私が小学生のころから育ったのは、黒崎一丁目。
人気blogランキングへ ← クリックを御願いします!
繁華街のド真ん中。 三角公園から歩いて十数秒。 走ればアッと言う間の距離。
家は小さな料亭。 一階はカウンターで二階には座敷。 両親と弟で小さな空間に生活していました。
5歳下の弟。 保育園の頃は、お袋を恋しがって泣くのですが、商売の際中ですから、どうしょうもないのです。 それで、相撲やプロレスをして気を紛らわしてやるのですが、下には お客さんが居ます。 多くの場合は 親父が血相を変えて上がってきて 叱り飛ばされることになります。
「暴れるんなら 外でやれ!!」
それで おとなしくせざるを得ないのですが、ときには こちらも腹を立てて言われる通りに 外に出て行くことがあります。
行き先は 三角公園。 時刻は 夜の10時とかですが、同じような境遇の近所のガキが 結構な人数たむろしています。 多い時には、サンカク野球(1・2塁と本塁だけの狭い範囲でやる野球もどき)が出来る程度(2チーム分)の ガキが揃います。
こうして、真っ黒になって 店(というか自宅)に戻る訳です。
当時は 殆どの自宅(兼 店舗)には、風呂はありませんでした。 かなり大きな店舗でもない限り、客用スペースを優先して、自宅(兼 店舗)に風呂を作ることはありませんでした。 何十軒も隣接していたから、火事を避ける意味もあったと思います。 もっとも、それでも毎年のように大きな火災は起きていましたが。
ということで、泥んこになって 風呂の無い家に 帰宅すれば、再び叱り飛ばされる場面が 二人を待ち構えているのです。
黒崎三角公園劇場 を応援してください
ブログ ランキングに参加中です