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Brugge Style
swan lake – special performance for ukraine
これぞ百花繚乱。モエ的極楽。ずっと見ていたい。
待ちに待った、ロイヤルバレエによる『白鳥の湖』ウクライナのための特別パフォーマンスSwan Lake – Special Performance for Ukraineを鑑賞した。
特別な趣向を含め、どなたの演技も高貴で素晴らしかった。
...いや、こう言いながらも非常に複雑である。
チャリティとはいえ、わたしは三度の飯よりも好きなバレエを鑑賞するのを楽しみにしていたし、歓喜にわれとこの世を一瞬忘れ、豊かな気持ちになった...からだ。本来なら戦争被害支援のこんな催しはないに越したことはないのに。
しかも、開演前に独善的なひとくさりがあるたびに思う。
ウクライナを支援するのは真っ当だ。
そうは思うが、ではシリアは? パレスチナは? ミャンマーは? という気持ちになる。
もちろん、他の国や難民を支援できないなら、ウクライナの支援をやめろと言っているのではない。
ただ、ロシアを西側諸国の都合ではなく、国連憲章と国際法においてのみ批判する、という態度を保持するのは大切だと思う。
民主主義だの人権だの自由だのを持ち出したくなる気持ちは分かる。わたしもその価値は何より大切だと思っている。
しかしそれらにしても絶対的なものではなく、「ひとつの価値」にしかすぎない。価値と価値の衝突が戦争を招くのである。そしてそれを双方が言い出すと歩み寄りはない。
戦後、国際社会は、言語も、習慣も、考え方も異なる、理解を絶した異質な他人同士が共存共栄するため、現状の国境線を武力では変更しないというルールを作った。
きれいごと、かもしれない。しかしそれを守らないことには、異質な他人は殲滅するまで叩き潰す、という状況に陥ってしまう。
ロシアはその点において非難されるべきである。
カーテンコールではプロセニアム・アーチ(舞台の額縁に当たる部分)がウクライナ国旗色に彩られた。
拍手するのに忙しかったのでこの写真は幕間のもの。
さて、今回の特別版の『白鳥の湖』は、最初、「4人の女性プリンシパルがオデット・オディールを交代で踊り、ジークフリード王子はVadim Muntagirovが務める」と告知された。
それでわたくしは妄想も逞しく、この世ならぬ者のオデットとオディールには多層的な性格が備わってるゆえ、個性の違う女性プリンシパルが入れ替わり幻のように登場し、王子を翻弄し、混乱させ、間違った判断(オデットとの約束にもかかわらずオディールを選んでしまう)をさせてしまうというような演出を想像し、ほくそ笑んでは盛り上がっていたのだった...
モエのこのカラフルな妄想に比較して、演出はごく平常通りであり、単にシーンごとにプリンシパルが変わる、という率直なものだった。
つまり
第一場 Lauren Cuthbertson, Matthew Ball
第二場 Sarah Lamb, William Bracewell
第三場 Marianela Nunez, Vadim Muntagirov
第四場 Natalia Osipova, Reece Clarke
が、だからといって、魅力が減ったというわけでは全くない。
特に第三場の花嫁選びの舞踏会シーンにオディールが現れ、王子を誘惑するシーン(Marianela Nunez, Vadim Muntagirov)の完璧な魔法のような絢爛さ。
第四場で王子に裏切られたオデットの絶望と悲嘆を、腕の動きで物語るNatalia Osipovaの迫真。
他にも、ジークフリード王子の母親である女王も、ロットバルトも、王子の友人ベンノ、王子の妹2人も、さらに指揮者も...ダブルキャストだった。
そうだ、一幕目で全部かっさらっていったのは王子の友人ベンノ役のJoonhyuk Jun。
跳躍の夢のような美しさも、立ち姿の美しさもさることながら、役柄をよく理解しているのではと感じた。
オーケストラは...珍しくテンポが非常に不安定で残念だった。
Marianela NunezやLauren Cuthbertsonのインスタにも当夜の写真がたくさんアップされていて、何度も見てしまう...
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