コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

コミュニケーション論

2009-06-01 23:30:55 | コミュニケーションワーク

今日は仕事の関係で、京都市内の数箇所を自転車で移動していました。
心地よい気候(ちょっと汗ばむくらい)のなかを、青空を見上げながらお寺やビル街などの混在した「京都らしい」ところを走っていきます。
そんな中、前回書いた会議のコミュニケーションのことをいろいろ考えていました。

コミュニケーションをとろうとするときに、大きく二つの事が関係者の中で流れていく気がします。
ひとつは「出来事」、もうひとつは「感情」です。
相手に何か伝えようとするときに、このどちらを受け止めて欲しいのか…また相手がどちらを受け止めたのかでコミュニケーションの流れが違ってきます。

たとえば、前回書いたところで言うと
「どうして今までと違うやり方に変わったのですか」
という質問の場合、「出来事」で行くならば「やり方が変わったことの是非」になりますが、「感情」で言うならば「変わった事が嫌」「変わって戸惑っている」「変えて欲しくなかった」と、様々なものが奥底に潜んでいます。

これに対して「こういう理由で変わった」だとか「決めるときに説明した」というような「出来事」に対する回答は大事ですし、これが正論ならば余計に相手は「出来事」に対して一段落つけ、納得なり次の段階の質問なりに移っていくことが出来るでしょう。
しかし、そこに「感情」をわかって欲しいという気持ちが残っているならば、まったく受け止めてもらえていないことに、ますます感情が渦巻いてしまいます。

私は、ミニカンやエンカウンターを通じて、出来事を話すときでも、その時々に湧き上がってくる感情があれば、出来るだけそれを言葉にするようにしています。
そうすると、相手の方がその「感情」を受け止めてくれるんですね。

ですから、相手に伝えたい人は出来るだけ「感情」を言葉にしてみる。
伝えられる側は、その「感情」の言葉を受け止めてみる。

実際に「やり方が変わった」ということはひるがえらなくても、「嫌だと思われたんですね」「戸惑っておられるんですね」「変えて欲しくなかったんですね」という”受け止め”を経た上で「でも、こういう理由で変わったんです」と返していけるならば、一歩進めると思います。


また、もうひとつ大事なことに「最後まで聞く」ということがあります。
相手が言い切らないうちに、反論をしてしまう場面がよくあります。
やはり自分にとって「嫌なこと」を延々と言われ続け、早くそれをさえぎってこちらの言い分を返したくなるのは当然でしょう。
しかし、多くの場合、相手がまだ言い切っていなければ、こちらの反論を聞いたうえでも、またもとの話題に戻されて「言いたい気持ち」を成就させるまで終わらないことが多いと思います。
じっくり腰をすえて「聞ききる」事をした上で、「こちらも言わせてもらっていい?」と確認して進めていければ、何かが変わると思います。

逆に話し手が言い切る前に、相手が動き出したときは「ごめん、まだ言い切ってないからもうちょっと言わせてもらっていい?」と意思表示をできれば、相手も気づいてくれると思います。

日本人って(べつに日本人にくくる必要もないんですが)、「阿吽の呼吸」とか「暗黙の了解」とか、はっきり表明しなくても「わかってくれているはず」でコミュニケーションを進めてしまいがちです。
そういうのを美徳としているのかもしれません。
でも、そのことでお互いが「言い切らない」まま話が進んでいけば、結局堂々巡りを繰り返します。

ミニカウンセリングで、話し手と聞き手を明確に分けて、コミュニケーションを体験するのはすごく大事なことだと思います。
まずは、そういうコミュニケーションが上手に出来るひとに「聞いてもらう」体験をして、「言い切る」ことがいかに気持ち良いか知ってもらえれば素敵だと思います。

親子の関係でも、職場の関係でも、コミュニケーションであるかぎり、これは大事なことですね。

幸い、私は多くの方とのご縁で経験してきたことが、今は当たり前のように感じています。
でも、最初は当たり前じゃなかった。
知っている人との出逢いがあり、教えを受けて、体感できたんですね。

いろんなところで機会がいただけるならば、私が得たものを共に体感する集いをどんどん開いていきたいですね。
関心のある方は、遠慮なくご連絡ください。
プロの講演家じゃないですから、気軽にお手伝いさせてもらいますよ。

連絡先 manu.takahashi@nifty.ne.jp