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onegin 「目覚めよ、眠れる美女よ」



昨夜のロイヤル・バレエの『オネーギン』のオープニングを鑑賞するために、ブルージュには2泊だけしてロンドンへ舞い戻ってきた。


バレエ『オネーギン』はジョン・クランコ振り付け(最近では彼の『白鳥の湖』をプラハのチェコ・ナショナル・バレエ公演で見た)、原作はもちろんプーシキンの名作『エフゲニー・オネーギン』だ。

プーシキンの『エフゲニー・オネーギン』は非常に人物描写が優れた作品で、そちらは原作をご覧いただくことにして、バレエ版の内容を少々...

田舎貴族のラーリン夫人には2人の年頃の娘がいる。
長女タチアナはフランス恋愛小説の虫、次女はオルガ、美しく明るい娘だ。
ある日、オルガの婚約者で詩人のレンスキーが、オネーギンを連れてラーリン家を訪れる。

タチアナはオネーギンを見た瞬間恋に落ちる。今まで小説で育んできた恋心がそこに結晶したような(したように見えた)青年だったから。彼はサンクトペテルブルグの社交界で手練した若者で、都会の虚飾に退屈し、近代的自我に悩みつつ、田舎に住み始めたのだった。

タチアナはオネーギンに対する恋心を抑えることができない。
夢の中でオネーギンと情熱的に踊る夢を見、熱烈なラブレター(もちろん小説からの引用多々)をしたためる。当時のロシアでは若い娘が男性に手紙を書くなどもってのほかと考えられていた。

しかし後日、タチアナの名の祝いの日パーティーで、タチアナはオネーギンから子供っぽい行動は慎むようたしなめられ、これ見よがしにラブレターを引き裂かれてしまう。彼は自分に好意を寄せる女になぞ興味がないのである。タチアナの傷心といったら...

オネーギンは確たる理由もなく深く憂いており、洗練されないタチアナに感情を乱され、苛立つ。
彼は腹いせに無邪気で幸せなオルガを誘惑し、レンスキーを怒らせることで憂さ晴らしをしようとする。が、オルガもレンスキーも本気にしてしまい、侮辱を受けたと感じたレンスキーはオネーギンに決闘を申し込む。
オネーギンは友人との決闘を避けようとするものの、時すでに遅し。体面を重んじる若い男2人は、姉妹が止めるのもかまわず決闘に挑み、レンスキーは死亡する。

オネーギンはすべてに絶望し旅に出る。

数年後、モスクワの社交界に戻ってきたオネーギンは、美貌と知性が評判の貴婦人に出会う。
それは公爵夫人となったタチアナであった。

彼はタチアナに求愛するが(もちろん彼は自分のものにならない女が好きなのである)、タチアナは彼から受け取った手紙を数年前彼がしたと同じように破り捨てる。タチアナは彼に本心を伝えつつも、目の前から永遠に立ち去るよう命ずるのだった。

......


ロシア文学の人物の描き分け方には驚愕し、喜びさえ感じる。
この作品もまたそういう作品のひとつである。

内面がたやすく想像できる人物や、ステレオタイプや普遍的な人物像、意外な行動をとる人物もいれば、単純すぎたり、複雑だったり、理解を超える人物も登場する。
しかも同時に「ここには異なる空間と時間に生きる読者である私自身のことが書いてある」と思える。「全世界と共感し共鳴する能力」がこの作品には備わっている。それはヒロイン、タチアナの持つ能力であり、しかも、ダンサーNatalia Osipovaの持つ能力なのである。

主役のタチアナ、全身全霊のNatalia Osipova、コミュニケーションの不完全、もどかしさ、夢見る気持ち、疎外感、みじめな気持ち、...すべてすばらしかった。
カーテンコールで彼女が大泣きに泣いていたのも印象的だった。
大人の女として毅然とした態度を貫いた姿に彼女自身の姿が重なる。


オネーギンはReece Clarke。
もともとNatalia Osipovaの相手役としてのオネーギンはVadim Muntagirovが予定されており、このペアを楽しみにしていたファンは多かったと思うのだが、数週間前にVadim Muntagirovが役を降り、急遽Reece ClarkeがNatalia Osipovaの相手役に。
Reece Clarkeは当初、タチアナの夫になる公爵役としてキャストされていたので大抜擢と言っていいと思う。これを機会に(?)彼はファーストソリストに昇進した。

この、とても人の良さそうな、大変舞台映えのする美貌で長身の若いダンサーが、黒い悪魔的な服装でその善良さを抑え付けるようにし、すねたオネーギンをどう演じるのだろうか。

心配は無用だと思ったのは開演してすぐだった。
というのは、オネーギンは、そもそもその人自身が空虚だからである。
オネーギンには自分が実際は空虚であると分かるくらいの知性はもちろんある。その空虚さゆえに自分自身にとことん退屈した男であるからこそ、タチアナはフランス恋愛小説で培った自分の理想をそこに好きなだけ流し込んで実現化してしまう。

オネーギンという人物は、一見すると屈折した複雑な内面と洞察の必要な難しい役、と思われがちだが、実は全く正反対なのかもしれない。
逆に複雑で演じ難いのはタチアナや、オルガの婚約者で詩人のレンスキーの方かもしれない。

Reece Clarkeという姿の美しいダンサー(実際わたしの後ろに座っていた若い女性3人は彼に夢中になっていた)が、実際、複雑な人物であるのか、天真爛漫な人物であるのか、気立てがいいのか、悪魔的に理知的であるのか、わたしたちには分からない。
しかし、彼が舞台の上では、中身のなさや空虚さを抱える、外見は洗練された超美しい若い男に見えるのは本当である。
このことをわかってキャスティングがされたなら素晴らしいキャスティングだったと思う。

難しいことは何も考えられない魅力的なオルガ役のFrancesca Hayward(最近のCats人気はどうだ)も、純粋で実直なレンスキー役のMathew Ballもそれぞれはまっていてよかったです。
ブラヴォー!

(写真はROHから拝借)
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