにレパントの海戦では、地中海の覇権を争ったオスマン帝国を退けて勢力を拡大した。

加えてポルトガル国王も兼ね、イベリア半島を統一すると、ポルトガルの植民地も継承。その繁栄は「太陽の沈まない国」と形容された。

なるほど彼は自分自身をソロモン王に擬えたというが、ここまで権力をほしいままにしたならば、単なる誇大妄想狂というわけでもないだろう。




ちなみに、わたしがここで興味を持つのは「なぜ『太陽の沈まない国』を支配したスペインが、覇権国家になれなかったのか」である。

スペインは「ひたすら金銀といった貨幣を蓄積することに励み、産業の発展には至らず、オランダは商業を発展させましたが中継貿易が主で、自らの国で商業を起こせませんでした。それに対してイギリスは、輸入した原材料を使って産業を興し、それによって資本主義を発展させ、海洋の支配権を握ることができたのです。イギリスは、加工貿易によって産業を興し、商品市場を支配しました」(的場昭弘著「『19世紀』でわかる世界史講義」)

おもしろいですよね!




フェリペ2世は1557年のサン=カンタンの戦勝を祝し、聖ラウレンティウスに修道院を奉献することを約束した。
それがエル・エスコリアル修道院である。

3人の建築家によって厳格な古典様式にデザインされ、1563年から19年にかけて造営された。

離宮として、あるいはハプスブルグの墓所として、新プラトン主義に基づく大図書館(知はすなわち神であり、世界支配のシンボルといえよう)、反宗教改革主脳としての機能を持たせた大建築。




当然、一二を争う芸術家の作品も多く収める。

たとえば、わたしは今回これを見るためにここまで来たと言って過言ではないティツィアーノ『聖ラウレンティウスの殉教』。
(その他、ティツィアーノ多数、エル・グレコ、ベラスケス、ヴァン・ダイク、ヴェロネーゼ、リベーラなども)





ハプスブルグの華麗なる霊廟を見学して聞こえるのは、祇園精舎の鐘の音。
感じるのは諸行無常。

どれほど権力を持ち、どれほどの土地を支配しようとも。
この世での不可能はない人物でも、近親者を亡くし、自分もいずれ死ぬ。

あちらには何一つ持っていけない。




グアダラマ山脈の向こうに極楽浄土を期待するような。


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