goo

豆腐のメタモルフォーゼ




わたしは旅先でスーパーマーケットに行くのがとても好きだが、自分の街の行きつけのスーパーマーケットに行くのはあまり好きではない。
なぜなら毎週毎週ほとんど同じものを買うばかりだからだ。終わりなき日常。革命が必要。和食材マーケット、ブルージュにも欲しい。


昨日、スーパーでいつものようにいつもの豆腐をカートに入れていた。
このスーパー(デ○ーズ)で売られている豆腐は、日本の豆腐から水分を50パーセント減量したような有機の代物だ。水分が少ないためか日持ちがする。冷や奴やマーボー豆腐にしても全くおいしくはないが、水切りを要する料理にはその手順を省けるゆえ、もってこいなのである。そう言えば友人は「油揚げを作るのにいいのよ」と言っていた。ステキな奥さんである。

それで豆腐をカートに入れていたら、その売り場を整理していた担当の女性が、
「あなた日本人ですか?豆腐って身体にいいんでしょう?食べてみたいといつも思ってるのだけど、レシピを見てもあまりおいしそうじゃないの。日本人はそれをどうやって食べるの?」
と聞いて来た。
おいしそうじゃない豆腐のレシピってどんなんなんやろ...


「そうですね、例えば今夜は娘のリクエストでチキンナゲットを手作りしますが、豆腐を入れたらふんわりしてぱさぱさにならず、おいしいんですよ。ヘルシーな食材だけでハンバーガー屋の味が再現できますよ。同じようにハンバーグにいれてもいい。」
と言ったら、側で買い物をしていた人まで会話に割り込んで来た。
「豆腐の落とし揚げ」はいかに作るか、細部まで説明させられた。
彼女は「それで痩せられるかしら」と言った。食材としてはヘルシーでも揚げ物では痩せられんやろ。和食を食べさえすれば痩せると思っている人が多くて困る。


最近は(と言ってもすでにこの12、3年)街の普通のスーパーに白菜や大根やが売られていたりして本当に有り難い。
お米を始め、現地の商品では代用できないものもたくさんあるものの、わたしが外地で機嫌良くサバイバルできている理由の一つは絶対に日本の食材がある程度は手に入ることである。
他にはインターネットの発達と、輸送手段の多様化かな。



「デ○ーズで売られているものだけを使って和食をつくる」というレシピを出してはどうだろう、と思った。
ほら、カード状になっていて、食材の側に置いてあって、誰でももらって行けるようなやつ。
エスニック食材の棚の横に置いておけば、持って行く人は多そうなんですけれどね...
そして和食材がどんどん売れるようになったら種類が増えて値段も安くなる、と。


どなたかなさいませんか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ベルギー 対立について あるいは自由とは何か




一昨々日のベルギー 言語対立という記事がきっかけで、日本の友人と電話で長々話し合った。

日本ではあたかも「選挙の結果、明日にもベルギーが南北に分裂するかのように報道されていた」から驚いたそうだ。


ベルギー北部オランダ語共同体でネオソフト右派が圧勝し、独自の道を行くことを多くの人が選んだことに対し、南部フランス語共同体では左派が議席を守ったという現象には、社会的経済的に自立する自信のある北部と、社会福祉にある程度は頼らなければならない南部の、自分たちの将来に対するパースペクティブの差が現れていて興味深い。



彼女は、オランダ語共同体のナショナリズムに拍車がかかっていることや、イスラムの女性のニカブを禁じる法律が成立しそうなことなどから、久しく移民や外国人に対して融和政策を取ってきたベルギーが、ここにきて排他的になっているのはなぜなのか(先日も書いたが、EUの理念とは完全に逆行する。しかしグローバル化が民族意識を高めたのは誰もが知る通りである)、弱くなった隣人を弱さゆえに切り捨てろ、というオランダ語圏の態度はおかしいし、自由の国で特定の服装が禁じられるのもおかしいのではないかと言った。


わたしもそう思う。特に「自分も弱くなる可能性がある」(例えば事故に合うとか、年を取るとか、失業するとか)ということを勘定に入れられない社会にわたしは住みたいと思わない。


「自由の国で、ある特定の服装が禁じられるのはおかしい」に関しては、たぶんニカブ禁止に賛成の人たちの理屈はこうだろうと思う。
自由の国でニカブが禁止されるのがおかしいと言うのならば、禁止することも自由なのであると。民主主義下で決定された事項には従わねばならないと(実際そう言う人がいるのをニュースで見た)。

プロパガンディストがよく言うことである。彼らは自らの主義主張を通すためには、諸処の事情やわれわれの日常を守っているささやかな「道徳」などという事柄に関しては無視を決め込むのである。自分のやり方が、宗教原理主義者のやり方に似ずぎていることに気づかないのか。



ヨーロッパ(米国も)は結局、ホッブズが人類の平和的共存のためには危険であるから「捨てるべきである」とした「自然権」を、人間の根本的な権利として、歪めて捉えてしまったのだ(それはロックのせいだ、と長谷川三千子は言う)。

自然権とは、「各人が、彼自身の自然すなわち彼自身の生命を維持するために、彼自身の欲するままに彼自身の力を用いるという、各人の自由である。したがって、彼の判断と理性において、そのためにもっとも適切な手段だと思われるあらゆることを行う自由」である。
しかし世の人間一人一人が、自己保存のための自分の欲望を「正しい権利」として行使してしまうと「万人による万人に対する戦い」を招き、バトルロワイヤルな世の中になってしまう。そうなると自己保存どころではない。
だから人間がこうした人間の愚を認識して、自ら「自然権」を放棄し、安全を共通の立場から保障してもらう、その方が結局は一人一人の自己保存の可能性が高くなるから...
というのが社会契約論だ。

つまり自然権とは人間のエゴのむき出しであり、それゆえに文明社会に置いては共同体に預けよう、そしてお互い譲り合って共存しよう、という手錠をかけられるべきものであったのに、現在ではそのエゴが「自由」「権利」と高らかに叫ばれるものになってしまったのだ。
宝の持ち腐れ。


わたしは条件付きでニカブ禁止反対派である。
というのは、平和理にやってきた移民をわざわざ差別して先鋭化させることは、ゼロだったかもしれない危険をわざわざ呼ぶことになるかもしれないからだ。
しかし一方では、人口も少ない高齢化した街、ベルギーから出たこともないような人しか住んでいない街の一角が、真っ黒のベールを全身に被った人で占められ初めたら、それは怖いのかもしれないな、とも想像はできる。


だからこそ、そこで人々は、自らが好き勝手を行使する「自然権」を放棄し、自由で平等な社会であるからこそ、被害者面をすることを止めて、大小の共同体でもって友好的な話合いで歩み寄るべきだと思う。

つまり、「自由」とは自由が保障されている国で自分の好き放題にしていい、という意味では決してなく、われわれがある程度自由である為にはお互いある程度譲り合い、我慢しよう、ということなのである。
たぶん成熟した市民とはそいうことができる人のことであると思うし、そういう人の多い社会は「自由」で、とても住みやすいのではないかと思う。

それができたら苦労しないとか、オチはそこかい、と言われるかもしれないが、他にいったいどんな方法がある?

そういった意味合いで、前にも書いたが、「ローマにおいてはローマ人のするようにせよ」というのは、まさに多様性のある場所では自分のエゴはちょっと抑えてお互い他者に敬意を払え、礼儀正しく、虚心坦懐でもって、という知恵であり、ローマ人と同じ服装をしろとか、マイノリティはすっこんでろとか、異教の神は拝むなという意味ではないと思える。実際、ある時期のローマはそういうことにとても寛容だった(このあたりはわたしはローマびいきなので)。




わたしは人間がいずれこういった問題を解決するだろう、とは決して思わない。社会矛盾も、誤解も、対立も差別もなくならない。
決定版の理想(この言い方は「白い白馬」ですね...)、というものもない。
ナショナリズムに関しても異文化に対しても、正しい解決法はこれとか、理論的にはこうでなければとかいう議論は不毛だと思う。
今、可能な方法はこれだけだけれど、これでなんとかやってみるか、どこまで行けるか試してみるか、しのいでみるか、というちょっと腰が砕けたような態度で、螺旋的に前進して行くしかないと思う。

そう思うと、今までのベルギーのように折り合い点を探し、迂回し、ぐずぐず問題を引っ張り続けることが、われわれの多様性から最大の利益をもたらす方法なのではないかと思うほどである。

オランダ語共同体にもベルギーにも、アクセルを踏みすぎないように望む。





彼女との会話の中で特におもしろいな、と思ったのは、以下である。冗談なので流して欲しい。
例えばうちの娘のように、ベルギー人としても日本人としてもアイデンティティは希薄で、信心はなく、キリスト教の学校に行ってはいるがリベラルで授業では宗教の多様性について習っていて、4カ国語を話し、将来はシンガポールに住みたいと望み、見た目はちょっと何人(なにじん)なのだか分からない...こういう人間が圧倒的マジョリティになったら世界は良くなるんでしょうかね。

わたしはそうは思えないけれど。人間はきっと他の区別差別を見つけ出すだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

エイジズム




わたしは長い間、娘に嘘をついていた。




「わたしの年?31歳。」と。


娘が3年生くらいのころ、やたらと人や動物の年齢に興味を持っていて、その時に
「絶対クラスでお友達に言いふらすやろ」
という読みが、わたしにとんでもないサバを読ませてしまったのだ。


そういうわけでわたくしは当年とって33歳ざます。
娘は22歳の時に誕生いたしました。



先日、娘のクラスに臨時の先生が来られた。彼の頬が薔薇色で学生のような雰囲気だったから、

わたし「高校生みたいな人ね」
娘「だって24歳だって。若いでしょ。ママは24歳のとき、何をしていた?」
わたし「まだ日本の大学で勉強していましたよ。」
娘「....」

それでわたしは告白する気になったのである。

娘は初め、笑って信じてくれなかった。


「わたしがあなたにずっとウソを言ってたことがショック?それともわたしの本当の年齢がショック?」
「本当の年(爆笑)」




別にわたしは「数字なんてただの背番号!」とか「40歳というかわりに40カラットと言うの(ハート)」みたいな気色の悪いことを言うつもりは全くない。
年齢なんて関係ない!と言うのは、もう何歳だから、まだ何歳だから、と年齢に異常にこだわるのと同じ心持ちである。

反対に年齢に厳かな意味を持たせるつもりもない。
社会的に意味のない言葉というのは存在しないから、年齢から意味を完全に剥ぐことは不可能だが。


ああ、わたしも知らず知らずのうちに、成熟をよしとしないアメリカ文化の洗礼を受けているのだな。
50歳前後になったらフェイスリフトくらいはやるかも...と友だちと真剣に話し合っていることだし...


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ベルギー 言語対立




ベルギーという国を何らかのスキームで分けるとしたら、南部のフランス語共同体と北部のオランダ語共同体に大きく分けるのが一つの方法である。

そしてフランス語共同体とオランダ語共同体間で、終わりなきもめ事が続いているのは周知のことだと思う。


具体的に争点になっているのは、恐ろしく簡単に言えば、

ある日、「ある街」で、外国語を話す国民が過半数になり、彼らの有利なように選挙を運んだとしたらそれは法律違反か、違反とするならばそれは差別ではないか、というようなことだ。




例えば、日本が関ヶ原の合戦の後、岐阜県を境に南北に分裂して日本連邦を構成するようになったとする。
長い年月のうちに、言語的に南部は大阪弁、北部は東京弁が独自に発達し、全く別の言語になったとしよう。
岐阜県は北部に属するが、国の首都は岐阜県の関ヶ原に置かれていて、大阪弁東京弁両言語の二公用語都市とされている。

経済的には北部は脱近代化にキャッチアップし豊かになったが、南部は遅れが目立ち、その結果、(連邦ゆえ人民の移動は自由であるから)南部の流民が首都圏に押し寄せ、首都周辺の北部東京弁地域に南部大阪弁話者が過半数になり、法律で定められた東京弁の議員ではなく、大阪弁を話す議員が選出されたとしたらそれは法律違反か、違反とするならばそれは差別ではないのか...

また、産業の脱近代化にキャッチアップして豊かな北部が、衰退する産業のために貧しい南部経済にひきずられて来、もうたくさんだと感じたらどうなるか...
南部は北部から切り離されたら、社会保障、福祉面で大幅な遅れを取ると不安に感じていたら...





で、昨日の選挙は、「ある街」:ブラッセル周辺の「票田の分配の仕方」をめぐる歴史的な選挙だったと言われ、下馬評通りネオソフト右派(最終的に北部の独立、国家連合を目指す。ここが重要な点なのだが、南北の国の分裂は目指してはいない。)が圧勝した。



多くのベルギー人が、言語の違いから引き起こされる(ように見える)「票田の分配の仕方」と、その解決法に関心を抱いており、わたしも飲み会の肴として意見を求められたりした。

それに対しわたしは、争点になっているこの問題よりも、なぜベルギー人は、無意識下では、あたかもこの問題自体を解決したくないかのように、ずっと解決を先送りし続けてきたのか、ということに興味があると言うことにしている。

そうなのだ。ベルギー人は、この言語共同体間の問題を解決したい解決したいと言いながら、毎度の選挙では議員の顔をすげかえるだけで何も変わらない現状に甘んじている(それが昨日の選挙で変わるかもしれないし、変わらないかもしれない)。

もしベルギー人が、心からこの問題を解決し、すっきりした一つの国、ベルギーとしてまとまりたいのならば、ブラッセル周辺の票田や、南北の経済格差などに関してだけではなく、「フランス語共同体とオランダ語共同体は、なぜ解決を先送りし続けるのか」その根本的な「コンプレックス」や「トラウマ」についてを明るみに出すべきだと思う。
まあ、フロイト大先生がおっしゃるように、病理の原因になっているトラウマをトラウマとして確認できるならば、それはもうすでに病理ではない、ということになるのだが。だから外国人であるわたしの出番ですよ(笑)。



ベルギーは比較的新しい国だ。
建国は1830年のオランダからの独立で、独立のきっかけとなったのは宗教対立、つまりプロテスタント的支配からのカトリックの分裂、であった。
また、この独立が承認されたのも、ヨーロッパ大国間の衝突を避けるためにクッション地帯形成を是非ともとしたため、というのだから...
それ以前もベルギーは地理的に様々なヨーロッパ列強の支配を経験し、例えば「何千年も前から日本語を話す日本人が住む日本」という類いの感覚はあり得ない。


国民国家とは、ベネディクト・アンダーソンによると、「想像の共同体」であり、この特質は、過去と現在と未来をひとつの均質な時間で貫こうとしていることにある。
つまり「過去と現在と未来をひとつの均質な時間で貫こうと」する歴史の力が弱いベルギーでは、おそらく国民としてのアイデンティティが構築しにくい、と言えるのである。


だからベルギーのナショナル・アイデンティティは「われわれは何者であるのか」という自問の繰り返しによって構築されて来た。
われわれは貴族ではない。
われわれはプロテスタントではない。
われわれはフランス語話者/オランダ語話者ではない。

人間が「自分は何者であるのか」というアイデンティティを立ち上げる時、設問の形としては必ず「われわれは何者でないか」という語法を使う。
「わたし」は自分が何者であるかと言う時ですら、必ず他者を必要とし、自立的に「わたし」自身であることはできないのである。他者の存在を介在しなければアイデンティティというものは成立しえないものなのだ。


このように、ベルギー人は自らのアイデンティティを立ち上げるために絶望的に他者(この場合はフランス話者の場合はオランダ語話者を、オランダ語話者の場合はフランス語話者を)を必要としているのである。
二言語間の対立が解消してしまったら、彼らはおそらく自己というものを容易に維持できなくなってしまうのである。




宗教共同体と王国が社会の組織化のために果たした役割が衰退するとともに、国民という理念が新しい共同体として登場した。国民という理念形成を推進したのは、俗語の国語化、印刷を通じた情報技術の発達、資本主義経済の発展である...とベネディクト・アンダーソンが「想像の共同体」で述べている。
つまり、国民国家下では、言語アイデンティティが重要な役割を果たすのである。その次の段階で人間が何をもってアイデンティティを構築化するようになるかということについては述べられていないのが残念である。





だからフランス語オランダ語間のこの問題が解決したとしても、おそらく将来のある段階で、例えば「アントワープを他のアントワープ州から切り離す」とかいうことになるのではないかと思う。

欧州連合の自由化の波の中で(欧州連合内では欧州人は好きな土地で好きな職につける)、まるでその理念に逆行するかのように、永遠に隣の「わたしとはちょっと違う」人々との闘いをやめられないのである。


つまり言語闘争は、ベルギー人の欲望なのである。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

青い雨




オランダ語で藤のことを「青い雨」と言う。
漢語のようで素敵だ。












今年は花をたくさんつけさせるのを優先して枝や葉を刈りに刈り込んでもらったのだが、わたしとしては花はなくとも蔓が伸び放題、自然に棚を形成するような育て方が好きである。

来年は花が盛りのうちに切り花にして、景徳鎮の大きな壷に投げ入れてみたい。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »