コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

「別離の悲しみを考える会」

2009-06-25 02:21:00 | 真宗カウンセリング

西本願寺の聞法会館で行われた「別離の悲しみを考える会」に参加してきました。
http://www2.hongwanji.or.jp/kyogaku/next/pdf/pos2.pdf

これに参加するに至るまで、また参加しての気持ちと言う部分と、内容に関しての部分と、二つ大きな「書きたいこと」があります。

まずは中身についての思いを書いて見ることにします。

 宗派が昨年、約1万カ寺の僧侶を対象に行った自死問題に関する調査では、「僧侶がかかわることができると思うが、何もできていない」との回答が最も多い45%を占めた。宗派の教学伝道センターは「調査の実態を踏まえ、遺族の方に寄り添い、ともに歩んでいくことができるのかを考える機会にしたい」と話している。京都新聞


この集まりがあることを知ったのは新聞の記事でしたが、その時点での興味は「浄土真宗(僧侶)が自死に対して、なにかしらの行動を起こせるんだろうか」という部分が大きかったですね。
しかし、実際に今回講師として話された方の視点は「自死で家族を亡くしたものへのケア」と言う部分でした。
ある意味、私にとっては「僧侶の問題」よりも、より「私の関わりの問題」に近くなりました。
結論から言っちゃうと、やはり「カウンセリング」を通じて課題にしている「尊重」ということに大きく関わる話題だからです。

西本願寺が企画していることでもあり、また講師の鷹見さんがすでに別の講習などで僧侶の方と交流をもたれているからでしょう、話の視点が「僧侶の方にはこういう配慮を持って欲しい」ということが底辺に流れていた気がします。

まずは、家族を亡くした遺族がどういう気持ちでいるか、どういう行動を起こすか(起こせないか)ということを概論として聞かせていただき、その中でも「自死」という突然の別離をしなければならなかった人にとっての問題を聞かせていただきました。
資料を基に、細かく書いても良いのですが、興味があればそのあたりは直接見聞きされたほうが良いでしょうから、やめておきます。
こちらにホームページがあります。
リメンバー名古屋自死遺族の会

僧侶に関わるところで行けば「理解する力が無い状態」なので、いきなり「仏教とは…」などという壮大な話をされてもついていけないし、「命の尊厳」などを言われると「自死という選択をした家族が責められている」ということがあるようです。
あと、「難しい言葉は理解できない」ということもありましたし、だからといって優しく「たとえ話」をされても「その意味するところを考える力が無い」と。
これらは、実際に集まられた声と言うことですから、重みがあります。

逆に言うと、そういう話をされる方が多いと言うことなのでしょう。
「伝えたい」という側と、受け取る側のギャップ…
こういう声を聞かせてもらえる機会は少ないと思います。

そうすると「真宗カウンセリング」が大事だなということに思いがつのります。
仏法と言うことを表に出すのではなく、「仏法が根底に流れている」者として、相手に寄り添っていく。

遺族の方は励ますよりも「しっかりと悲しむ」行動をとらせてあげることが大事だと聞かせてもらいました。
物理的には時間に追われゆっくりすることが出来ないのが現実の葬儀事情ですし、その胸のうちを吐き出す相手がいなければ「悲しむ」ことすら出来ません。
話したいことを話したいように話できる環境。
アドバイスや心理操作以前の部分です。
私が真宗カウンセリングで学ばしてもらっていることが、ずばり当てはまる気がします。

また、具体的に「こういう言葉は言って欲しくない」ということも聞かせていただきましたが、相手の方を尊重するということが身についていれば避けられる言葉ばかりです。
逆に言うと、尊重せずに投げつける言葉に、家族を亡くした悲しみに上乗せする形で傷つけられている…
その多くは、その他大勢の方ですが、「法話」の言葉にもその可能性があるということは、教えてもらう必要があると思います。

 

講義を聴かれたのは150名ほどでしょうか。
おそらく大半が僧侶の方だと思います。
今日の話を聞かれて「じゃあ、どうすれば」というところで途方にくれて居られるかもしれません。
(ある意味、一般的におこなわれている法話はほとんど否定されましたから)
ひとつの答えが「真宗カウンセリング」にあるのは確かですね。
私自身は僧侶じゃないですから、私が知らないだけでみなさん「カウンセリングマインド」を何らかの形で勉強されているかもしれませんが、もしひろまっていないのならば、「接する機会がある遺族の方のため」に一度真宗カウンセリングに触れてもらえれば…
そんなことを考えていました。

今、このタイミングで、こういう場に行こうと思ったのは不思議な感じがします。
この話を聴く…ご縁ですね。