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金曜日のヴェネツィア





金曜日の夕方。

アカデミア美術館前の船着場でボートを待っていたら、学校が終わったばかりらしい男の子らとその母親たちがやってきた。

最年少の5歳くらいの子がグズグズ泣くので、若く綺麗なお母さんに名前を何度も呼ばれていた。

「アルヴィーゼ」

お母さんにシャボン玉液を与えれれて機嫌を直したアルヴィーゼ坊やはシャボンを飛ばし始めた。他の子供達がそれを乱暴に追いかけた。

ドージェの肖像のように頬が削げた高齢の男性も、ベンチに腰掛け、杖をついた身体は全く動かさなかったが、微笑んでそれを見ていた。

さきほど遅いランチをとったレストランで見かけた丸い白髪頭の男性と美しいお嬢さんも偶然やって来た。お嬢さんが1番のボートに乗り込むと、彼は背中に声をかけたが彼女はこちらをふり返らなかった。しばらく水辺に佇んでから彼は背中を丸めて去って行った。


アルヴィーゼの飛ばす七色のシャボンがあちこちへ飛び、ヴェネツィアの時間を写しては消えるようだった。



(アルヴィーゼはヴェネツィアの男子名で、ルイの変形)
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印象・日没








マルモッタン・モエ美術館蔵
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la bayadere








昨夜のロイヤル・バレエ「ラ・バヤデール」La Bayadereの話を。


実は昨夜帰宅したのが24時半、シャワーを浴びて紅茶なんかを飲んでいたらあっという間に1時半、スーツケースを詰めていなかったため、目覚ましは3時にセット、空港に向けて家を出たのが5時。
で、今、目を爛々とさせながら空港ラウンジでこれを書いている次第。

今夜はヴェネツィアの夜霧に包まれて早く床につこう...

閑話休題。

昨夜は前回とリハーサル時に見たものと主役の女性ダンサー2人が入れ替わったバージョンだった。

11月5日
Nikiya-Natalia Osipova
Gamzatti-Marianela Nunez
Solor-Cesar Corrales

10月30日と11月1日
Nikiya-Marianela Nunez
Gamzatti- Natalia Osipova
Solor-Vadim Muntagirov


前回と前々回のマリアネラ・ヌネツが神殿の巫女ニキヤ(奴隷のような立場)、ナタリア・オシポワの王女ガムザッティのバージョンもすばらしかった。
マリエネラのニキヤはここまで表現できるかと感嘆するほど霊的で、神聖な巫女だったし、ナタリアの王女はピュアなほど率直だった。


が、わたしは昨夜のナタリア・オシポワの神殿の巫女ニキヤ、マリアネラ・ヌネツの王女ガムザッティのバージョンに軍配をあげようと思う。
ナタリアの踊る巫女は、ソロルへの愛以外になにひとつ、なにひとつも持たない、身分の卑しい、つつましい巫女だったからだ。
1幕目の第三場のガムザッティとソロルの婚約の場面で踊るニキヤには泣かされた。わたしの隣の女性は比喩でなくほんとうに泣いていた。
マリアネラの王女ガムザッティは顔の向きから腕の上げ方ひとつひとつが気高く高貴で、王女とはこういうものであるのだという存在感と説得力がすごかった。もちろんダンスも完璧。至宝マリアネラ。

そして、2人の女から愛される英雄ソロルはロイヤル・バレエで主役デビューのCesar Corrales。
このデビューは絶対に見たかったの...

幕間のフォワイエで「スター誕生よね!」とわいわい騒いでいる人たちもいた。ソロで踊る時の彼のギラギラしたカリスマはイングリッシュ・ナショナル・バレエの時と変わらずすばらしく、女性をサポートするのはもっと修行が必要かと思うが、これからを楽しみにしている人はとても多いと思う。これまでもタマラ・ロホやアリーナ・コジョカルのパートナーを務めて来たのだし!


(昨夜の写真は出ていないので...初演時のものから。Marianela NunezとVadim Muntagirov)
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roksanda 冬の白








今夜はこれを着て出かけよう

冬の白い蝶のようなRoksanda


わたし自身はどちらかというと芋虫だが


(花瓶の水が反射しているせいでえらい皺に見えますな)
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ガイ・フォークスの夜(と収穫祭の果物)








ホテルの朝。


今夜は英国はガイ・フォークス・ナイトを祝う町村が多い。ほんとうは11月5日だが、週末に前倒しされること多し。

わたしの住んでいる町(村?)では移動遊園地が設置され、ガイ・フォークスを焼くとてつもなく巨大な焚き火が設置され、屋台も出るので、近郊から多くの人が集まり、そのため早々に通行止めになる。

それでロンドンへ避難してきた次第。


ガイ・フォークスは、わたしは古代のウィッカー・マンの伝統がガイ・フォークスの事件と結びつけられたのでは、と思っている。
冬を前に収穫を感謝し、再生の季節がまた巡ってくるよう生贄を捧げ、汚れを払う、と。


気の毒なガイ・フォークス(人形です)は1日中、町や村の中を引き回しの刑にされ、最終的に大焚き火の中で焼かれる。

焚き火に向かう最終的なパレードでは、松明やろうをくを持った人々が大行列をなし、酔っ払った大人、目の座った子供、みな火を見て興奮しているのか、現代人がまとっているものが剥がされて、原始的な本性がむき出しになってるようで、ちょっと怖い(笑)。


わたしは皿に盛られた色形の美しい果物にちょっと感謝しながら(季節感がない果物だけど、現代的)、収穫祭を個人で祝ってみた。
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