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ルールマランの墓




リュベロンには「フランスで最も美しい村」がいくつもあり、その多くが山頂に形成された村だ。

有名な「天空に浮かぶ」ゴルドや「赤い」ルシヨンなど、鷹の巣にも例えられる村々。


頂上にある城や教会を中心に巻貝のように発達し、坂道、階段、細い路地、行き止まり、隠れた扉、紫がかった水色の木製シャッター、小さい噴水...とても魅力的だ。

早くはケルト、古代ローマ時代に起源し、中世、フランス革命の混乱を経て、その土地で採れる石材でできた村は再生を続け、旅人や、小説や映画に登場しては人を魅了し続けるという。


その中でルールマランは山をひとつふたつ越えた、比較的平らなところにある。

中世は、山越えが危険であったため(山賊に襲われたり)、中継地として栄えたのだそうだ。




わたしは山頂の村落よりも比較的ゆるやかな地形にある村落の方が落ち着く...

ルールマラン村はリュベロンの中ではわたしが一番好きな村だが、もちろん先達はいて、それがわたしも大々大ファンのアルベール・カミュ。





アルジェリアで生まれ、パリで仕事をした彼のお気に入りの村であり、こちらに家を持っていた。
若くして逝った彼の墓はこちらにある。

墓にはペンがたくさん供えてあった。最初に捧げた人は彼にもっと買いて欲しかったと思ったのだろうか。
何か捧げ物を、と考えている人はペンを持参するといいかもしれない。



I don’t know whether this world has a meaning that transcends it. But I know that I do not know that meaning and that it is impossible for me just now to know it. What can a meaning outside my condition mean to me? I can understand only in human terms. What I touch, what resists me- that is what I understand." The Myth of Sisyphus"

「私はこの世界に超越した意味があるのかどうかを知らない。しかし、私はその意味を知らないことを、そしてそれを知るのが不可能であることは知っている。私の限界の外側にある意味がいったい何を意味できるのか。私は人間の限界の範囲でしか理解できない。私が触れるもの、私に抵抗するもの、それらが私の理解できるものだ」

he wants to find out if it is possible to live without appeal. "The Myth of Sisyphus"

「人間は上位の権力に訴えることなしに生きることは可能なのか」(上位の権力とは意味、神や規範のこと)


カミュはこのようなことを言っていた。
正確な引用ではないが、
「死んでから出会う神様なんかいないと思うが、もし死後、神様に出会ったとしても恥ずかしくないような生き方をしたい」と。

人間の社会で起こることには人間に責任があるのだ。


もうルールマランの日が暮れかけていた。
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