日本・ベルギー・英国 喫茶モエ営業中
Brugge Style
ショコラティン
チョコレートの棒切れが必ず2本入ったクロワッサン生地のパン。
わたし、大好物。
朝ごはんは絶対にこれを選ぶ。
"Pain au chocolat"「パンオショコラ」として北フランスのパリはもちろん、英国でもその名で流通しているが、南仏オクシタニアではこれが"Chocolatine"「ショコラティン」になる。
日本でも救急絆創膏や回転焼きを何と呼称するかの分布図があるように(神戸では「バンドエイド」と「御座候」)、"Chocolatine"で検索するとフランス地図上の「パンオショコラ・ショコラティン」分布図が出てくる。
当たり前の話、フランスはもともと今のフランスとして存在しているのではなかった。
13世紀のアルビジョア十字軍は、北で勢力拡大を続けていたフランス王が、経済的にも文化的にも豊かな南仏オクシタニアを支配せんとの動機(のひとつ)の元に行われ、彼の地が完全にフランス王権下に入るのは17世紀を待たねばならなかった。
無論、彼らに「フランス人」の自覚もない。
文化帝国主義により、オクシタニアのオック語は公式語ではなくなり、民衆言語に留まった。
フランス革命を機に民族分離主義運動が起こり、次第に拡大。20世紀初頭にはそれを危惧したフランス政権によってオック語による学校教育は禁止されてしまう。
「フランスは、近代国家による中央集権化の一環として言語の人為的操作を最も強硬に、また早い段階で進めてきた国家であり、方言禁止政策や標準語という名の人工言語の制定などは他の国家にとってのモデルケースとなった」(Wikipediaより)
フランス、イギリスの御家騒動(両方ともフランスに領土を持つ家同士、いわば「フランス人」同士の争い)と、アルビジョア十字軍の前後からフランスが(その領土イングランドを巻き込みつつ)いかに国を形にして行ったかを辿るのは本当に面白い。この旅行でもゆかりの地を多く訪れることができた。
なんせエドワードもヘンリーもフィリップもルイもマリーもリチャードもめっちゃくちゃ人数が多いから覚えておくのが大変だけど...
「昔は栄えたにもかかわらず今はそれほどでもなくなった」ものがわたしは大好きなのだ。
昔、その土地で話されていたという言葉や、捨てられた都、起源の辿れない習慣、他から来て習合してしまった神の姿などが大好きなのだ。
「ショコラティン」は「バンドエイド」みたいなもので、民族的な何かがそこにあるとは思えないが、南仏では「ぱんおしょ...おっと、しょこらてぃん」と言うと相手の顔が綻び、北フランスで外国人がうっかりショコラティンと言おうものなら苦笑されるのである。
ちなみにフラマンではchocolade broodjeである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« l'arlésienne | ルールマラン... » |