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ジェントルマン的生活





この週末が明けたら、英国での隔離生活も8週目を迎える。

今日は晴天。
諸々の用事を一回の外出で片付けるために、緑豊かな丘陵地帯を30分車で駆け抜け、うちから一番近い大きめの街へ行ってきた。
この2ヶ月間で家の半径1マイル(約1.6キロ)から出るのは2回目だ。


わたしが住んでいるイングランドのサリー州はゆったりした郷里だ。
ここに住まうようになったのは、ベルギーから引っ越してきた時に、生活の中心として一番に決めた娘の学校(当時11歳)と、夫が仕事でロンドンのオフィスへ通える範囲の2点からだった。

最初はまるで六甲山の山腹(わたしは神戸の山の麓出身)に住んでいるかのようなこのエリアが面倒でたまらなかったのだが、徐々に慣れ、最近では自然の美しさやのどかさを慈しむまでになってきた。
住めば都、というのは本当である。


もともと道を走る車の数も多くはないが、現在の隔離状況下でますますすれ違う車も少ない。
道を雉のカップルが横断し、マグパイがのんびり歩いている。
夜は普段よりも多くのうさぎが飛び跳ね、きつねが走り、ふくろうが飛ぶのだろう。

それこそプチ・トリアノンの「王妃の村里」 (Le Hameau de la Reine)のようなリッチな農家風の家や大農園がどこまでも広がり、キラキラした草原で馬や牛が草を食んでいる。

このサリー州の郷里は、ジェントリ好みに人工的に田舎風に整えられたカントリーサイドなので、わたしはプチ・トリアノン風と呼んでいる。

ジェントリ、というのは身分上は庶民である大地主層のことである。
ジェントリと、地主貴族が「ジェントルマン」を構成する。

この、広大な土地を所有する不労所得階級であり、かつ地域社会に対しては、経済・政治・文化・文明的に奉仕する名士であるジェントルマン的生活は、英国人の理想の生活、成功した人のゴール(のひとつ)とみなされているといっても過言ではないだろう。



例えば娘の親友家族は、オックスフォード卒のご両親は半リタイアしていて、ガーデニングをしながら、家庭菜園を育て、養蜂し、毎朝パンを焼き、庭(庭じゃないな...)に馬を飼って乗り回し、雑草を食べてくれる羊を出入りさせている。そしてその対価として牧畜家から肉を受け取る。
買い物は「乳製品とワインだけ」だそうだ。

クラシックカーをもて遊び、音楽をたしなむ。
父上はいい意味で変人で、なんともいえない自虐的ジョークを放つ。

彼らは年に数回ロンドンに出てオペラを見、冬に大陸ヨーロッパのシックなスキー場へ行く以外、生活の全てが家の周りで完結しているので、今この状況でも普段とほとんど全く生活に変わりがないそうだ。


...こういった生活をしていると見られることが大切なのである。



18世紀英国の作家、ダニエル・デフォーは『ロビンソン・クルーソー』の著者として有名だ。
ちなみに、『ロビンソン・クルーソー』は冒険譚として取り上げられることが多いが、実は「ジェントルマン階級に成り上がりたい」と刻苦精励する人物の話である(川北稔著『イギリス近代史講義』より。わたしは川北さんの大ファン)。
ちなみにクルーソーが成り上がるために最初に着手したのがなんと奴隷貿易。

このデフォーが、17世紀にロンドンでペストが流行し大パンデミックを書き残しており(『ペスト』)、当時もロンドンの金持ちは次々とカントリーサイドのマナーハウスに逃げ出して行く一方、ロンドンで最前線で働き、また働くしかない人々の様子が描かれている。

今も当時もほとんど社会が変わっていないことに驚愕する。
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