今期は参加者が少ないので、逐語録検討は5回。
ということで、今週は逐語録検討なしで、実践を2回。
この日は京都の南部で大雨や落雷があったそうで、その影響でお一人が後半からの参加。
なので、人数が奇数の前半は私がタイムキーパー。
皆さんがペアを組んでカウンセリング実践している間、30分強、一人でいろいろ考える時間。
とはいえ、周りでいろんな話がなされている状況でゆっくり自分の内側に浸ることも出来ず、手持ちの資料に目を通すも、文字を目では追ってるが頭には入らず…そんな感じでした。
休憩を挟んで、到着された方も含めて8名で4つの組。
私は、今回参加の中ではベテラン格の方とペアを組み、実践。
クライエントとして話をしているときは、話しているうちに「こういう結論に近づくだろうな」と思っていたものと違う感情が突然湧き上がり、そのことを話しているうちに自分の「今の立ち位置」が表出してくると言う面白い感じ。
話題としてはカウンセリングの話題なんだけど、素晴らしい先達に対して、それを目標にしているのかと言うと、そうではないと言う…やるからには目標を持っているかと思ったんだけど、どうもそうじゃないらしい…(自分のことなのにね)
こんな風に、ちょっと思いも寄らない一面を引き出してもらった、不思議な時間でした。
代わってカウンセラーとして話を聞かせてもらう。
話題は私自身も興味のある話で、出来事の流れがよくわかるし、クライエントさんの気持ちにも共感できる。
と、そのときはそれで問題を感じてなかったし、スムーズに関係を作れていたと思う。
しかし、あとの全体の振り返りの中で違った感じを味わった。
相手の話がわかりやすく、話題も気持ちも共感できるとき…下手するとわかりやすいがために、相手の感情に似た「自分の感情」に摩り替わることがあるかもしれないと。
分かりやすく言うと、話の流れから「困ってるんだろうな」と想像してしまったときに、似たようなことを(あくまで似たようなこと)をクライエントさんが話されたときに、「あぁ、困ってるんだ」と自分の中に起こった感情に置き換えてしまう危険があるなと。
あくまで、相手の気持ちに沿っていくことと、分かるからと言って自分の感情を「相手もきっとそうだろう」と気持ちを想像することはぜんぜん違うなと。
幸い、今回はしっかり感情も話してくださる方だったので、大きく間違ったり、錯覚したりすることは無かったけれど、ひとつ押さえておくべきテーマかなと。
話題がわかりやすかろうがわかりにくかろうが、出来事を追いかけたり捉われたりするのじゃなく、あくまで相手の方の気持ちを大事にしていくこと。
うん、6週目ともなると、ブランクが埋まってきた気がする。
今回は終わった後に逐語の録音。
参加が5人なので、私がクライエントになって録音してもらう。
初めて参加の上に、ご都合で数回休まれていることもあって、これから経験を積んでいかれる方。
その辺のことは、逐語録発表の回のときに書くかもしれない。