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Brugge Style
ベルギー解放80周年
モエはロンドン?
という写真で始まる今日のオハナシ。
ブルージュで友達とランチで盛り上がっていたら、鼓笛隊の音色が聞こえてきた。
(ランチはL'Aperovino Wine & Tasty Tapas で。オーナーマダムが友達の友達でソムリエ。おすすめです)
わたしは大きな窓に向かって着席しており、窓の外を英国陸軍のグレナディア・ガーズがおもちゃの兵隊さんのように行進するのを見て、ブルージュの景色が一瞬で「ロンドン」に変わったと、目を丸くした。
それだけ、彼らのコスチュームにはインパクトがあるということだ。
グレナディア・ガーズ以外のどの軍の制服を見ても、どこの国の何隊かというのは、わたしにはわからないと思う。
どなたもご存知と思うが、特徴的な黒い帽子は「ベアスキン」Bearskin。
その名の通り、カナダ産の黒熊の毛皮で作られており、高さ約45センチもある。
もともとはナポレオン戦争時にグレナディア兵が着用していた帽子で、兵士をより大きく、より威圧的に見せるためのデザインだ。
威圧的というよりもコミカルだと思うのは、わたしがこれを平時にしか見たことがないからか。
前菜はサーモンの刺身。
グレナディア・ガーズ(Grenadier Guards)は、イングランドの最も古い近衛歩兵連隊のひとつだ。
その起源は1656年、ピューリタン革命により大陸に亡命せざるをえなかったチャールズ王太子(後のチャールズ2世)が、亡命先のブルージュで自分の護衛部隊を設立したことによる。
チャールズ2世がブルージュに拠点を置いたのは、現代でも英国島から大陸へ海峡を渡ってすぐという地の利や、当時スペイン領ネーデルランドの一部であったブルージュが、自分を追放したイングランドの議会派政権とは距離を置いていたからだろう。
ピューリタン革命は、専制的な王権に対する議会の力を強化し、近代民主主義の基盤を築いた、一方で、宗教的・政治的な対立を激化させ、クロムウェルによる独裁的な統治をもたらした。
英国でフランス革命のような急激な革命が起こらなかったのは、すでにピューリタン革命があったからだと考える研究者もいる。
数トンのチョコレートで制作したカナダのシンボル、バッファローが登場して街の話題になっていた。
カナダ軍の兵士は、ベルギー解放で多くが犠牲になった。
最後になったが、この日9月12日にブルージュで行われたグレナディア・ガーズ音楽隊のパレードは、1944年のベルギー解放の80周年を記念している。
ベルギーは第二次世界大戦中の1940年、ナチス・ドイツに占領された。
1944年のノルマンディー上陸作戦が成功し、連合国軍が西ヨーロッパを解放していく過程で、同年9月にベルギーも解放された。
この解放作戦には、英国、アメリカ、カナダなどの連合軍が参加した。
まあ...戦争の悲惨さや犠牲を記憶するのは非常に大切とはいえ、外国軍がわが物顔で街を平和パレードするのはどうなのか。
平和の象徴が軍であるというのが、今の時代合わない、いや合わないと考えねばならない。
軍事による解決、軍事による平和よりも、別の次元のより平和的な解決、つまりは対話や協力を求めるべきと思うからだ。
とにかく、軍が「平和の名のもと」にパレードを行う趣旨には、わたしは両手をあげて賛成できない。
しかし軍事主義的な威圧感をも、グレナディア・ガーズの特徴的な制服と、コミカルなベアスキンが多少中和していると強く思う。
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