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第16回ヴェネツィア・ビエンナーレ 「自由な空間」






右上から時計回りにオーストリア館、ベネズエラ館、フィンランド館、ユーゴスラビア館


わたしのブログを読んでくださる方はじゅうぶんご承知だと思うが、わたしはめちゃくちゃミーハーなたちであり、こういうイベントに目がない。

クラシック音楽、バレエなどの舞台芸術、美術、工芸、建築、ハイ・ファッション...万難を排して鑑賞に行く。

もともと、人間にとって「美」とはどのようなものなのか、人間は世界をどのように解釈するのか、ということにとても興味があるのだ。


カーサ・ブルータスに「『第16回ヴェネチアビエンナーレ国際建築展』が開幕。カトリック総本山、ヴァチカンの初出展が圧巻です」という記事が載った頃から、がぜん行く気になっていた今年のヴェネツィア・ビエンナーレ建築展であった。




右上から時計回りに日本館、フランス館、ベルギー館、オーストラリア館


ジャルディーニとアーセナルのメイン会場における国別展示とテーマ別展示を見て、わたしが建築の素人として考えたのは、説明がないと楽しめない建築は果たして優れた建築といえるのか、「自由な空間」といえるのかということだった。

もちろん、「建築そのもの」と「建築に関する展示」という大きく分けて2種類の展示方法はあると理解している、というのは前提で、いくら資料を集めて詳しく凝った展示をしたとて、建築の意図に仔細な説明が必要だったり、建築の知識がない人や子供には理解できない趣旨だったりしたら、それは優れた建築といえるのだろうか、と。

われわれは文化文明的にゆるくつながっているとしても、言葉は異なり、人々の了解事項も微妙に異なる。

建築は床の間に飾って鑑賞するものではなく、実用性がその核だと思うからだ。
先日訪れたウィーンで19世紀世紀末に起こったセセッション(ウイーン分離派)のモットーは言うなれば「用の美」で、それだと思うのだ。


その点でいうと、優勝したスイス館は優れていたと思う。
スイス館は「不思議な国のアリス」体験を提供した。

真っ白の家屋の中の入り口左手には、奥の方までずっと伸びた廊下が見える。しかしそれは目の錯覚を利用した空間で、実は奥行きはほとんどない。奥にあるものを小さく作ってあるだけのことだ。
家屋の中に入ると、全く同じ家具(白いキッチンと白いドアと白い窓枠)のサイズが部屋ごとに伸び縮みし、自分の体のサイズが変化するような気になる。

全然文字の説明の必要なし。ドイツ語やフランス語、リンガフランカたる英語がわからなくても、大人も子供も、世界中のどこからきた人でも体が伸び縮みする「自由な空間」を体験できる。




スイス館、ブラジル館、スカンジナビア館、イスラエル館


夫はイスラエル館(聖墳墓教会の宗派別テリトリーが展示されている)とロシア館(ロシアの駅のデザインを中心に展示)がいいと言った。

わたしは建築自体はスカンジナビア館(未来の生命維持装置)、ドイツの自由と「壁」の展示、ベルギー館のコンセプト(EU本部がある国として、自由な意見を交わせる上座のない円卓を展示)、フランス館のコンセプト(古い建築を残しつつ、いかに現代の生活にマッチする施設に再利用するか)、イスラエル館の映像(時間帯によってユダヤ教徒とイスラム教徒が交代で使用する宗教施設の映像作品)がおもしろいと思った。


特別賞は英国が受賞し、これが傑作だった。
英国館は「カラ」なのである。どの部屋にも何もなく、のっぺりした白い壁の天井の高い部屋がいくつもあるだけ。わたしたちが訪れたのは会期終了間際(25日まで)だったので、もしや「撤去が始まった?」と思ったほどだった。

この作品にはおそらく賛否両論があったと思う。
コンセプトとしてはレクチャーやコンサートが次々に開かれる「自由な空間」としての展示だそうで、「そうきたか!」という感じ。ちょっと間違えたら散々な結果に陥るところだったろう。
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