「別離の悲しみを考える会」に参加したあと、ブログにすることでもう一度かみ締めなおしたり、講師の鷹見さんにお礼のメールを送ったりして、少し俯瞰したところからもう一度問題を押さえてみる事が出来ました。
そうすると、もう少し聞いた話の具体的なところでも振り返ってみたいなという欲求が生まれています。
ちょっと、その気持ちに乗っかってみようと思います。
もしかしたら、これから書くことは「あたりまえ」のことかもしれません。
しかし、それを「あたりまえ」と思っていない人の言動によって傷つく方が居られるのも事実です。
ならば、「あたりまえ」と留めておかずに、言葉にしてみることでもう一度私自身が、新たなものとして取り込むことに意味があると思います。
講義の中の一説に「死別体験者への言葉かけとして、控えたほうが良い表現」というのがありました。
安易な励まし・保証
「しっかりしてね」
「がんばってね」
「大丈夫だよ」「大丈夫もうすぐ元気になるよ」
安易な同意
「あなたの気持ちはよくわかる」「心中お察し申し上げます」
悲しんでいることを責めたてる
「いつまでも泣いていてはだめ」
「悲しんでいても死んだ人は喜ばないよ」「悲しんでいても死んだ人は生き返らないよ」
「泣かないで」
悲しみの比較
「あなたはまだましよ」「○○を亡くした人はもっと悲しいんだよ」
「あなただけじゃないのよ」
「~するより、まだよかったんじゃない」
「長く苦しまないでよかったんだよ」
立ち直りの時期や方法を勝手に決める・急かす
「もうそろそろ立ち直ってもいいんじゃない」
「早く新しいパートナーを見つけて元気になって」
「また作ればいいじゃない」
「早く遺品の整理を」
「納骨はどうするの」
無理解
「あなたは強いわね」
「元気そうでよかった」
「時間が癒してくれるのよ」
「○○さんの気持ちもわかってあげなくちゃ」
関係の無い話・理解できない話
自分の体験談やアドバイスの押し売り
同じような境遇の赤の他人についての話
難しい話・専門用語の羅列
死の意味(意義)や原因を勝手に決める
死(遺志)を社会化することを押し付ける
「先祖のたたり」「悪因縁を取り除いてあげないといけないですよ」
遺族感情に反した死の意味づけ「別離の悲しみを考える会」資料より
いかがでしょうか。
励まされて元気になるタイプの方も居られますが、みんなが必ずしもそうじゃない。
「自分は励まされて元気になったから」といって「がんばってね」と声をかけてあげることが、相手の苦痛につながる場合もあるなんて想像できましたでしょうか。
「あなたの気持ちはよくわかる」なんていうのも、相手に方に寄り添っていることだと思ってなかったでしょうか。
比較して、「まし」だと思ってもらうことが美徳だと思ってませんでしたでしょうか。
勝手に相手の調子を決め付けるのも論外です。
こうやって見直してみると、「あなたのために」という気持ちでスタートしているはずが「理解してあげている私」に酔ってしまうことになっていないでしょうか。
もちろん、そんなつもりは無く、ほんとうに「あなたのために」という気持ちなんでしょうが、それが必ずしも相手の方の気持ちに添っているとは限らない・・・ということを意識して欲しいんです。
だめなことばかり言われても困りますよね。
ではどうしてあげたら良いんでしょうか。
じつは、「こうすれば良い」っていう正解を提示することは出来ません。
ただ、私はこうしているってことがあります。
まず、こちらが話すんじゃなくて、相手の話を聞いてあげる。
何も返事をしないのも辛いですから、相手の方が話された「気持ち」を口に出して返してあげる。
たとえば「悲しい」と言われたら「悲しいんやね」と。
勝手に想像をつけくわえて「親を亡くして悲しいんやね」とか、「辛く悲しいんやね」とか、「すごく悲しいんやね」とするんじゃなく、相手の言葉だけ返す。
相手が沈黙しているときは、ゆっくり待ってあげる。
実はこれは簡単なようで、なかなか出来ていないことです。
今回の話題は、「死別体験者への声かけ」として書いていますが、普段のコミュニケーションでも通じることが多くないでしょうか。
ちょっと悲しみを抱えている友達や、悩んでいる子どもに対して、アドバイスや励ましを送る…それが、本当に相手が望んでいることかどうか。
私は以前から「がんばれ」という言葉に対しての思いや、相手の気持ちを決め付けることに対して、「そうじゃないんじゃないだろうか」ということを言い続けてきました。
それらは、カウンセリングを学んで「相手を尊重する」というのはどういうことかということを深く意識してからより強くなっています。
細かいテクニックをなぞっていくのもひとつの道かもしれませんが、その奥底にある「相手の尊重」ということが身についてくれば、言動は後からついてきます。
まずは、これは「言って欲しくない」ということを鏡に、自分の間違いを意識してみるところから、「じゃあ尊重ってどういうことだろう」って考えてみて欲しいんです。
「相手の嫌がることをしない」っていういのは、まずやってみることが出来るんじゃないでしょうか。