ちょっと、昨日は、色々あって、己を反省することしきり・・・
2016年1月24日に次のような記事を書いています。
まあ、25年いろいろありました。普通の銀行員は複数の支店を渡り歩いてステップアップしていくものなのですが、私は、今まで4つしか支店を経験していません。25年で4つは少ない部類に入ると思います。その分、本部組織での勤務が10年ほどあります。その中で中国に飛ばされたり、子会社に送られたりと、波乱万丈の人生を送ってきたと思います。
基本、上から命令されても、自分が納得しないと行動しないという「精神的欠陥」を抱えているので、使いづらい社員だったと思います。組織の中で、組織の目指す動きができないと重用されないのは当然といえば当然。「半沢直樹」とか「花咲舞」と言った行員が組織の壁を叩き割るような光景は、現実的にはありません。そんな痛快娯楽劇のような風景が毎日繰り返されているとすれば、組織は回っていきませんし、そんな命令系統が滅茶苦茶な銀行と取引したいと思うお客さまは些少でしょう。
そして、現在、銀行員生活は31年目。経験した支店は1つ増え、次の転勤が出た場合、もう、支店勤務は限界かな~と思っているところ。そんな中、公私にわたり銀行員生活を振り返る機会があったのですが、やはり、今となっては反省するべきところが多かった・・・と思っています。お世辞にも、他者の見本になれない不良行員だったな、、、というのが結論。でも、それは振り返ってみてわかること。現在進行形の若い時代に、善悪の区別をはかるだけの経験もなければ、先達もいなければ、それを教えてくれるよき隣人もいなかった。早朝から夜遅くまで働く、今でいうところの過労死ラインを簡単に超越する多忙な生活を送っていると、判断を誤ることもあるわけで。将来の悲劇を慮ることもできなければ、目先のつじつまだけを取り繕う日々。藤井二冠は、まだ高校生にもかかわらず、何十手もの先を読んで将棋をさしているのに、大の大人の当時の私は、一手先すら読むことができず、それを未だに引きずっているわけで。
とはいえ、ここで立ち止まってしまうのはNG。なんせ、我々にとって、人生は、ただ自分自身のものであり、1回限りの、限りあるものだから。そう、フランクルの「独自性」「1回性」「有限性」のパクリ。しかし、不可逆な自身の人生を、反省こそすれ、後悔してもどうにもならないのは事実。せめて、今後の人生の糧として、同じ過ちを繰り返さないのが今できる私の限界。
さて、打鍵しつつ、コーヒーと鬼まんじゅうの朝食を食べ終えました。今日は、外せない用事があるので、その準備をします。それはそうと、台風、かなり南に進路を変えてくれたので、ちょっとうれしい!