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ベルギー 言語対立




ベルギーという国を何らかのスキームで分けるとしたら、南部のフランス語共同体と北部のオランダ語共同体に大きく分けるのが一つの方法である。

そしてフランス語共同体とオランダ語共同体間で、終わりなきもめ事が続いているのは周知のことだと思う。


具体的に争点になっているのは、恐ろしく簡単に言えば、

ある日、「ある街」で、外国語を話す国民が過半数になり、彼らの有利なように選挙を運んだとしたらそれは法律違反か、違反とするならばそれは差別ではないか、というようなことだ。




例えば、日本が関ヶ原の合戦の後、岐阜県を境に南北に分裂して日本連邦を構成するようになったとする。
長い年月のうちに、言語的に南部は大阪弁、北部は東京弁が独自に発達し、全く別の言語になったとしよう。
岐阜県は北部に属するが、国の首都は岐阜県の関ヶ原に置かれていて、大阪弁東京弁両言語の二公用語都市とされている。

経済的には北部は脱近代化にキャッチアップし豊かになったが、南部は遅れが目立ち、その結果、(連邦ゆえ人民の移動は自由であるから)南部の流民が首都圏に押し寄せ、首都周辺の北部東京弁地域に南部大阪弁話者が過半数になり、法律で定められた東京弁の議員ではなく、大阪弁を話す議員が選出されたとしたらそれは法律違反か、違反とするならばそれは差別ではないのか...

また、産業の脱近代化にキャッチアップして豊かな北部が、衰退する産業のために貧しい南部経済にひきずられて来、もうたくさんだと感じたらどうなるか...
南部は北部から切り離されたら、社会保障、福祉面で大幅な遅れを取ると不安に感じていたら...





で、昨日の選挙は、「ある街」:ブラッセル周辺の「票田の分配の仕方」をめぐる歴史的な選挙だったと言われ、下馬評通りネオソフト右派(最終的に北部の独立、国家連合を目指す。ここが重要な点なのだが、南北の国の分裂は目指してはいない。)が圧勝した。



多くのベルギー人が、言語の違いから引き起こされる(ように見える)「票田の分配の仕方」と、その解決法に関心を抱いており、わたしも飲み会の肴として意見を求められたりした。

それに対しわたしは、争点になっているこの問題よりも、なぜベルギー人は、無意識下では、あたかもこの問題自体を解決したくないかのように、ずっと解決を先送りし続けてきたのか、ということに興味があると言うことにしている。

そうなのだ。ベルギー人は、この言語共同体間の問題を解決したい解決したいと言いながら、毎度の選挙では議員の顔をすげかえるだけで何も変わらない現状に甘んじている(それが昨日の選挙で変わるかもしれないし、変わらないかもしれない)。

もしベルギー人が、心からこの問題を解決し、すっきりした一つの国、ベルギーとしてまとまりたいのならば、ブラッセル周辺の票田や、南北の経済格差などに関してだけではなく、「フランス語共同体とオランダ語共同体は、なぜ解決を先送りし続けるのか」その根本的な「コンプレックス」や「トラウマ」についてを明るみに出すべきだと思う。
まあ、フロイト大先生がおっしゃるように、病理の原因になっているトラウマをトラウマとして確認できるならば、それはもうすでに病理ではない、ということになるのだが。だから外国人であるわたしの出番ですよ(笑)。



ベルギーは比較的新しい国だ。
建国は1830年のオランダからの独立で、独立のきっかけとなったのは宗教対立、つまりプロテスタント的支配からのカトリックの分裂、であった。
また、この独立が承認されたのも、ヨーロッパ大国間の衝突を避けるためにクッション地帯形成を是非ともとしたため、というのだから...
それ以前もベルギーは地理的に様々なヨーロッパ列強の支配を経験し、例えば「何千年も前から日本語を話す日本人が住む日本」という類いの感覚はあり得ない。


国民国家とは、ベネディクト・アンダーソンによると、「想像の共同体」であり、この特質は、過去と現在と未来をひとつの均質な時間で貫こうとしていることにある。
つまり「過去と現在と未来をひとつの均質な時間で貫こうと」する歴史の力が弱いベルギーでは、おそらく国民としてのアイデンティティが構築しにくい、と言えるのである。


だからベルギーのナショナル・アイデンティティは「われわれは何者であるのか」という自問の繰り返しによって構築されて来た。
われわれは貴族ではない。
われわれはプロテスタントではない。
われわれはフランス語話者/オランダ語話者ではない。

人間が「自分は何者であるのか」というアイデンティティを立ち上げる時、設問の形としては必ず「われわれは何者でないか」という語法を使う。
「わたし」は自分が何者であるかと言う時ですら、必ず他者を必要とし、自立的に「わたし」自身であることはできないのである。他者の存在を介在しなければアイデンティティというものは成立しえないものなのだ。


このように、ベルギー人は自らのアイデンティティを立ち上げるために絶望的に他者(この場合はフランス話者の場合はオランダ語話者を、オランダ語話者の場合はフランス語話者を)を必要としているのである。
二言語間の対立が解消してしまったら、彼らはおそらく自己というものを容易に維持できなくなってしまうのである。




宗教共同体と王国が社会の組織化のために果たした役割が衰退するとともに、国民という理念が新しい共同体として登場した。国民という理念形成を推進したのは、俗語の国語化、印刷を通じた情報技術の発達、資本主義経済の発展である...とベネディクト・アンダーソンが「想像の共同体」で述べている。
つまり、国民国家下では、言語アイデンティティが重要な役割を果たすのである。その次の段階で人間が何をもってアイデンティティを構築化するようになるかということについては述べられていないのが残念である。





だからフランス語オランダ語間のこの問題が解決したとしても、おそらく将来のある段階で、例えば「アントワープを他のアントワープ州から切り離す」とかいうことになるのではないかと思う。

欧州連合の自由化の波の中で(欧州連合内では欧州人は好きな土地で好きな職につける)、まるでその理念に逆行するかのように、永遠に隣の「わたしとはちょっと違う」人々との闘いをやめられないのである。


つまり言語闘争は、ベルギー人の欲望なのである。



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