昭和十二年。 丸山先生が 不敬罪で留置され拷問を受ける場面が強い印象を残します。
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日本の武力進出が多くの難局を生み、政府は 『国民精神総動員』 のスローガンのもと、思想弾圧を強化します。 多くの団体が解散に追い込まれ、思想取り締まりで投獄・拷問の末に虐殺されます。
丸山先生も凄惨な拷問を受けます。 無実の罪とは言え 獄中にあることを両親に申し訳ないと心から詫びます。 壁の向こうに父母が現れ、三人で涙に包まれていきます。
ここで、先生は両親への恩愛を超える天の恵みに気付きました。 すると、自分を拷問する刑事にまで感謝することが出来たのです。
心の底から父母の慈愛を知り、かたじけなさに涙がこぼれ心のしこりが解け去っていく。 それまでは何もわかっていないことに気付いたのです。
涙の洗浄力のすごさに目覚め、体験が説得力を持つことを知ったのです。 裁判の公正な判決に期待して でっち上げの調書に署名しました。
裁判は検事側の捏造資料を採用して懲役三年、執行猶予二年の判決を昭和十七年に言い渡したのです。 上告も昭和十九年に棄却され、有罪判決が決定しました。なお、昭和二十二年に不敬罪そのものが廃止され、刑は不問に付されました。 丸山先生らを有罪にした人々が逆に戦争犯罪人として刑を受けたのです。 神渡さんが淡々と書いた文書に僅かに溜飲が下がる思いを感じました。
この不敬事件を通して、人の世の価値基準は はかないと痛感されたのでした。 獄中での異常な体験が、絶対倫理に繋がりました。
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