【突発性難聴☆闘病記録】(40)
★2008年5月25日(日)★
<治療開始43日>
今日はお出かけしたので、
やはり、外では耳鳴りが「ガンガン」した。
今、静かにPCに向かっていると、
右耳の耳鳴りも「ウォーンウォーン」と落ち着いている。
人ごみでは雑音が多く、会話が聞き取りにくい。
夫がなにを話しかけているか、すべてが聞き取れなくなった。
でも、聞き返すのも面倒なので、
「まっ、いいか」という気持ちになり、
適当な返事をしてしまう。
だから、トンチンカンな返事をしているかもしれない。
私の顔は「」という表情かもしれない。
でも、夫も何も言わないので、
これでいいのかな?と済んでしまう。
こうして、私の難聴は続くのだろうか?
人の話も半分しか聞こえなくなるのだろうか?
今日はカープがロッテ戦で、劇的な逆転勝利を遂げ、
今、非常に気分がいい。
3回表で、5点一気にリードされ、
その後、5回裏でカープも5点一気に追いつき、5-5になった。
その後、またロッテに1点リードされたものの、
8回裏に大きなドラマが待っていた。
代打の超ベテランの緒方孝市選手に値千金の貴重な一打(逆転2ランH)が出て、
予想外の展開にびっくり!!
9回表は、永川投手が3人をきちんと打ち取り、
カープの逆転勝利!!
夫と思わずハイタッチで大興奮!!
カープはこれで3連勝!
昨年は交流戦でなかなか良い結果が出さなくて、
交流戦前は、3位にいたのに、
交流戦後は、5位まで(最下位だったかな?)落ちた。
今年は、今のところ、5試合中、3勝2敗。
これからも頑張ってほしい。
カープの勝利は、
私の気分をここまで良くしてくれるので、
突発性難聴の治療にも役立つような気がする。
五日市 剛氏の『ツキを呼ぶ日めくりカレンダー』
一昨日、姉が、
「貴女が好きそうだから・・・」って渡してくれた。
淡いピンクの枠に、
さりげない字体の日めくり。
31ページの中に、
31の素晴らしい言葉が詰まっている。
“「ありがとう」と「感謝します」は
ツキを呼ぶ魔法の言葉です”
イスラエルのおばあさんから
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」をおしえていただきました。
嫌なことがあったら「ありがとう」、
いいことがあったら「感謝します」と
使い分けるとより効果的。
(五日市 剛)
“人は言葉で生まれ変わることができる”
言葉は想いを変え、
不安定な心を良くも悪くも安定化します。
心が変わると行動が変わり、
行動が変わると習慣が変わります。
すると人格が変わり、
運命までもが変わります。
だから、もっともっと良い言葉を使いましょう。
すると我々は、
来世を待たずして、
生まれ変わることができるのです。
(五日市 剛)
“不安や心配事は「キャンセル キャンセル」
何か不安や心配事があると、
そのうちに言葉になってしまいます。
無意識に口から発してしまうかもしれません。
そうなるとオロオロと不安とともに行動し、
本当に現実のものとなってしまう・・・
かもしれません。
心にあるマイナス事は
言葉になる前にキャンセルしちゃいましょう。
右腕を斜め上に上げて、
手首をくるくる回しながら
「キャンセルキャンセル」。
これでOK!
(五日市 剛)
“怒るとツキが減っちゃうのよ。
怒らないで。
怒っちゃダメよ”
イスラエルのおばさんからのアドバイスです。
相手にキレそうになったら、
『ありがとう』と自分に言い、
まず心を落ち着かせます。
そして、苦言を呈する代わりに、
もっと適した言葉を考え、
相手にやさしく伝えます。
この小さな習慣が大きなツキを呼びます。
とにかく、
怒る代わりに必ずできることがあります。
深呼吸して考えましょう。
(五日市 剛)
“♪ピンチ ピンチ
チャンス チャンス ラン ラン ラン♪”
逆境こそ好機です。
ツイてる人はピンチをチャンスに転換することがうまいです。
ニコッと笑って「ありがとう」と言い、
このような歌でも歌って軽やかに対処したいものです。
「あめあめ降れ降れ」をもじったものです。
(五日市 剛)
“道はある日、ド~ンと開ける”
「大丈夫」という確信があれば、
いつか必ず道は開けます。
しかも、突然開けます。
(五日市 剛)
☆★=☆
★=☆
★=☆
★=☆
★
【五日市 剛氏 ☆★☆ プロフィール】
昭和39年7月生。
国立宮城高専を卒業後、
豊橋技術科学大学に編入学。
その後、
アメリカのマサチューセッツ工科大学に
留学。工学博士。
現在、企業経営の傍ら、
数社の研究顧問を務めている。
26歳の時のイスラエル旅行での出会いがきっかけで
人生がガラリと好転。
その体験談をまとめた小冊子(講演録)は、
クチコミだけで100万部を突破した。
☆★=☆
★=☆
★=☆
★
本当に「人生いろいろ・・・」で、
生きていると、さまざまなことに遭遇しますね。
私自身も、次から次へと・・・辛いことにぶつかり、
イヤになっちゃいます。
「ツキを呼ぶ日めくりカレンダー」を見ながら、
今・・・改めて、
自分を反省したり、
励ましたりする今日この頃・・・♡
この「日めくりカレンダー」の他の言葉は、
「好きな言葉・詩」のカテゴリの中でご紹介しますね。 姉へ
「ありがとう!(^^♪」
★2008年5月24日(土)★
<治療開始42日>
今日は一日中雨
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_rain.gif)
バラの花が散り始めて・・・寂しい。
昨夜も夜中に目が覚めて、熟睡できず・・・
午前中は、横になっていた。
午後、久しぶりに妹から電話があり、
すごく嬉しかった。
東京←→広島、離れているのに1時間くらいおしゃべりした。
私の突発性難聴を一番気にしてくれている妹。
「耳鳴り」は今日も相変わらず同じ状態。
「難聴」に関しては、
家庭内での会話や、電話(左耳)の会話は普通に聞こえるため、
意識してテストをしない限り気づかない。
夕方、姉から電話があり、
義兄の紹介で診察を受けた先生から、義兄に返事(結果)がきたとのこと。
それを私にFAXで送ってもらったけれど、
19日に私が説明を受けた内容とほぼ同じだった。
高気圧酸素療法については、
わずかな可能性に対して、様々な副作用などのデメリットを考えると、
それが私のストレスとなっていて・・・・
どうしてもその気になれないことを義兄に話した。
義兄からその旨を先生に伝えてもらうことにした。
完治の困難な突発性難聴。
乳癌と肺癌を克復した私にとって、
現代の医学で、『癌』は治る時代なのに、
昔からよく耳にする『耳鳴りや難聴』が治らないということが、
どうしても信じられない。
医学は日進月歩だというのに・・・・・・。
★2008年5月23日(金)★
<治療開始41日>
今日は森山耳鼻科(仮名)の診察日だった。
今まで、耳鼻科に行く日は気が重かったのに、
今日は違っていた。
今の私は、
「突発性難聴」をしっかり受け止め、
そして、後悔のないよう、
できる限りの治療を続ける悟りの境地となっている。
3人の耳鼻科の専門医の診察を受けた私の結論でもあった。
『時間』との闘いだった『第一段階』が過ぎ・・・
「何故?」とか、
「治るの?」とか、
もう・・・・・・その次元ではなくなった。
完治の難しい突発性難聴を、
いかにストレスを感じずに、
乗り越えるか・・・・
僅かでも治る可能性があるのなら、
今、投げ出さないで闘うしかない。
森山医師(仮名)との出会い・・・
慣れるまで時間がかかったけれど、
他の先生方と比べて、良い面も見えてきた。
今日も診察前に聴覚検査があった。
「今日は、低音の部分が少しいいですね」
森山医師は、私を慰めるように言われたけれど、
表情は暗かった。
「進行性・・・ということも考えられますね・・・・・」
聴覚曲線を見ながら言われた。
「・・・・・・・・・・・・」
先生が何を言われても、言葉がない。
大きな動揺もない。
今までだったら、
何故、「進行性」と言われたのか、必ず質問をしていたのに、
今は、聞く気力もない。
聞いたところで、なるようにしかならないのだから。
そういえば、今日の聴力<dB(デシベル)>の値も聞かなかった。
聴覚曲線(今日の結果)も積極的には見なかった。
今は、何もかもすべて受け止めて、
やるべきことをやる。
これしか残されていない。
「耳鳴りはしますか?」
「この前出していただいたメリスロンがいいのか、
『ジリジリ』という回数が減ったような気がするのですが」
これに対して、先生の反応は鈍かった。
きっと、「ジリジリ」の耳鳴りは、
専門家にとって大きな問題ではないのだろう、と思った。
もっと、もっと、深いところで、
先生は悩んでおられるのだろうと・・・
「聴こえ方はどうですか?」
「人ごみでは会話が聞き取りにくいです」
「そうですか・・・
薬を前回と同じように出しますから、
引き続き飲んでください。
セルシンはどうしましょう?」
「お願いします。
でも・・・・セルシンを飲んでも、夜中に4、5回目が覚めて、
熟睡できないのですが・・・
もう少し、強いのを出していただけないですか?」
「眠れなかったのは、プレドニンの影響ではないかと思います。
今日からプレドニンを中止しますので、どうしましょうか?」
「そうですね・・・でも、やはりぐっすり眠りたいので、
なにか、安定剤をお願いします」
「えーと、なにがいいですか?」
「他の安定剤をあまり知らないのですが、
セルシン10mgとか・・・」
「10mgは・・・少し強すぎると思います」
「・・・・では・・・・よろしいです。
セルシン5mgで頑張ってみます」
「1週間分出しておきますから、
次は、来週の金曜日に来てください」
「はい、わかりました。ありがとうございました」
≪今日処方された薬≫(7日分)
★メチコバール錠500 1日3回 毎食後(朝1錠 昼1錠 夕1錠)
(ビタミンB12。末梢神経の働きを正常にする薬)
★アデホスコーワ顆粒10% 1日3回毎食後(朝1包 昼1包 夕1包)
(血液の流れをよくする薬)
★メリスロン錠6mg 1日3回毎食後(朝1錠、昼1錠、夕1錠)
(めまいを改善する薬←私の場合耳鳴り改善のための薬)
★セルベックスカプセル50mg 1日3回(朝1個 昼1個 夕1個)
(胃の粘膜を丈夫にする薬)
★セルシン5mg 1日1回 就寝前1錠
(不安や緊張を和らげる薬)
最近、5時間くらい睡眠がとれるようになったけれど、
必ず、4~5回は目が覚めて熟睡できない。
朝まで目が覚めないで、ぐっすり眠りたい。
森山先生は、安定剤について詳しくなかった。
耳鼻科では処方される機会が少ないのだろうか?
ちょっと不思議に思った。
必死で病気を治そうとした以前と比べ、
言葉少なになった私。
今は、先生の指示通り治療をするのみである。
【突発性難聴☆闘病記録】(37)
★2008年5月22日(木)★
<治療開始40日>
毎日初夏のような陽気が続いている広島地方。
ベランダの紫陽花も花がついてきた。
もうすぐ、6月なんだなー。
今日は姉と会って、ランチをいただき、
その後、お茶して・・・
午後3時過ぎに帰宅。
久しぶりに会って、楽しく談笑した。
姉は耳鳴りのことを心配して、
「大丈夫?」って何度も聞いたけれど、
ホテルのレストランなので、
雰囲気が良く、静かで・・・
気分をリフレッシュできてかえってよかったと思う。
今も、同じように耳鳴りはしている。
「ウォーンウォーン」という音。
そして、時折何かの音に反応して、
「ジリジリ」「チリチリ」と異常に響く。
この私の耳鳴りが、
今後、どのような経緯をたどっていくかわからないけれど、
私としては、
第一段階は終わったような気がしている。
それは、今日がちょうど発症50日で、
耳鼻科にかかり、突発性難聴と診断され40日。
確実な効果は保証されなかったが、
早い段階で治療すべきことは(ステロイド治療、メニエール治療など)試みていただいた。
MRI検査もしていただき「異常なし」だった。
でも、いまだに改善されない耳鳴りと難聴。
初めより重くなっている症状。
最初の1ヶ月余りは、
「突発性難聴」という突然の診断に戸惑い、
その症状を治したい一心で、
焦りもあり・・・
森山先生(仮名)に対しても不満をもったり、
自分自身を責めたり、
苛立ちばかりが優先してしまった。
3人の耳鼻科の専門医の診察を受けた今・・・
ようやく、気持ちが落ち着いてきた。
そして、
「突発性難聴」という病気を受け止める心の準備ができてきた。
「突発性難聴」とは・・・
“老若男女誰でも、健康な人がある日突然聴力を失い、
その原因は不明、確たる治療法もない病気”
★出典フリー百科事典「ウィキペディア Wikipedia」より★
早めに適切な治療を行っても完治するのは、患者の約三分の一で、
更に、三分の一は改善はしても難聴・耳鳴りなどの後遺症は残り、
残りの三分の一は改善しない。
いつも書いているように、
耳鼻科では、
聴力検査と患者本人の申告以外に客観的診断基準がなく、
診断がなかなか難しい。
データ蓄積に基づいた投薬などで、
「この薬で改善するかどうか?」で様子をみられ、
改善が見られないようだと、他の投薬で試される。
診察のたびに変わる投薬。
これも仕方ないことなのだ。
セカンドオピニオンの2人の耳鼻科の専門医が、
「同じような治療をすると思います」という意見だった。
それなら・・・・・
第二段階に入る、今となっては、
最初からかかっている森山医師(仮名)を信頼して、
希望をもって治療を続けていくしか道はない。
少しでも耳鳴りが良くなることを信じ・・・
難聴が改善される日を信じて頑張らなくては・・・
【突発性難聴☆闘病記録】(36)
★2008年5月21日(水)★
<治療開始39日>
今日も快晴・・・
気温も高めで初夏の陽気だった。
耳鳴りは同じように続いているが、
16日に処方された「メリスロン」の効果なのか?
ホンのすこーしだけ「ジリジリ」の回数が減ったような気もする。
(減っていないような気もする)
それとも、耳鳴りに慣れてきたのかな。
誰にも聴こえない私の耳鳴り。
耳鳴りを経験した人にしかわからない重苦しさ。
寂しい、寂しい、孤独感。
38kgだった体重が、36kgになった。
体脂肪17→15に。
家でのんびり過ごしていた生活から、
先月、突然の突発性難聴。
病院通いが忙しくなり、それに合わせて精神的な苦しみ。
これでは太れない・・・。
食事が喉を通らない。
ACTH単独欠損症の発症当時(診断がつかない時)、
体重が30kg以下まで落ちたことがあるが、
(この時は意識がもうろうとしていた)
乳癌や肺癌では、体重は減ることはなかった。
癌という病気は「痩せる」というイメージがあったので、
不思議に思ったことがある。
でも、体重は「健康」のバロメーター。
抵抗力が落ちると他の病気に影響してくるので、
頑張って太らなくちゃ。
昨夜の睡眠は、
就寝時にセルシン5mg1錠服用して、5時間足らず。
その間、3、4回目は覚めて熟睡していない。
「ストレス」「寝不足」「過労」・・・
耳鼻科の医師から注意されている三つの条件。
これらを守ろうとすればするほど、
今の方が、
ふとしたことにストレスを感じ、眠れない。
悪循環している・・・
この世の中には二つのタイプの人間がいます
その一つは
大きな幸せの中にいながら
その中の小さな不幸せのみを見つめて
いつもブツブツ言いながら
不幸せに生きている人間
もう一つは
大きな不幸せの中にいながら
その中の小さな幸せだけを見つめて
いつも幸せに生きている人間です
~山崎房一「心がやすらぐ魔法の言葉」~
★画像はわが家に咲いているビオラのブーケ★
【突発性難聴☆闘病記録】(35)
★2008年5月20日(火)★
<治療開始38日>
昨日は大雨だったのに、
今朝起きてみると、太陽がまぶしいくらいに晴れ渡っていた。
私って、ホントに雨オンナだな・・・
昨夜の睡眠時間は5時間くらい。
でも、今朝は、久しぶりに目覚めがよくて、
自分でも不思議だった。
きっと、自分の心のなかで、
なにかが吹っ切れたのだろう。
逆に、夫の方は、
昨日の診察で、何かの進展を期待していたらしく、
その希望がなくなり、
耳鳴りや難聴の完治の見込みが少なくなったことで、
元気がなかった。
でも、私が明るいので安心していた。
私はO型なので、割り切るのも早い。
乳癌を告知されたときも、
再発してショックだったときも、
右乳房全摘出のときも、
肺癌のときも、
すごく、すごく、悩み、苦しくて、
周りを全部巻き込んで大騒動する割には、
誰よりも早く、
「仕方ないや、なるようにしかならない」
と気持ちを切り替えてしまう。
それで、全部乗り越えてきた。
夫はA型なので、私が忘れた頃も悩んでいる。
今回の件は・・・
私も、私の周りも、今まで、耳鼻科にご縁がなかったけれど、
このたび、初めて、突発性難聴になり、
耳鼻科の診断の難しさを知った。
以前から書いているように、
耳鳴りや難聴は、
先生から、見えないところ、聴こえないところでの症状の上、
診断の対象となる検査方法が少なくて、
患者本人の申告に頼るしかない。
森山耳鼻科(仮名)に通院を始めて5週間余りたった。
紹介状もなく飛び込んだ近所の耳鼻科。
いろいろなことを悩み、考え、時間が過ぎた。
乳癌や肺癌の記事とちがって、
この突発性難聴は、
日々のことをタイムリーに更新してきたので、
読んでいただく人にも、ストレートに自分の気持ちが伝わったと思う。
良きにせよ、悪しきにせよ・・・
私自身、今まで、一つの病気で複数の医師の診察を受けたことはない。
しかし、今回のような場合、
途方にくれたときには、
セカンドオピニオンは患者にとって必要なことだと思った。
複数の専門家の意見を聞くことで、
より適した治療法を患者自身が選択できるのだから。
ただ、その時、注意しなくてはならない点は、
一番お世話になるだろう医師の気持ちをこじらせないようにすることが、
大切ではないかと思う。
セカンドオピニオンが認められているからといって、
無下に言葉をはかず、
傷つけないように、慎重に行った方がいい。
私の心が今日晴れているのは・・・・
耳鳴りの症状が改善されたわけでもなく、
今後の、見通しがよくなったわけでもなく、
3人の耳鼻科の専門医による診察を受けて、
お三方それぞれの温かさを感じ、
私が納得したからだろう。
あとは、自分を信じて、
医学(突発性難聴に関する)もちょっと信じて、
この「耳鳴り&難聴」と仲良く付き合っていくしかないような気がする。
【突発性難聴☆闘病記録】(34)
★2008年5月19日(月)★
<治療開始37日>
今日は義兄が紹介をしてくれた先生の診察を受けてきた。
心身ともに疲れたー。
義兄からの紹介状(今までの経過)はすでに目を通しておられたが、
聴覚検査(2種類)と鼓膜検査をした上で、
その医師の診断は、
「突発性難聴」いうことだった。
名医だけあり、とても感じのよい先生で、
私の疑問点に丁寧に答えていただき、
少しだけ、心の中がすっきりした。
結論から言えば、
耳鳴りや難聴の診断は、
聴覚検査の結果や症状だけで、
「1+1=2」にはいかないという説明だった。
ステロイドの治療も、一般的には、2週間が目安となっていて、
今かかっている森山医師(仮名)の治療も、
一つ、一つの段階を得て、
今に至っているのでしょう、と。
(決して森山先生を批判されない)
突発性難聴とメニエールの症状はよく似ていて、
今の時点では、「突発性難聴」の診断をしていても、
3ヶ月、あるいは、1年後、2年後・・・に、
めまいの症状が出れば、
「メニエール」という診断に変わる可能性もあり、
今は、突発性難聴としかいいようがないことも・・・。
「内耳性難聴」や「変動性難聴」のことも尋ねたが、
「貴女の気持ちもよくわかりますけど・・・」という前置きで、
病名にこだわると、
それがストレスになるのであまり考えすぎないように・・・と注意をうけた。
突発性難聴は完治が非常に困難な病気で、
その三分の一の人しか改善がみられないということも言われた。
覚悟はしていたけれど、ショック!!
では、どんな人が治るのか?と言えば、
耳鳴りの症状が出て、
すぐに耳鼻科にかかったから治るとか、
2週間以内だから治るとか、そんなことも一概には言えないらしい。
その人の運命のようなものがある。
そして・・・・・
「耳に悪いと思うことは、なるべく控えた方がいいでしょう。
子供の泣き声が耳に障ると思えば、その場所から離れ、
掃除機の音が気になると思えば、その日は止めておくとか、
人ごみが気になるようだったら、そこには行かないとか、
会話が負担になると思えば、静かにしておくとか、
ご自分の耳をいたわりながら生活をするよう心がけてください」
ほんとにそうだな、と思った。
基本的なことなのに、
何故、自分で考えて、気がつかなかったのだろうと反省した。
突発性難聴の、今、残された一つの治療として、
高圧酸素治療を紹介されたが、
特殊な治療のため、
難病疾患をもつ私の体に適応するかどうか考慮中・・・。
【高圧酸素療法】
http://homepage1.nifty.com/jibiaka50/kouatusanso.htm
その治療をしたからといって、
効果は100%ではないし、
副作用もある。
費用も高額な上、デメリットも高い。
注意事項を読んでいると、怖くて、
私には向かないような気がしている。
癌の手術のように、
これだけの入院をして、これだけの手術、治療をしたから、
体の中から「癌」が取り除かれたという風にはいかないのだから。
私としては、治る可能性の少ない治療に対しては、
どうしても消極的になってしまう。
今日、他の先生に診ていただいたということは、
森山先生(仮名)には話していないので、
「高圧酸素治療」をするとすれば、そっちの方も問題が起きてくる。
森山先生に黙っておくことはできない。
「この先生だけを信頼して・・・」という姿勢が見えないと、
どの先生に対しても中途半端になるのが怖い。
他の先生方の意見を聞いているうちに、
森山先生(仮名)も、
決して私のことをおろそかに考えておられるわけではないことを感じ、
もっと、先生を信頼して、治療に専念するべきだと思った。
完璧な人間がいないように、
完璧なドクターもいない。
(ドクターの皆様、生意気なことを書いてごめんなさい)
今日の私の聴覚検査結果は、平均70dBだった。
私の知識では、60dB以上が高度難聴だと思っていたので、
「高度難聴ですか?」と尋ねたら、
「高度でもないですが、中等度でも重い難聴です」と言われた。
あー、だんだん、悪くなっている。
この1ヶ月半で、
3人の耳鼻科の専門医に診察していただき、
「耳鳴りや難聴」がいかに厄介な病気であるか、改めて認識した。
★お詫び★
病名の件ですが、いつも変更してごめんなさい。
今後、「突発性難聴」で統一したいと思います。
今までの「内耳性難聴」と「変動性難聴」は無くして、
すべて「突発性難聴」にいたしましたので、よろしくお願いいたします。