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Brugge Style
修学院離宮の滝の音
2ヶ月前(2024年12月)の日本一時帰国時のハナシの、書きさしがいくつかあるので、完成させて載せることにした。
今後数回は日本に舞い戻ります。今日は滞在中2回行った京都。
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桂離宮と修学院離宮の両離宮を訪れたのも良い思い出だ。
紅葉は、桂離宮はほぼ1ヶ月、修学院離宮はほぼ10日遅れ(離宮の方のお話)だった2024年。
修学院離宮はまるで村一つ分をそのままお庭にしたよう、段々の田畑あり、松の並木道あり、山あり...
浴竜池を見下ろす隣雲亭では、楽器を奏でるような清らかな滝の音が聞こえる。
しかし、滝そのものは見えない。
これをわたしはベルギー生まれ、英国育ちの娘に「日本的な美学」と説明したが、どうかな...
日本には、暗示的な表現、「見立て」「間(ま)」「余白」を重視する独特の感性がある。
この場合、滝そのものを庭の正面に置いて「滝でーす! どうです! すごいでしょう!」と、どどーんと見せず、わざと隠すことによって、見るがわに音や周囲の風景から滝を想像させ、視覚以外の感覚を刺激し、心象風景を深めるのである。
水の音、水の流れる空気、沢の湿り気のにおい、複数の感覚を通じて体験を深める。
視覚だけに頼らず、五感を駆使させ、今いる時空を抜けるような鑑賞法が重宝されるのである。
見えない滝は、より神秘的で印象的になるであろう...
なんという美意識。
このような庭作りは、枯山水や茶庭にも通じる日本美学の核であり、「省略することで豊かさを引き出す」という思想が根底にある。
「見えない滝」には、見る者が主体的に自然や空間と対峙する余地が与えられているのである。
どうかな、ヨーロッパ育ち、日本贔屓の娘にちゃんと説明できたかしら。
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