春期研修会も早くも5回目、前半戦の折り返しです。
私は先週の研修会後に愛媛と広島の出張があり、さらには週末に東京へ行くなど、その全部が運転しての移動でしたのでかなり身体を酷使した感がありました。
一方で、東京で参加した法座で聞かせていただいた法話を浴びて、結構気持ちはいい感じでの参加です。
最初のチェックインではそのあたりの出来事を少し話が出来ました。
しばらく休まれてた方も参加され、今期初めて全員参加(1回目も全員でしたが、2回目から参加された方も居られるので、これでフルメンバーになりました)
それぞれの方が、それぞれの思いを抱えて参加されているのが面白いですし、机上じゃなく生身の「関わり」だなとひしと感じます。
前半は蓄語録検討。
前回発表のペアが交代しての逐語です。
クライエントさん、カウンセラーさんともに経験者と言うこともありますが、クライエントさんはどんどん話が進んでいく、カウンセラーさんはうなづき・レスをしつつも話の邪魔にならないスタンス。
実践では見過ごしがちなところも、蓄語を見ながらだといろいろ気づくところがあります。
後半はペアを組んでのミニカン実践。
ペアを組んだ方とは何度か法座でごいっしょさせていただいている方。
最近法座に出られて自分自身のこと、関わりのあった方との関係など、動いているものを話してくださいました。
交代して私がクライエントとして話するときには、ミニカンが始まるまで持っていた「話したいこと」と今カウンセラー役として聞いたところでの「話したいこと」が混在していました。
まぁ、流れのままに終着点を考えずに話していこうと。
で、いろいろ味わったことがあります。
それは、ここ数日いろん形で私の中に渦巻いている思いとリンクするものです。
「相手の尊重」ということ。
このこと自体は改めて書こうと思いますが、今回のミニカンでのところで。
カウンセラー役の方は、この春から初めてミニカンを経験されている方です。
うなづきやレスの”形”はこれから経験されていくところです。
そういう形が未熟だと、「尊重されている感じがしない」かというとそうではないなと。
相手の方の話を受けて言いたかったことを話していましたから、カウンセラーさんは興味のある話題になったんだと思います。
振り返りのときにご本人もおっしゃってましたが、「聞き込んでいた」と。
そのときに外から見た”形”のところでは、この研修会で学んでいることを活かせていなかったと思います。
しかし、「あぁ、話を聞いていてくれる」「興味を持ってくれている」という感覚が話し手の私に伝わってきます。
そのことをして「あぁ、尊重されているな」ということを感じました。
カウンセラーとクライエントの関係において、必ずしも話の中身に興味を持つことばかりじゃないと思います。
そういうときでも、中身でなくクラエントの心の動きを”聞いていく”ことは経験を重ねて出来ることでしょうし、相手を尊重すると言う意味では気持ちを聞いてあげることは基本でしょう。
でも、そういう入り口のところだけでなく、「聞かせてください」というものが伝わってくるときがあります。
そういうときに話するのは気持ち良いんですよね。
で、聞いてもらうと次々と話したいことが湧き上がってくる。
そういう気持ちを持っていることを自分で気づく。
言語化して口に出す。
耳からもう一度聞かせてもらう。
「上手にカウンセリングしてもらう」ということ以上に、「ここにいて聞いてくれる」ということが私にとって大事な時間だったなと。
一見、「相手が誰であろうと、どういう状況だろうと、話したいことがあれば話せるんじゃない?」とも取れるかもしれませんが、やはりこれは「この時間・この場所・この人」という状況と、このわたしが響きあって生まれたものだと思います。
聞きあう…響きあう…育ちあう…
そして、この場を作り上げたもの…
こういう話をしたいと思わせた、相手の方が話してくださった法座の話、私が体験してきた法座の話、それぞれの生まれてからおかれてきた環境や経験、そういう偶然の産物が、ただ偶然ではなく、縁である。
その縁を通して、確かに聞かせてもらう仏願。
真宗カウンセリングが、わかりやすい形で表出した時間でした。