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聖土曜日 庭先にリラの精、降り立つ




去年の春は、春を告げる花の一つであるリラ(ライラック)が、珍しくひとつも花を咲かせなかった。

今思えば、新型コロナウイルスが世界を席巻するという「死」の一年間を暗示したような出来事だった...と(こじつけて)言えなくもない。

今年は紫色のつぼみをたくさんつけているので毎日今か今かとチェックしている。


明日、日曜日は復活祭。

復活祭とは、まさに「新しい生命の甦りは、死の後にやってくる」という生のサイクルを表している。

古代から、人間、特に農業を営んでいた人たちは、この生のサイクルに敏感だった。
冬の訪れは植物の死に直結している。さらに植物の死は人間自身の生命の枯渇に結びついていた。

人間はただ春が来るのを待つだけでなく、冬の死の後に必ず春の再生が訪れるよう、さまざまな儀式を行ない、祝わった。
むしろ、「死」が十分でない時には、「死」を人為的に作ったほどだ。神に捧げられる犠牲は、死を人為的に作り復活させることによって「生命の復活=春」を確実に呼び起こす儀式にほかならない。

もちろん、キリスト教がイエスをいったん十字架上で死なせ、わざわざ復活させてから昇天させた紆余曲折にも大きな意味があるのだ。


リラの精といえば、バレエ『眠れる森の美女』の重要な役割を演ずる。

オーロラ姫が、冬に一度死に、春に再生する大地の女神だとすれば(オーロラという名は「曙」の意味、つまり暗闇が明けること)、リラの精はそれを先導する死と再生を司る神である。

わたしはリラの精とカラボスが、表裏一体の死と再生を司る同一柱だと思っている。

例えばギリシャ神話で死を司る神は確実に再生の神でもあるし、エジプト神話のオシリス神、シュメール神話のイシュタル神も同じような役割を持っている。他にも光と闇の神、破壊と再生の神はいくらでも見つかる。


どんなに厳しく長くとも、冬の後には必ず春がくるという自然の大法則、そしてそれを少しでも確実にするための「復活祭」、それは明日。



ロイヤル・バレエ『眠れる森の美女』2009
Marianela Nunezのライラック・フェアリー
今の衣装よりもこちらの一世代前の衣装の方が好みだ。
マリアネラ、まさに女神
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